第3話


「あー、気持ちよかったねアスミちゃん」


ホテルのベットで横になっていると、快活な声で隣に横になっている八木橋が言った。


「これで俺の願いは叶ったわけだけど、まあちゃんと仕事するし、安心してよ」


やけに饒舌で明るい声が騒々しい。やっていることは枕営業と変わらないではないか。


「俺的にはもっと積極的にやってくれれば、もっと楽しい時間を過ごせたと思うんだけど、まあ気が乗らなかったってことでいいことにするよ。でも今度またするときは、もっと積極的にきてよね」


「やりません」


「あんなに気持ちよさそうにしてたのにさ。ほんと皆セックスに対して、臆病だよね。あんなに気持ちいいのになんで皆やりたくなんないのかほんと全くわかんないもんね。俺は毎日のようにエッチなこと考えてるのに、それを病気呼ばわりするし。俺は仕事はできる方で、ただ暇な時間が多いだけなんだよ。やることやって後はずっとセックスできればいいんだけど、相手がいないしなあ。金でできるセックスは面白くないし、俺ほんとは熟女とセックスするのがけっこう好きなんだ。彼女たちはかなり積極的に来てくれるし、ノリノリだからこっちも楽しいんだよね」


「じゃあそういう相手とやったらどうですか」


八木橋があーと唸ってから手をヒラヒラさせて言う。


「そういう相手とも付き合うのって難しいんだよね。俺は毎日、違う相手としたいんだけど、その人は一途に自分だけを愛してほしいって言う人で、俺が他の人とやってるのをよく思わないのよ。嫉妬だよね。他の女性とやってるところを考えただけで腹が立つらしくてさ」


「普通はそうですよ。あなたなんかエイズになって死ねばいいのに」


「そんな冷たいこと言わないでよ。あんなよがってたのに、気持ちよくさせてたの俺なんだよ。感謝してほしいくらいなのになあ」


八木橋はベットから離れると、シャツとズボンを持ってきてささっと着替えていた。


「シャワーは?」


疑問に思ったアスミが言うと、八木橋は「いいのいいの」と首を振って答える。


「アスミちゃんの体液つきの体で出勤するなんてもう昇天しそうなくらいいい思いつきじゃん。もう皆俺がいろんなとこ触るたびにアスミちゃん色になっちゃうね」


「汚いです」


「いいの、色男に許される特権よ。

臭いって言われた時にシャワー浴びるよ」

八木橋は、ベルトを締めて鏡を見て整える。


「アスミちゃん、君はシャワー浴びなよ」


「言われなくても浴びますよ」


「君は正常人間なんだから、ちゃんとしなくちゃね。俺はセックス依存症だから許されるけど」


「なんですかそれ」


「四六時中セックスのこと考えてて、仕事中に支障が出てしまいそうな奴らの病気のことをそういうんだ」


「まんまあなたですね」


「だろう?この病気ほど俺を表してる病はないね」


靴下も履くと、そのまま玄関に向かっていく。

「じゃあねー」と手をヒラヒラさせて、アスミに挨拶をして出ていった。遠くから、「お金は払ったからゆっくりしててね」という声が聞こえる。


アスミはゆっくり目を閉じ、そのまま眠りにつくことにした。




次の日、出勤時間前にぎりぎり間に合ったアスミは

駅前にある目黒管理事務所のある2階の部屋に向かった。


挨拶をすると、社長である目黒がどっしりと自身の椅子に座っていた。


「昨日、無事に進めたようだな」


澄んだ声で話される。アスミは歯切れの悪い返事をした。何とも嫌な気分だ。上司に利用されて使われた気分だ。


「あいつは仕事はかなりできるやつだ。もうすでに、クライアントの頼まれた仕事をやってくれたようだ。さっき八木橋から連絡があった」


驚いた。この半日の間にそこまで進めれるのか。

クライアントの依頼は、ある男性を殺してほしいという依頼だった。


「もう終わったんですか」


「朝の通勤時間にやったらしい。ナイフで心臓を1刺しだ。そのまま死体を近くの公衆便所に隠したらしい」


「そんな大胆にやったら、バレるんじゃ」


「それが案外バレないみたいだな。ほとんどの人間が仕事に行くために自分のことしか見えていないし、朝は忙しいから人が死んでいても気づかない」


「そうそう!

俺は服を変えて、凶器をそこら辺に捨てるだけですぐに他の人間と紛れるからね」


快活な声が聞こえて、ぎょっとする。応接室に昨日の男、八木橋がソファに座っていた。


「なんでいるんですか」


八木橋はニンマリ笑ってから、腕を頭上に上げて伸びをしながら言った。


「なんでって、アスミちゃんが心配だったからだよ。これで出勤しないで、辞めたらかわいそうだもん。俺そこまで嫌なことしたんだなって反省するところだったよ」


八木橋の能天気な声に腹が立つ。そう思うなら最初からあんなことをしなければいいのだ。

八木橋はタオルを持って、自分の家のように事務所にある冷蔵庫を開いた。


「飲み物あるかなあ。あ、このアイスコーヒー飲んでいい?」


「それ私のです」


「アスミちゃんのかあ。仕事早かったでしょ?俺?ご褒美として飲んでもいいよね?」


「お好きにどうぞ。」


「ありがとね!シャワーの後には冷たいものだよね」


ごくごくと勢いのいい音がしたあと、息を吐き出す八木橋。目黒はそれに対して何も言わず、書類を見ている。なにか言って欲しい。この男がこの事務所にいること自体不愉快なのに、いつまでこの場所に居続けるつもりなのだ。


「いつ帰るんですか」


八木橋がアスミの方に振り返る。わしゃわしゃとタオルで髪の水気を取って、再び応接室のソファに座った。


「え?そんなに帰ってほしいの?

 今日はずっといるつもりだったんだけどな」


「目黒さん、私この人とこの部屋にいたくありません」


目黒に助けを求めると、彼は書類から目を離していった。


「今日は仕事がほとんどない。好きにすればいい」


「それじゃあ帰ります」


アスミがそう言って帰ろうとした時に、うるさい八木橋が声を上げた。


「えー、せっかく来たのに。俺アスミちゃんと話すためにここに来たんだよ。ねえ、目黒さん、昨日のアスミちゃんほんとに可愛かったんだよ。気持ちよさそうによがってさあ」


「やめてください、あれは仕事だからしただけです」


セクハラ親父と同じことをしてる。本当に悪趣味だ。


「品がないぞ。八木橋。おまえはそんなだから嫌われるんだ」

珍しく目黒が噛み付いた。発言の気持ち悪さに辟易したのだろう。


「だって、人間に必要なものは性衝動だと思うんだよね。美人を取り合うために俺たちは能力をあげて自分を高めるんだ。美人がいなければ能力もあげる必要もないし、身なりなんか気にしなくなるよ。僕たちはセックスするために高め合ってるんだ」


「その露骨さがおまえのいやらしいところなんだ」


「こそこそいやらしいことしてる方が何倍もいやらしいと思うんだけどなあ。」


いつの間にか八木橋はタバコに火をつけて吸っている。


アスミは急いで事務所から立ち去る。



休みになってしまったからやることがなくなってしまった。昨日は災難だったから、近くの喫茶店に行ってゆっくりコーヒーを飲む。このひとときだけで幸せな気分になれる。

アスミは前から連絡をとっている一人の男性にメッセージを送った。


(今日休みになっちゃった)


すると、すぐに返事が来た。


(こっちは全然お客が来なくて暇だ)


(そっちに行ってもいい?)


(ああ。なんか買ってってくれ)


アスミは一気にコーヒーを飲んで、その場を立ち去った。


みなそこ区の駅前近くにある古本屋に来ると、二十代後半らしい若者が店番をしていた。寝癖がある黒髪の若者はアスミに気づくと、やあと声を上げた。

彼は若竹了見という名前だった。若竹は長身でこざっぱりした身なりをしている。この店の店主の一人であり、彼女と会話の合う数少ない友人だった。


「何読んでるの?」

アスミが彼の隣にある椅子に座ると、眠そうな目をしながら本の題名を答えた。


「神々は渇くだね」


アナトール・フランスだ。芥川龍之介に影響を与えたと言われるフランス人作家。神々は渇くは革命の話だった気がする。革命を願う主人公がロベスピエールのように破滅する話…。


「悪霊は読んでないんだ」


「少し違うのを読みたくてね」

若竹を見ていると「悪霊」にでてくる神になりたかった男を思い出す。とても似ているのだ。


「聞いてよ、昨日仕事で男とやったの」


どんな反応をするか気になって言ってみた。案の定、若竹は本から顔を上げてアスミをじっと見つめる。


「感想は?」


「最悪」


若竹はふっと鼻で笑うと、その場で足を組んだ。

店内はアスミ以外客はいなくて、若竹と2人っきりだった。


「その男、性行為のことをガタガタと喋ってって凄くうるさいの。まるで病気よ。あんな男、エイズで死ねばいいのに」


「へえ。性行為が好きな男なんだ。

 君が思うくらいだからよっぽどなんだろうな」


「社長がそいつの話をのまないと解雇するって言ってきたのよ。受け入れるしかないじゃない」


「それはまさに性暴力並みの事案じゃないか。

ブラック企業以上のことをしてるよ。犯罪だ。

そんなところ早く辞めればいいのに」


「給料はかなりいいからね」


「それじゃあ文句は言えない」


若竹が傍らにおいてあったコーヒーカップに口をつける。彼のごつごつした指が視界に入る。岩波文庫の神々は渇くは新品のようで擦り切れていなかった。


「久しぶりにあんな思いしたわ」


「君の人生は山あり谷ありだね」


若竹はアスミのことを性的な目線で見ない男性の一人だった。出会ったのは去年。この書店で買った古本を見られたときに、センスがいいと言われたのがきっかけだった。題名は「ルーダンの悪魔」。容姿の整った神父がある修道女たちの噂によって火あぶりにされ殺される物語だった。


「もし、きみがそういうことを言われたらどうする?」


若竹はうーんと少し唸ってから、言った。


「僕は拒否するよ。人生に必要なのは金ばかりじゃないからね。それに嫌いな男とするのは拷問みたいなものだ」


「まあ、そうよね」


「でも君の考えも間違いじゃないよ。そうしないと継続できないことだってある。君が意見をのんだからスムーズにことは運ぶだろうしね。それは悪いことじゃない」


励まされるような言葉だった。彼は善良で優しい。私のように道から外れた女にも慈悲深い言葉をかけてくれる。女っ気のない彼は司祭のようで、話をなんでも聞いてくれそうな雰囲気を持っていた。静謐な雰囲気を纏っていて、ギラギラとした若い男特有な積極的でハツラツとした雰囲気とは対局の存在だった。


「君はいつも優しいね。君と付き合った女性はきっと幸せになれるよ」


「そうとも限らないよ」


「どうして?」


「僕は無神経だから。思ってないことは言えない」


「今のところ、あなたは私に心優しい言葉をくれてるけど」


「それならよかった」


看板猫のテトラが彼の隣に来て鳴いた。ご飯が欲しいのだろう。若竹は立ち上がると、台所の方に行ってしまう。アスミが店の部屋の奥を眺めると、大の字になって寝ている人の姿があった。


(誰だろう?見たことない人)

男のようだった。シャツに茶色のベストを履いていて、髪色は茶髪だ。テトラに餌をやって戻ってきた若竹に話すと、知り合いだという返事が返ってきた。


「仕事関係の人?」


「いや、関係ないな」


「珍しいね、そんな人がいるなんて」


ああと若竹は気のない返事をして、再び本に顔を向けた。あまり仲良くはないのだろう、これ以上聞いてくるなという顔をしている。アスミは、それ以上話さないことに決めると、その時、タイミングよく男が起き上がった。


「はーあ、寝たなあ。おい、なんで起こさないんだ?」

男が騒ぐ声がする。はあと重いため息を若竹は吐くと本を置いて、部屋に向かった。


「お前が気持ちよさそうに寝てたからね。

起こしてたら怒ってただろう」


「あーあ、もうこんな時間じゃないか。もうお昼時近いし、君が早くおこしてくれれば僕も午前中有意義に過ごせたのに」


腕をぐるぐるまわしている男の姿が見える。男と目が合ったとき、あっと驚いたのが分かった。口をぽっかり開けたまま、若竹ににやにやした顔を向け指をさす。


「君、いつの間に彼女ができたんだよ?

全然そんな素振り見せなかったじゃないか」


若竹は咳払いして否定した。

「彼女は違う。友達だ」


「友達?君、男女の友情はあると思ってるタイプの男だったのか?純情で純粋だねー。ほんと君は本に出てくる善良な男性みたいだよ」


男はこっちを見て手を挙げるとあいさつしてきた。


「どうもー、彼と仲良くしてくれて感謝します」


「どうも」


気さくな雰囲気の男だった。この男にもあの若者特有なギラギラとした雰囲気は感じられなかった。


「なんだ、つまんないなあ。きみにもやっとロマンチックな話が花咲いたと思ったのに、違うなんて。男が枯れるよ。君も少し色気づいたらいいのに」


「そういうお前だって、独り身だろう。人のこと言えないよな」


「僕はいいのさ。女性との交流もそこそこあるし。僕はやるときはやる男だから、そういうロマンスも君よりはあるからね」


2人に微妙な空気が流れる。喧嘩するほど仲が良いのか悪いのか判断しづらい。軽やかな声をあげてあらわれたテトラが男の側で甘えていた。

男はテトラに向き合って、優しく撫でている。


「よーしよーし、かわいいねぇ。やっぱり僕のほうが優しいから、テトラは僕が好きなんだねえ」


「お前が騒がしいから、気を遣ってるのさ」


「君はほんと、一言多いよな。そういうところ直したほうがいいぜ。あ、きみ、ちょっとお茶出してくれよ」


「自分で入れたらどうだ?」


「なんだい、冷たいなあ」

男は立ち上がって、台所に行くと冷蔵庫を開けて麦茶をコップに入れた。ドタドタと足音をたてながらもどると、「君も飲むかい?」と尋ねた。


「僕はいい」


男は若竹に向かって、「あの人のは?」と言うと、若竹がアスミに向かって、「お茶飲む?」と聞いてきた。


「貰っていいの?」

男はにっこり笑って「もちろん」と言って、コップを持ってきてくれた。


「どうぞ」

コップに麦茶が注がれる。男は畳の上に麦茶を置くと、胡座をかいた。


「それにしても、君の店は閑古鳥だなあ。

 お客がいないじゃないか」


「彼女がいる」


「一人だけじゃないか、それも友情出演ってやつだろう。廃業まっしぐらだな」


「1日分の食費ぐらいは稼いでるよ」


「君のやる気のなさのなせる技だな」


男はあきれた表情で若竹をつついていたが、大きな欠伸をすると、うって変わって違う話を始めた。


「僕最近、ある女の子からひどい話を聞いたんだ」

男の語り口に異変が見えた。さっきの話とは変わって恐ろしいほどの真剣さが表れていた。


「女の子と接点があったんだな」


「たまたまだよ。僕は無職だから公園で子どもたちと遊んでたんだ。暇人だからね。そしたら、ある女の子が話してくれたんだ」

男は無職らしい。無職にしては身なりが整っているとは思ったが、そこは何も言わなかった。


「その子が言うには、職員にイタズラされてるって」


「イタズラ?」

男の発言に思わず大きな声で反応してしまった。


「イタズラってまさか性暴力?」

男がアスミの顔を見て頷く。


「そう。彼女はそう言っていた。とても苦しそうだった。そこの子供たちは両親がいなくて、孤児院で過ごしてるんだ。だから職員は家族みたいなものさ。そんな家族にそんなことされるなんて…。僕はすぐにその職員たちのところに行ったよ。でも追い返されてね」


「無職だからな」


「そう。それもなんだ。こんなに自分の無職を呪ったことはない。僕は正義のために一人で立ち向かったのに、無職で孤立してるがために追い立てられてしまった…」


「お前の定めだな」


「証拠はあるの?」


「証拠はないさ。彼女の手を借りれば何とか証拠として集めれるとはと思う。でも管理しているのが、その職員だからどうやってあいつから離れればいいのかわからない。きっと何度も接触すると頭にくるだろうからね」


「どうやって引き剥がすかだな」

若竹が言った。その少女だけをこちらに越させる方法。できることならカメラを設置してその映像をとることができればかなり有力な証拠になるだろう。


「僕はああいう腐ったことをする大人が大嫌いなんだ。そんなやつが金をもらってへいこら生きながら子供に悪い影響を与えてのうのうとしてることが全くもって許せない。弱いものいじめの卑怯者だ」


男は一人でそう言うと、また行ってくると言って店からでていってしまった。騒々しさがなくなり、静謐な雰囲気がその場にもたらされる。


「でてってしまったね」

アスミがポツリと言うと、若竹は頭を掻いて、


「勅使河原はああ言うやつなんだ。何でも考えないで行動してしまう。あいつは自己中で周りを見ない、自分の思い込みだけで生きてる」


「てしがわら?」


「あいつの名前だ。勅使河原。僕はあいつと中学時代からの腐れ縁なんだ」


若竹は苦い顔をして、コップと麦茶を片付け始める。近くにいたテトラがくんくんとアスミの手の匂いをかぎながら近づいてきた。


「かわいいわね」


頭をなでると、目を細めて気持ちよさそうな声で鳴いた。



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