第29話「つばき、定義のない自分と向き合う」

 ──ホワイトゼロ視察から一週間。


 風見レンは、再び共鳴支援室の日常に戻っていた。


 だがその目は、以前よりずっと“深く”なっている。


 “定義されない人々”と過ごした時間が、彼の中に“在り方”の問いを根づかせたのだ。



「次の相談者、どうぞー」


 つばきが受付の扉を開くと、一人の若い女性が入ってきた。


「はじめまして。私……“元・勇者”だった者です」


「……は?」


 レンとつばきが同時に固まる。


 女性が差し出したステータスカードには、かつての情報が白く塗り潰されていた。


【旧職業:勇者】

【再定義後:無職】


 スキルも消失。称号も削除。まさに“白紙”のような状態。


「世界のために戦ったのに……再定義されて、何も残らなかったんです」


「……名乗ってもらっていい?」


「“彩瀬ミオ”です。元“対バグ災害部隊・第一列兵”。──ただの、一人でした」



 ミオは静かに語る。


「戦って、壊して、護ってきた。それが“正義”だと信じてた。なのに──“定義が変わった”だけで、私はただの“戦闘マシンの残骸”になった」


 レンは、言葉を探す。


 だが、つばきが先に口を開いた。


「……わたしも、似たようなもんだよ」


「え?」


「“暴走兵装”だった。実験体で、管理対象。“姫崎つばき”って名前だって、最初からあったもんじゃない」


 ミオが驚いたように見つめる。


「でも、レンに出会って、“名前を呼ばれること”で初めて、“わたしになれた”。──だからさ、“何ができるか”じゃないんだよ。“誰として呼ばれるか”なんだよ」


 その言葉に、ミオの表情が少しだけ和らいだ。



 その夜。


 支援室にリュカからの連絡が届く。


【提案:ステータス完全削除プログラム・フェーズ1 実施】


 そこには対象として、こう記されていた。


【実験参加候補者:姫崎つばき】


 つばきが、画面を見つめる。


「わたしが……“ゼロ”になる?」


「強制じゃない。でも、向こうは“つばきの共鳴力”を試したいんだろうな」


 つばきは静かに考えていた。



 翌朝。


 つばきはレンの隣で、唐突に言った。


「……レン、わたし、やってみる」


「え?」


「ステータスが全部消えたら、“わたし”はどうなるか。──それ、知っておきたい」


「怖くないのか?」


「怖いよ。でも、“名前だけじゃ足りない”って思ってる。“共鳴”って、もっと深いとこにあるんでしょ?」


 レンは、ゆっくりと頷いた。


「……じゃあ、行こう。“ゼロ”の先に、何があるのか。見届けよう」



 再び訪れた《コード・アーク》。


 実験室の椅子に座るつばきの背中は、静かに震えていた。


「開始します」


 リュカの声と共に、ステータス削除のプロセスが進行する。


 数値が消える。スキルが消える。称号が消える。


 ──最後に、名前すら。


【現在:無名(ステータス・0.0.0)】



 沈黙。


 つばきが、目を見開いた。


 その顔には、涙が流れていた。


「……でも、まだ、“わたし”がいる」


 レンが駆け寄る。


「つばき……」


 彼女は、微笑んだ。


「名前がなくても、わたしはわたし。“誰かに思われてる”って、それだけで、“在る”って思える」


 リュカが、そっと告げる。


「これは仮説だが……“思い出されている記憶”は、“定義よりも深く存在を支える”」


 共鳴とは、記憶の中で“誰かを肯定する力”だ。



 つばきの手が、レンの手を握る。


「ありがと、レン。“わたし”を見つけてくれて」


「……こちらこそ、“つばき”でいてくれて、ありがとう」


 かつての兵装は、名前をなくしてなお、“つばき”としてそこにいた。

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