第28話「無定義世界《ホワイトゼロ》の真実」

 ──コード・アーク地下第七研究層ホワイトゼロ


 ここは、「定義なき社会」を模した、完全隔離型の実験空間だった。


「ようこそ、共鳴者・風見レンくん。ここが“定義消去環境”だ」


 リュカ・ゼロスに導かれ、レンは光のない通路を抜けて、巨大なドーム状の空間に立つ。


 そこには、数十人の男女が生活していた。

 年齢も性別も職歴も、すべて不明。

 彼らの身体には“ステータスコード”の痕跡すら存在しない。


「ここでは、スキルも職業も、数値による能力評価も存在しない」


「それで……秩序は保たれてるのか?」


 リュカは静かに笑った。


「見ての通りだよ。だが、君は気づくだろう。彼らは“別の価値”を生み出し始めている」



 観察ブースから見下ろすその空間では、確かに人々が暮らしていた。


 食料は共同調理班が分配し、建物の保守も自主的に行われている。


 そして何よりも異様だったのは──


「“話し合い”が多い……?」


 レンが呟く。


 誰かが何かを提案すると、必ず数人で円になり、対話が始まる。

 それは“指示”でも“命令”でもなく、ただの“合意形成”。


 まるで、失われた“古代の村”のようなあり方だった。


「“定義”がないからこそ、“言葉”が生きる」


 リュカが静かに言った。


「ここでは、“自分が何者であるか”を、相手に“伝え続けなければならない”。数値や職業に頼れないからこそ、“対話”が生まれる」



 レンは、少しだけその中に入ってみることにした。


 用意された白衣を羽織り、ホワイトゼロの住民たちと同じ空間に立つ。


「君、新入り?」


 話しかけてきたのは、長髪の青年だった。


「まあ、そんなとこ。俺はレン。君は?」


「俺は“ツヅキ”。あんまり意味ないけど、そう呼ばれてる」


 レンは戸惑う。


「意味がないって?」


「定義されてないから。“名乗っても保証されない”。でも、それでも、俺は“名乗りたい”って思った。それだけだよ」


 この言葉に、レンの心がかすかに揺れる。



 ツヅキはレンを案内してくれた。


「この辺が“水の担当”。井戸は手動だから、汲み上げが大変なんだ」


「それ、スキルで補えたら……」


「そう。ここではスキルがない。だから“やれること”を皆が模索してる。“得意なこと”が、自然と共有されていく」


 そこにあったのは、数値化ではなく、“信頼”と“体感”による役割分担だった。


 ツヅキがふと笑う。


「レン、お前もそのうち“何ができるか”じゃなく、“誰として在るか”を聞かれるようになるぜ」


「誰として……?」


 それは、共鳴支援室でもまだ触れられていないテーマだった。



 その夜。


 レンは宿舎の屋上で、一人空を見ていた。


 定義がなくても、星は変わらず瞬いている。


 ふと、背後から声がした。


「……正直、驚いたよ」


 リュカ・ゼロスが立っていた。


「君は、共鳴支援室という“再定義の象徴”だった。だからこそ、“無定義”という極端な選択肢にどう反応するか見たかった」


「……わからない。ここが正しいとも、間違ってるとも言えない」


「だが感じたろう。人間は、“定義が消えてもなお、自分を定義し直す存在”だ」


 リュカの瞳が、かすかに熱を帯びる。


「我々は今、“人間そのものの在り方”を、再定義しようとしているんだ」



 帰還の前、レンはツヅキに尋ねた。


「お前にとって、“共鳴”ってなんだ?」


「うーん、そうだな」


 ツヅキは笑う。


「“共鳴”ってのは、相手が自分のことを“忘れてない”って、信じられる状態……かな」


「……ありがとう」


 レンは手を振り、施設を後にした。



 その帰り道、レンは思う。


 定義でも、無定義でも、最終的に必要なのは──“存在を、肯定する関係”だ。


 それが、“共鳴”の核になる。


 夜空の下、レンのステータス画面が静かに光る。


【新称号:定義横断者(コーダー・ブリッジ)を獲得しました】


「……俺は、まだ定義の途中だ」

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