第26話 歪力

【第二十五話】歪力


 桜羽と女子生徒の噂は更に広まり続けていた。事態が大きくなっていくと写真は削除されたが一度で回った写真は何者かの手によって再度SNSに流れている。次は二年の誰なのかという捜索が暇を持て余した生徒の中で始まった。

そしてその日の内に桜羽が学年主任に連れられて校長室に入って行ったとクラスの人たちが騒いでいた。根も葉もない噂が飛び交う。聞こえないふりをしていても年ごとの若者はこの手のネタをはやし立てる。

 SNSの写真に写っていたのは生徒だった。もちろんあの日、いろはがみた桜羽と一緒にいた女性ではない。生徒の悪ふざけだといろははわかっていた。

 夏祭り以降、桜羽には授業以外で会っていない。『これは嘘だ!』と生徒側から桜羽を擁護する声を上げればなにか変わるだろうか。良い生徒を演じ続けたまま卒業することができるだろうか。いろはは沸いてくる自問自答を心の中で繰り返した。しかし、学校中を取り巻く熱愛騒動は意外な形で幕引きとなった・・・。


□□□


「ねぇ聞いたっ!?」


 美鈴が登校すると勢いよく教室に向かい声を発した。走って来たのか額にはじんわりと汗をかいている。いつもは授業が始まる直前に来るが今日はまだ時間がある。カーディガンをまくっていた。そしてその勢いのまま先に来ていたいろはと世那の前にやってきた。


「おはよう、美鈴。どうしたの。そんなに慌てて」

「その様子じゃまだ知らないよね!?聞いてよ!!!聞いてよ!!」

「なにが?」

「今そこで教頭と桜羽先生が話してるの聞いちゃったんだけど」


 息を切らしかける美鈴が興奮状態で次の言葉を口にした。


「桜羽先生来年の春に結婚するんだって!!!」


 美鈴の声に教室中がどよめいた。そして離れたところにいた生徒たちもこちらへやって来た。それは数日間に及ぶ噂話を払拭させるほどのものだった。


「美鈴っちそれ本当!?」

「本当!本当!たまたま通りかかった時に聞こえちゃったのっ」

「やっぱこないだのはガセネタだったんじゃん、そうじゃないかと思ったんだよね」

「えー地味にショックー!!私先生好きだったのに~」

「ねぇねぇ次の古典の授業でみんなでおめでとうって言おうよ」

「あっ黒板にウェルカムボードみたいに描く?」

「いろは描いてよ」

「いいね!いいね!あっそれかクラッカーとか使うのはどう?」

「間に合うかな?古典何限目だった?」


 盛り上がるクラスメイトたちの横でいろは愕然としていた。賑やかな明るい声の外側に自分はいた。

 あと数か月、あと数か月と唱えるように過ごしていた日々がいろはの中であっけなく終わりを迎えた気がした。

 いろはの頭にはあの女性の姿が浮かんでいた。夏祭りで桜羽と一緒にいたあの女性だ。


□□□


 その日どうやって一日を過ごしたのかいろはは覚えていない。祝福の声が学校中でしていて耳をふさぎたくなるような気持ちだった。逃れるようにほとんど出入りのない学習室で受験勉強をしていた。校庭の片隅にある紅葉の葉は赤く色を染めていた。


「あの~まだ学習室使いますか?」

「もう少しだけいいですか?あっ戸締りならしておきます」

「じゃお願いしまーす」


 学習室の用務員はカウンターに鍵を置くとさっさと出ていった。気づけば学習室に残っているのはいろはだけだった。校庭から聞こえてくる野球部の掛け声も聞こえなくなっていた。いろはは使っていた本や参考書を元の本棚に戻し返る準備をした。

 静かになった廊下から先生おめでとーという声が聞こえた気がした。今日で何度目だろうか。手から落しそうなった本を持ち直し、目線の位置の段に置いた。窓から差す夕暮れが、校舎を橙色に染めていく。

 いろははカバンを持ち廊下を出た。そして誰もいない廊下を一人で歩いていく。


「はぁ・・・」


 この胸の中に溜まる黒い塊を吐き出したい。ため息をついても胸の支えはとれない。気持ちが晴れることはなさそうだった。長く続く廊下を曲がろうとした。


「あれ小鳥遊さん」


 そこには今一番会いたくない人物が立っていた。それなのにこんなときでさえ頭で考えていたこととは逆にいろはの胸は高鳴った。数日ぶりに会う桜羽はいつもと変わらず微笑みを向けている。


「久しぶりだね。今から帰るの?気を付けてね」


 桜羽は開いている窓を閉めようと手を伸ばした。外から優しく風が吹いて来る。冷たさを持った秋の風だった。


「小鳥遊さん。こないだから元気ないけどなにかあった?勉強とか進路で色々大変だとは思うけど余り思いつめないようにね。小鳥遊さんは頑張り屋さんだから少し心配していたんだ」

「・・・」


 校舎の下から生徒が桜羽に向かい『さようなら』と声をかけていた。ニッコリと笑い手を振る桜羽。自分に向けられているものと同じ優しい微笑み。おどけたように『おめでとー』と続いた。少しはにかみながら桜羽は『ありがとう』と返している。


「・・・先生」

「ん?」


 声が震えていた。いろはは乾いた唇をギッと噛み締めた。

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