第4話 片時

 長かった一日の授業が終わると、その開放と共に教室は賑やかな声が飛び交っていた。帰りの支度をしながら、どこかへ寄ろうと誘い合う声や、部活動に向かう生徒たち。


「じゃーね~いろは。また明日」

「部活頑張ってね」

「うん。また明日ー!」


 いろはが教室を出ると、カバンの中でスマホが揺れた。画面には昼休みに呼び出された男子生徒からのメッセージ通知が表記されていた。メッセージの内容は『返事が欲しい』というものだった。画面を見ながらどう返事をするかを考えた。こんな自分に好意を抱いてくれたことになぜか申し訳なく感じる。障りのない文章で断ろうと階段を下りながらメッセージを打ち込んでいく。


「コラ、歩きスマホはダメだよ」

「先生っ!ごめんなさい」


 階段を上ってくる桜羽と鉢合わせした。いろはは送信完了を見届ることなく、素早くスマホをカバンへ放り込んだ。


「気を付けます」

「はい。危ないからね。今から部活?」

「はい、そうです」

「そうだ、指は大丈夫?」


 忘れかけていたことを思い出し、突き指した手を動かした。桜羽に貼ってもらった湿布の角が少し取れかかっている。


「はい。大丈夫です」

「良かった。今日は職員会議で部活に顔出せなくてね。美術室の戸締り頼んでもいいかな?」

「わかりました。みんなにも、そう伝えておきます」

「ありがとう。頼りになる部長さんで僕は助かるよ。あ、そうだ小鳥遊さん今年は夏合宿どうする?例年通り山中湖辺りへ写生しに行く予定だけど。三年生は受験もあるから自由参加にしていてね。白峰(シラミネ)さんもどうするか聞いてる?」

「私は行く予定ですけど・・・白峰さんにも聞いておきますね」

「ありがとう。頼むね」

「はいっ」


 いろはは桜羽から美術室の鍵を受け取ると急ぎ足で向かった。ゆるみきった口元を手で隠した。高揚していく体は鼓動がリズムを奏でるように流れてとても軽い。二人だけで話せた、ただそれだけで嬉しかった。桜羽との些細なやりとりがいろはの日常を彩付けていく。

 美術室の前に着くと、気持ちを落ち着かせるために一度深呼吸をした。ドアを開けると油絵具や紙などの美術品特融の匂いが漂った。美術室には既に部員が集まっていた。


「あっ部長来た」

「いろは先輩!今からデッサン始めるんですけど、今日はなにが良いですか?」

「そうだなー久しぶりに石膏とかにしてみる?」

「いいですね!石膏久しぶりです」

「えー石膏ですか?面倒臭いですよ」

「文句言うな、桃山(モモヤマ)!手伝いなさい」

「へぇ~い」


 美術部員は全員で五名。三年は部長のいろはと副部長の白峰のみ。二年は桃山と小波(サザナミ)の男女ペア、一年は堀之内(ホリノウチ)のみと、部員数はいろはが入部したときと変わっていない。


「堀之内君は石膏の場所どこにあるか知ってる?」

「はい。こないだ授業で使ったんで」

「そっか、だったら大丈夫だね」

「おーいっ堀之内!知ってるならお前取りに行けよ!後輩なんだから痛っ」

「堀之内君はいいのー!入部したばかりで、わからないことも多いんだから。せっかく入部した貴重な一年なのよ。もっと丁重に扱いなさい」


 後ろにいた小波が桃山の頭を小突くと大袈裟に頭をガードする桃山。憎まれ口を言い合いながらも二人は石膏を取りに美術準備室に向かう。そんな姿をいろははいつも微笑ましく感じていた。


「ごめん!遅れた」


 勢いよくドアが開くと、慌てて白峰が入って来た。走って来たのか少し息が乱れ、くせ毛のウェーブが広がっている。


「私も今来たところだから大丈夫だよ。今日のデッサンは石膏にしようと思って」

「わかった。準備、準備っと」

「あっそうだ白峰さん。さっき桜羽先生が、今年の夏合宿どうするって聞いてたけど白峰さんはどうする?」

「もうそんな時期か」

「私は最後だし行こうかなって思ってるけど」

「私も行きたいな。でも夏期講習もあるし・・・親に聞いてみなきゃ」

「そうだよね。わかった。一旦、桜羽先生にもそう伝えておくね」

「えっ小鳥遊さんその指どうしたの!?」


 白峰が手早くエプロンをし、準備を進めている中、いろはの指に湿布が貼ってあること驚いた。


「今日体育の授業バレーで軽く当たっちゃって」

「ちょっと大丈夫?」

「うん。動かせるし、痛みもひどくないから」


 桃山と小波が石膏を教室の中心に用意すると、各々好きな位地に椅子を置きデッサンが始まった。白いビーナス像は創立からずっと活躍しているらしく、よく見ると所々に傷や黒い汚れがある。長年活躍してきた証。最初は真っ白に綺麗なはずだった。

 黒鉛が紙に擦れる音、部員の視線がビーナス像に集中する静かな空間。いろはが入部した当初、なんとなく居心地がいいと感じたあの空間は今も同じように存在している。歪だった線も奥行きのない空間も今では少しだけ上手く描けるようになった。

一日、一日と描いてきたように、いろはの中で桜羽に対する思いも膨らんでいった。これは恋で好きだと確信するのに時間はかからなかった。日を追うごとに好きを実感していった。

 手を動かす度に見える湿布。誰にも言うことのない思いを胸にしまいながら保健室でのできごとを思い返した。

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