マイナス1℃の初恋は夏空に消えていく
May
第1話 秘密
この恋の結末はわかっていたはずなのに
どうして私はこんなにも
こんなにもあの人に惹かれていくんだろう・・・。
□□□
ゴールデンウイークも終わり高校生活最後の夏が始まろうとしていた。昼休み、小鳥遊いろは(タカナシ イロハ)はいつものように友人たちとお弁当を食べているとスマホにメッセージが届いた。
呼び出された渡り廊下は太陽が照り付けていて日陰に入らないと暑さを感じた。柱の向こう側に人影を見つけた。
「その・・・前から良いなって思ってて。なんつーかさ・・・。だから好き。そんで付き合って欲しい」
「え、私を?」
「小鳥遊のこと呼び出したのに、他に誰がいるんだよ」
「いない・・・ね。えっ私を好きなの!?」
「だから、そう言ってるだろ」
「ごめん。びっくりしちゃって・・・」
いろはの前には少し頬を赤らめた同級生の姿。夏の大会で忙しかったのか、制服から出た腕は小麦色に焼けていた。彼は何部だっただろうかといろはは思い出そうとしたが思い出せそうにない。聞いたこともなかったかもしれない。自分に向けられている視線と言葉。どうすればいいのかと、足元に目をやると上履きに蟻が横断していた。
「で?」
「ん?」
「だから返事。いいのか、どうなのか」
「あっそか、そうだよね・・・。私なんかでいいのかなってビックリしちゃった」
「今、付き合ってる奴とかいないんだろ?」
「うん。いないけど」
「だったら」
男子生徒は返事をしないいろはに痺れを切らしてにじり寄った。一歩、二歩と距離をつめてくる。思わず後退りするいろは。想像していなかった事態にどう切り抜ければいいのかわからない。傷つけない断り方を探してみるが上手い言葉が見つからない。
そのとき助け船のようにチャイムが校内に鳴り響いた。
「あっごめん!私、次移動教室なのっ!また後で」
「えっ?待っ、待てって!」
「ごめんっ」
響き渡るチャイムの中いろは駆け足で校舎へ戻って行く。残された男子生徒はいろはを呼び止めようとしたが、その遠ざかっていく後姿を見つめるしかできなかった。
少年の青い恋心は返事もなく終わってしまった。
□□□
五時間目は体育の授業だった。開始寸前に間に合ったいろははじんわり滲みかけた額の汗をタオルで拭った。
クラス三チームに分かれてバレーボールの対抗試合が始まった。ボールの弾む音と振動が同時に体育館に響いてくる。最初の二チームの対戦をコート外で見学しながら友人の栗林美鈴(クレバヤシ ミスズ)と泉世那(イズミ セナ)に先ほどのできごとを話していた。
「告白された!?誰に?」
「よくわかんないけど、確か三組の人だったかな?」
「かなあ?いろはさーん、それすごく失礼だぞ。せっかく意を決して告白してきたのに」
「だって本当によく知らない人だから。最近、連絡するようになって・・・話したことも全然ないよ。はぁ、告白なんてされたの初めてだったからビックリした~思わず逃げて来ちゃったよ」
食い気味でいろはに話を聞いたのは美鈴だった。黒髪のストレートヘアーを高い位置で結んでいる。猫目の丸い目が吊り上がっていた。どうやらいろはの対応に、納得がいかない様子だった。更に聞き出そうとするが、隣にいた世那がそれを止め先に質問を投げかけた。いつもなら仲介役はいろはの役割だが今回は世那のようだ。
「付き合わないの?」
「まさか!付き合わないよ」
「えーつまんない!高校生活最後のチャンスだったかもしれないのに!」
「いろはちゃんは好きな人とかいないの?」
「好きな人かー・・・」
試合を見ていると白いバレーボールが綺麗に弧を描きながらネットを越えていく。すると次の瞬間強烈なスパイクが飛び、相手コートへと叩き付けられていた。バンッと振動する床に歓声が沸いた。三人も拍手を送った。
「この中で三年間ずっと彼氏いないのいろはだけだよ」
「うん?・・・あっ本当だ。でも今年は受験生だし。恋愛してる場合じゃないかなって」
「それとこれとは話は別でしょう!もういろはったらそういうことに疎いんだから」
「でもいろはちゃん本当は好きな人いたりして?」
世那のおっとりとした口調から出された言葉にヘラヘラとしていたいろはの笑いが止まりかけた。
「えっなにそれ!なんで私たちに教えてくれないわけ!?この薄情者っ」
「いっ、いない!いないって!」
いろはは慌てながら美鈴に向かい両手を前へ出し降参ポーズを見せた。ピピッーと試合終了の笛が鳴った。見学をしていた三人は負けたチームと交代しコートに入った。相手チームにはバレー部主将がいる。大きな声で挨拶をすると試合が始まった。バレー部主将は素人を相手に本気さながらのサーブを打ってきた。速さと重みを兼ね備えたスパイクがドンッと足元に低く弾んだ。
「うあ~ん!取れないよ」
「そんな直ぐあきらめないのっ世那!あっいろは、そっちいったよ!」
「トスで回して!」
「はーい」
いろはは頭上に落ちてくるボールをつなげようとボールの下で構えた。指を開きハの字にして待っている。今だ!そう思い腕を力いっぱい伸ばした。しかしボールとの距離感が合わず、落ちてくるボールに対し動作が遅れてしまった。慌てて指先に力を入れると、薬指にだけに固いバレーボールが当たりそのまま落ちてしまった。
「やったー!!まずは一セット先取!!」
「さすがキャプテン!このまま全勝目指そう」
「いろはちゃん大丈夫?今、指当たったんじゃない?」
「痛たた・・・」
「ちょっともしかして突き指?冷やしてきた方がいいよ。腫れたら部活できなくなるよ」
自身の運動能力の鈍さに苦笑するいろは。ボールが当たった薬指に痛みが訪れてきた。
「ごめんっ!小鳥遊さん大丈夫?」
「うん。大丈夫だよ。私がミスったせいだから気にしないで。ちょっと冷やしてくるね」
バレー部の主将は眉毛を下げ、申し訳なさそうに謝った。運動神経のない自分が悪いのであって決して彼女が悪いわけではない。後ろめたさを抱きつつ、いろはは教師に許可をもらい保健室へ向かった。
授業中の廊下はとても静かだった。見慣れているはずなのに初めて見るような不思議な空間。休憩時間には大勢の生徒がいる廊下が今は誰の声もなくひんやりとしている。遠くから微かに授業の音が聞こえる程度だった。保健室の前にやってくるといろははドアを開けた。
「失礼します。先生ー・・・あれ?誰もいない」
いつもなら先生がいるはずだった。窓が開いていることから少しだけ席を外しているのかもしれない。突き指くらいで呼びに行くのも気が引ける。その内戻って来るだろうと、いろはは棚を見渡し『湿布薬』とラベルシールが付いた棚から湿布を取り出した。
「あ、その前に冷やした方がいいのか」
保健室にはツンとアルコールの匂いが満ちていた。五月の水温はまだまだ冷たい。ボールが当たった指を見ると少しだけ赤みを持っている。美術部員のいろはにとって指の負傷は致命的だった。それに今は卒業制作に取り掛かっている時期。三年間の集大成ともいえる卒展作品を描いている最中だった先ほどクラスメイトが無様な姿を見て笑わなかったのは、美術部員が指をケガすることへの配慮も込められていた。
「う~ん。これくらいなら大丈夫かな」
突然、ノックもなくドアが開いた。保健の先生が戻って来たと思い、いろはは指を冷やしながらドアの方へ身体を仰け反らした。
「先生、私突き指を―――」
「あれ小鳥遊さん?ごめん、誰もいないかと思って僕ノック忘れたよね」
「桜羽先生!」
入って来たのは保健の先生ではなく美術部顧問の桜羽だった。
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