今日もまた平凡な日常を

夏野 碧

今日もまた平凡な日常を

 電車の音とホームに流れる到着を告げるアナウンス、夏休み明けの少し気だるそうに友達と会話をしている学生、誰かと通話しながら何度も腕時計を確認しているサラリーマン。いつもと変わらない日常が目の前に広がっていた。今ではもう当たり前となった憂鬱で騒がしくも静かな朝の光景だが、雨が降っていたせいか心做しかいつもよりどんよりとしている。


 電車の扉が開くと並んでいた人たちが一斉に吸い込まれていく。私はパソコンやルーズリーフが入ったショルダーバッグを肩にかけ直し、人の流れに乗りながら定位置に向かった。朝のこの光景を見慣れているとはいえ、人の多さに息苦しくなる。大学の最寄り駅まで数十分かかるが、この状態で席に座ると人の圧を感じるため、降りる人が多い駅を過ぎるまでは立ったままでいようと決めている。




 みんな各々の場所に着くやいなや、本を読み始めたりスマートフォンに目を向けたりする。時々あたり前のことだが、ここにいる人全てにそれぞれの人生があるんだよなと考えることがある。他人の人生を羨むほど退屈な日々を送っているわけではないが、みんなはどんな人生を歩んでいるのか気になってしまう。

 全て上手くいく人もいれば、なかなか努力が実を結ばない人もいるだろう。もしも自分の人生が何も上手くいかず、他人の人生ばかり羨むようになった時。私はどうするのだろうか。

 全てを諦めてもう一度最初から始めたいと思うのか。いっそ何もかも投げ出して静かな部屋の中で死んだように眠り続けるか。


 今はインターネットの世界に行けば簡単に誰かの人生の一部を覗くことができる。それがその人の素なのかはわからないが、画面をスワイプする度にキラキラと輝いている写真や動画を見ると、自分のただの平凡な日常がくすんで見えてしまうのは事実だ。これでいいと思っていたのに、毎日にどんなに些細なことでもいいから特別が欲しくなってしまう。


 明日に期待出来なくなっても、眠れば勝手に明日が来る。これがどんなに素晴らしいことか、と誰かは言う。


 多くを望まず、過度に期待はせず生きる方が上手く生きていけるのだろうが、どうしても期待してしまう。

 誰かが自分の人生に「いいね」をしてくれるような生活が出来たらなんてよく考えるが、結局誰からも評価されないこの日常が居心地いいと感じている自分がいる。


 もしも今、これまでの思い出を書けるだけ書きなさいという課題を出されたら、何ページ分の思い出を書けるのだろう。楽しかったこと、辛く苦しかったこと全てを書き出してもきっとすぐ手が止まり、まだこれっぽっちしかないのかと思ってしまいそうだ。


 こうなればいいと願っていても明日はどんな日常になるのかはわからない。笑っているかもしれないし、泣いているかもしれない。わからない、知らないことは不安になる。だから私は不確かな明日を期待しない代わりに、確かな今に期待する。これが平凡な日々を過ごす私の生き方だ。




 そんなことを考えながら揺られているとホームに着き、人でいっぱいだった車内に数えられる人数だけを残し扉が閉まった。

 私はいつもの席に座り一息ついた。自分が降りる駅に着くまで音楽を聞こうとバッグからワイヤレスイヤホンを取り出したが、ケースを開けると肝心の本体が入っていなかった。まぁこんな日もあるよな、とそっとバッグに戻し横に流れる見慣れた景色に目を向ける。

 周りの人はみんな下を向いていた。この中で外の景色を眺めているのは私だけのようだ。


 だから、いつもの日常には無い大きな虹に私以外の人たちは気づいていなかった。


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今日もまた平凡な日常を 夏野 碧 @72no_aoi

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