第6話
有田は気がついた。記憶を取り戻し、感情を取り戻していくことが苦しいことであると。間国で出会う人たちとの会話を通し、取り戻した記憶は、思い出したくない、思い出してはいけない記憶なのではないかと思えていた。
死んだのに、今更ながら記憶を取り戻すことに意味はあるのだろうか。自分の教え子の人生を奪ってしまったかもしれない。恐ろしい映像を見てしまったが故に、これ以上はこの世界での会話は避けた方が良い、記憶を取り戻さないよう、じっとしていた方が良い、そう思うようになった。いや、そう思おうとしていた。
ここまで記憶と感情を取り戻してしまった有田は、時すでに遅し。ここまで知ったのなら結末まで知りたい。漫画を三、四巻まで読んで満足する人がいないのと同じように、読破したいと思うようになるのは当然だった。
間国というのは、天国にも地獄にもなり得る。生前の記憶と感情を完全に捨てた状態でいられれば、快楽も痛みも何も感じない無の世界にいられる、ある種の天国のようなものだ。
しかし、中途半端に取り戻してしまうと、中途半端な快楽と痛みに永遠に苦しめられ、地獄に思えてくる。
今の有田にとっては、まさに地獄。中途半端に記憶と感情を取り戻してしまった所為で、この世界で最も苦しみを与えるであろう「好奇心」という欲を取り戻してしまっていたのだ。
今の有田には、あの時三木が逃げた理由を理解することができた。三木は、間国が地獄と化す未来を予測していたのだろう。有田と話すことで重要な記憶を取り戻してしまう、それを恐れたのだ。
記憶に色をつけるということは、心を取り戻すということ。それは、白黒の間国で過ごすものにとっては、あまりにも眩しすぎる。
有田の足は止まった。三木を追って良いのかと躊躇った。二人が再び会うことは、三木にとって地獄の始まりとなる可能性がある。それを完全に否定できない以上、追ってはいけないのだろう。
「もし完全に記憶を取り戻したら、三木さんは天国と地獄どっちに行くのかな……」
有田は、ふと疑問に思った。そして同時に、疑問が湧いてしまう地獄を味わうこととなった。
やはり有田は、三木の記憶を知り、自分の過去を知りたいという「好奇心」に駆られ、動かずにはいられなくなっていた。三木に迷惑がかかるかもしれない。それが分かっていても、どうしても知りたいという欲に押し潰されそうになり、地平線をただ眺める生活には戻れなくなっていた。
「わたしを避けるということは、三木さんは地獄に行くのかもしれない。それを恐れているのかもしれない。だから、ここにいる方がまだマシなんだと思っているのかな……。でも、わたしはどうしても知りたい。三木さんを地獄に送ってしまうかもしれないけど、わたしは自分の犯した過ちを知りたい。わたしはきっと地獄へ行く。一緒に地獄へ行こうって言ったら、三木さんは納得してくれるかな……」
有田は、両膝と両手を砂に着き、ずぶぶと沈む親指の爪半月を見つめながら呟いた。
「三木さん、ごめんなさい。わたし行きます」
そう呟く頃には、すでに歩を進めている状態だった。その背後には、夥しい数の足跡が砂地に刻まれていた。
闇雲に歩を進めるということはしなかった。有田は、周囲をキョロキョロと見渡しながら、白装束のものたちの間を抜けていた。
「あ、いた……」
彷徨う能面たちに紛れた奇怪なもの。砂地に伏して手を突っ込み、ゴソゴソと弄る長い黒髪。
有田は、分かっていたのだ。何かを所持しているもの、奇怪な行動をとっているものは、少なからず記憶を取り戻しているものであり、意思疎通が容易である可能性が高い。田中、吉野、相田がそうであったように。
有田は近づき、声をかけた。
「あの……ヘルメットを被った男性を見かけませんでしたか?」
有田に声をかけられたものは、地に伏せたまま、目をぎょろっとさせて有田を見上げた。はっきりとした眉毛に浅黒い童顔、その顔立ちから、日本人でないことは明らかだった。有田を見上げるように睨んだまま黙っているのは、恐らく言葉が通じていないからだろう。
「えっと……ドゥユーノウ……ガイ……ヘルメットってヘルメットだっけ……?」
「しっ! 静かに! ちょっと待って……」
有田があたふたと言葉を探していると、突然、囁くような声で日本語が聞こえてきた。
「グワッシャ!」
「ほーら獲れた! ラプラプだ! やったぁ!!」
彼女の親指を咥えた真っ赤な巨大魚が、大きな砂柱を立てながら飛び出し、彼女の胸の中でびたびたと暴れている。彼女は屈託のない笑顔でラプラプを抱え、有田の方を向いた。
「ごめんね、無視しちゃって」
「いえ。日本語分かるんですか?」
「ん? いや、分からないよ」
「……でも通じてる」
「ほんとだね。何でだろ?」
彼女は、ラプラプを砂に放流しながら明るい声色で言った。
死人に国籍はない、つまり言語はない、そういうことなのだろうと有田は思った。実際そうでなかったとしても、食欲も睡眠欲も性欲もないこの世界の不思議など、今更何も驚きはしなかった。
唯一驚いたことといえば、すでに感情を取り戻していそうなのに、天国にも地獄にも行っていないものが目の前にいることだ。有田は、笑顔で間国にいるものを初めて見た。
「わたしは有田萌です。日本人でした」
「ウチはカリヤ、二十二歳。フィリピン人」
「今まで誰かと話しましたか?」
「いや、誰とも。あなたが初めてだよ」
「そうですか」
有田は少し首を傾げ、更に質問を続けた。
「生前の記憶は?」
「うん、あるよ。あるっていうか、気がついたら色々思い出してた。ここに着いたばかりの頃は、こんなことあったなとか、覚えてることもあったけど、ほとんどがぼやぁっとしてたかな」
「わたしと、いや、みんなと同じだよね……。何て言っていいか分からないけど、人間のままここに来たみたいな、そんな感じがするなぁ……」
有田がぶつぶつと独り言を言っていると、カリヤは長い髪を掻き上げ、腕に掛けていた質素な赤いヘアゴムで結い、再び砂地に伏せた。
「今度は何が獲れるかな」
カリヤは、右手をずぶずぶと砂の中へと突っ込み、舌舐めずりをしていた。
「ずっと魚を獲って遊んでいるのですか?」
「そうだね。フィリピンでは見たことのない魚がたくさん獲れるから面白いんだ。ここは天国でも地獄でもないって言ってたけど、こんな面白い場所、天国以外の何ものでもないでしょ!」
「獲りたいって思う……? 他にやりたいことはないのですか?」
「んー、ないかなぁ。あ、いた! おりゃ! お、ウニが獲れた!」
はしゃぐカリヤの側に、有田は膝を抱えて座った。カリヤは、有田というギャラリーがいるからなのか、成果を見せびらかすように、有田の目の前に獲った魚介類を積んでいた。
「萌は、日本人って感じがするね」
「え……?」
「すっごいシャイに見えるよ」
「まぁ、そうかもしれないですけど。この世界で、そんなテンションでいられるカリヤさんが稀なんだと思いますよ」
「え、そうなの? あと、その固い感じの言葉やめてくれない? 何かむずむずする」
「……うん。分かった」
カリヤは、白装束の至る所についた砂を払い除けて、有田の隣に腰掛けた。
「ここはここで楽しいよ」
「フィリピンの生活は楽しかった?」
「うん。ウチ、十二人家族の次女なんだけどね、みんな仲良くてさ。寝る時は弟と妹たちに囲まれてた。狭くて暑かったけど、幸せだったよ」
「カリヤは、どうして死んだの?」
「分かんない。でも、正直いつ死んでもおかしくない環境にはいた。ウチ、スモーキーマウンテンで暮らしてたからさ」
スモーキーマウンテン。フィリピンのスラム街にある巨大なゴミ山だ。カリヤはそこで、薄い板と布でできた倒壊寸前の小屋で家族と暮らしていたようだ。両親、姉、カリヤの四人で、八人の子どもたちを養わなければならず、ゴミ山から拾ったものを売り歩いたり、野菜の皮剥きの仕事をして日銭を稼ぎ、その日暮らしのような生活を何年も送ってきたらしい。
悪臭立ち込める環境で、銃声が鳴り響いたり、大火事で逃げ回ったり、日々生きるか死ぬかの最中で戦ってきたカリヤだが、辛いと思ったことはなかったと話していた。
「家族と毎日いられるだけで良かったんだよね」
「そっか」
「でも、死んだ理由で思い当たる節があるとすれば、たぶん感染症だと思う。数日間、ずっとお腹がキリキリ痛かったんだよね。でも、仕事休んだらお金貰えないし、ご飯が食べられなくなるから、我慢して仕事してた。そしたら咳が止まらなくて、熱も出てきて。そのまま倒れて死んだんだろうね」
カリヤは、伸ばした足をバタバタさせながら言った。
有田は、相変わらず膝を丸めて抱え、地平線を見つめながら聞いていた。
「死ぬの怖くなかったの?」
「うん。怖いとか思う暇がなかったもん。今日頑張れば、このお金で家族みんな、ご飯が食べられる。毎日毎日それしか考えてなかった」
有田は、恵まれていた自身の生活からは程遠い話で共感できず、反応に困っていた。
有田がかける言葉を見つけられず黙っていると、カリヤは質問を返した。
「萌は何で死んだか分かったの?」
「いや、分からない」
「自殺じゃない? 日本人多いんでしょ?」
カリヤの言葉は、有田の癪に障った。カリヤの気の抜けたような能天気な喋り方に対してなのか、他の理由なのかは分からないが、有田は即座に、キッとカリヤを横目で睨むようにした。
「どういう意味?」
「そのままの意味だよ。ウチの亡くなったおばあちゃんが昔日本に行ったことあって、自殺者が多い国だったって驚いてたんだよ。その話を聞いて思ったんだよね。ウチより断然裕福な暮らしをしてるのに、何で死にたくなるんだろうってね」
「死ぬのに貧富の差は関係ないよ」
「そうかな? 裕福であればあるほど、頼れるものがたくさんある気がするけど。ウチは家族だけだったけど、日本人は家族の他にも頼れるものはたくさんあるでしょ? 学校の先生、警察、医者、弁護士とかさ」
「カリヤと違って、家族になんか言えないよ!」
有田は、声を荒げて立ち上がった。
カリヤは、そんな有田を不思議そうな表情で見上げた。
「何、どうしたの急に?」
「いや、ごめんなさい……。何でもない」
ピリッとしたのは空気だけではなかった。有田の脳内を、ピリッと刺激が走っている。自分が吐いた「家族になんか言えない」という言葉、どこかで聞いた覚えがあった。有田は思い出そうとしながら、静かに座った。
「カリヤはさ、いじめられたことある?」
「そんなのしょっちゅうだよ。マニラの都市部の奴らから、貧乏だの臭いだのゴミ山の住人だの揶揄われたり。あいつら、それを面白がるためだけにやってくるんだ」
「ゴミ山の住人……。何てこと言うの。ほんとひどいね」
「まあそういう時、パパがフライパンでそいつらを殴って追い返すんだ。あれが爽快だった。でも、何でそんなこと聞くの? 萌もいじめられてたの?」
「いや。わたし、学校の先生だったんだけどね、生徒がいじめられている記憶を取り戻したの。でも、わたしはそれを見て見ぬふりしたみたいで」
有田は、ぎゅっと身体を縮こめるようにした。
「その子がどうなったのか知りたくて、記憶を取り戻そうとしてるの。それでヘルメットを被った三木さんって人を探してるんだ」
カリヤは砂に絵を描きながら、有田の話を聞いていた。一通り有田の話を聞いたカリヤは、描いた絵を箒で掃くように手で消しながら言った。
「なるほどね。でもさ、その記憶を取り戻してどうするの?」
「どうって……」
「萌はここにいるでしょ? でも、その子は死んでるか生きてるか分からない。生きてたとしたら当然ここにはいないし、死んでても、天国か地獄にいるかもしれないじゃない?」
有田は足元の砂を見つめ、じっとしていた。そんな有田を他所に、カリヤは少々早口で続けた。
「萌がここに来てしまった以上、記憶を取り戻したところで何もできることはないんだよ? 思い出したとしても、天国にも地獄にも行けないかもしれない。ウチが思うに、萌は何もしなかったことを後悔してるんでしょ? その後悔を抱えたまま永遠にここにいるって、なかなかの地獄だと思う。もしかしたら、もうすでにそう感じてるのかもしれないけど」
有田は図星を指され、抱えていた膝を更に強く抱えた。
「やっぱり萌は日本人って感じがするよ。こう言うとまた怒られるかもしれないけどさ、やった後悔よりやらなかった後悔、日本人は後者の方が多いって、おばあちゃんから聞いたよ」
有田はただ黙っていた。二十歳そこらの女の子の指摘は、あまりにも的確だった。ぐうの音も出ず、人体の限界まで身体を丸めることしか有田にはできなかった。
「何でその時に助けてあげなかったの? ウチのパパみたいに、殴るなんてことはできなかったかもしれないけど、他にできることはあったでしょ?」
有田が下唇をぎゅっと噛む。
「もしそうしてたら、その子は楽しい学校生活を送っただろうし、萌だって罪悪感に苦しめられずに済んだかもよ?」
有田が抱えた膝の中に顔を伏せる。
「いじめっ子はもちろん悪いけど、何もしなかった萌も……」
「もういいよ……」
有田は、カリヤを制すように、弱々しい声を出した。
「分かってる……。もう今更何もできないって分かってるけど、ちゃんと知りたいの。どんな過去だったとしても、受け止めなきゃ。いじめを見て見ぬふりしたのは事実。その罪を犯してしまったのだから、その罪悪感に永遠に苦しめられても構わない。それが、あの子に対しての償いになるなら」
カリヤは、細々と喋る有田をじっと見つめていた。そして聞き終えると、前面に広がっている地平線を見つめ、しばし沈黙した。
風もなく、側を通り過ぎるものが砂を掻く足音しか聞こえない、そんなしけた空気が二人を包み込む。
しばらくの沈黙の後、カリヤはため息を吐くように、ふぅっと長く息を吐き、笑顔を見せた。
「まあ、死んでも尚、その子に償いたいと思っているのは素晴らしいことなのかもね。だって、生きてる他の先生たちは、その子を助けようともしないで、何食わぬ顔して過ごしているかもしれないんでしょ? そんな先生より、萌の方がいいかも」
そう言ってカリヤは、足をバタバタさせながら続けた。
「ねえ、学校ってどんなところ?」
カリヤは、今までの気まずさがなかったかのような言動で有田に触れた。
有田は伏せていた顔を上げた。有田自身、自分の出した答えに多少の煮え切らなさを感じていたこともあり、話し出すことができなかった。だから、カリヤの優しさからくる気遣いなのだろうが、気まずさを払拭しようとしてくれたことに感謝していた。
有田は、日本での生活、教師という仕事、間国に到着してから今に至るまで、聞かれたことで思い出せることは全てカリヤに話した。
カリヤは興味深そうに、うんうんと頷きながら聞いていた。
「へえ、いい国だね、日本って」
「そうだね。ところで、わたしからも聞いていいかな? 何でカリヤはずっとここにいるの?」
「へ? どういうこと?」
「あ、いや……。何て言っていいか分からないんだけど、カリヤみたいに記憶と感情を取り戻した人はみんな、天国か地獄に行ったからさ」
「さあね。何か思い出してないことでもあったかな……」
カリヤは、天を仰ぐように砂の布団に倒れ込んだ。そして、星一つない万古不易で真っ黒な空を見つめたまま考えていた。
「家族との思い出とかは?」
「全部覚えてるよ。川で泳いだり、ゴミ山登ったりさ」
「そっか。カリヤは家族思いだもんね」
「もちろんだよ。何をするにも一緒だよ。このヘアゴム、ママがくれたんだ! 可愛いでしょ?」
「うん、可愛い。カリヤの家族か。きっとみんな優しくて、たまに厳しくて、思いやりがある人たちなんでしょうね。会ってみたかったなぁ」
「そうそう、みんなウチにそっくりでさ。喧嘩は絶えないし、怒られたりもするけどね。きっとみんな萌を歓迎すると思うよ! あ、じゃあさ、今から家においでよ! 狭くて汚いけど、さっき獲ったラプラプをご馳走するから! それに……えっと……あれ……」
勢いよく起き上がったカリヤは、食い入るように有田に近づいた。語気は徐々に明るくなり、そして我に帰るように落ち着きを取り戻した。グラデーションがかかったような起伏の激しい感情を目の当たりにし、有田は目を丸くしていた。
「ああ、そっか。ウチ、友達が欲しかったんだ」
そう呟いたカリヤの表情は、どこか悲しそうだった。静かに有田の横に座り直し、再び呟いた。
「学校に行けなかったから、友達がいなかった。でも家族が常にいたから、寂しくないと思ってた。いや、心のどこかでそう思おうとしてたのかも」
有田は、悲しげな表情のカリヤの背中をさすった。明るく振る舞うカリヤしか見ていなかったこともあり、新鮮味を感じたが、すぐにらしくないと思えてしまったのだ。
「ウチ、現世に後悔があったんだ」
カリヤの声色は明るく軽かったが、表情は対照的で重みがあった。しかし、過酷な環境下で生きてきたからなのか、悩んでも仕方がないと、すぐに気持ちを切り替えるように、頬を叩いて笑顔をつくっていた。
「まあいいや。ここなら一人でも楽しめるって分かったし」
そう言ってカリヤは立ち上がり、尻についた砂を払い落として一歩前に出た。
「萌は人を探してるんだよね。なら急いだ方がいいよ」
カリヤはそう言いながら、砂地に伏せた。
再び漁を始めたカリヤの背中を、有田はじっと見つめていた。
その時有田は、心臓のあたりから脳にかけて何かが流れ込んでくるような、込み上げる違和感を覚えていた。そしてそれは、ぐるぐると心臓と脳を行ったり来たり、次第にそのスピードは増し、勢いがついてくるような、そんな感じだった。
そんな回転の勢いに耐えられなくなった何かは、有田の口から飛び出たのだった。
「先生は、友達だと思ってるよ」
有田は呟くようにそう言っていた。有田のその言葉で、カリヤはぴくりと動きを止めた。
「先生……? 違う、わたしか……」
首を傾げながら言い直した有田は、ちらっとカリヤを見た。
口を固く閉じ、唇を横に広げたカリヤが立っていた。有田には、カリヤの目が潤いを纏っているように見えた。まるで、泣くのを我慢しているかのような表情だった。
「ありがとう、萌」
そう言って有田に駆け寄ったカリヤは、座っている有田を押し倒すように抱きついた。
カリヤは満足げな表情を浮かべ、そして笑っていた。
有田はそんなカリヤを見て嬉しく思っていた。
しかし、その心情とは裏腹に、有田は目の光を失ったような悲哀の表情を浮かべていた。
「ズザアアァァ……」
二人の目の前に扉が現れる。
「わあおっ! 何事!?」
カリヤは巨大な扉を見上げ、砂地に尻をずって少し退いた。
「カリヤ・ディーロス・サントス……天国からお迎えがまいりました」
有田の足元から、染み出るように案内役が現れた。ごうんという荘厳な音を立てて扉が開くと、その前で番人のように堂々と浮いていた。
「えー、友達できたばかりなのにもうお別れ!?」
「そんなこと言う人、カリヤ以外、この世界にいないと思うよ」
駄々をこねるように足をばたつかせているカリヤに、有田は諭すように言った。
カリヤは渋々立ち上がると、同じように有田も立ち上がった。
「じゃあね、萌」
「うん」
向かい合う二人は握手を交わした。
「探している人、見つかるといいね」
「うん」
「ウチ、萌と話してて思ったんだけどね、たぶん萌が思っているより残酷な過去じゃない気がする。ウチだったら、萌に勉強教わりたいし、学校に行きたいって思ったはず。絶対に萌は、その子を助けようとしたはず。だから大丈夫だと思う」
「うん、ありがとう」
「もし天国に来たら、必ずウチに会いに来てね」
「うん、絶対行く」
そうして二人は、名残惜しそうに手を離した。
指が完全に離れるまで、だいぶ時間がかかったような気がする。
天国に向かうカリヤは、相変わらずなテンションでずっと案内役と話していた。その声は、微かに有田まで聞こえていた。
「ねぇ、水玉さんはさ……何で……」
「それはですね……私……」
閉じゆく扉の隙間から見えたカリヤの穏やかな表情は、まさに天使だった。
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