余白の窓口
退職してから、三ヶ月が経った。
堂島は、毎朝決まった時間に古い公民館へ向かう。電気すら入っていないその場所に、持ち込んだポータブル電源と折り畳みの机、椅子ひとつ。
その扉の外に、手書きの札がぶら下がっている。
《人間対応・ご相談窓口(非公式)》
行政機能から切り離された場所。だが、近所では少しずつ噂になり、ぽつりぽつりと訪れる人が出てきた。
「AIに電話しても、話が噛み合わなくて」
「通知は来たけど、どうすればいいかわからない」
「誰かにただ、聞いてほしかった」
堂島は何も解決しない。ただ、話を聞く。
ときに一緒に紙を読み解き、ときにその人の話を黙って聞き、ときに「よく分かりませんね」と苦笑する。
正確さではAIに敵わない。だが、「不安」は正しさで解消されるとは限らなかった。
その日、見覚えのある老人が現れた。
かつて区役所に現れた、あの杖をついた初老の男。帽子を取ると、白髪がふわりと揺れた。
「やっぱり、あんたかと思ったよ。こんなとこで、まだ座ってるとはねぇ」
堂島は思わず立ち上がった。
「……お元気そうで。」
老人は椅子に腰をおろし、堂島に目を向けた。
「ここでは、どうだ。役に立っとるか?」
「……役に立ってるかは、分かりません。でも、誰かが困ったときに、『来てもいい場所』にはなってると思います」
老人はふっと目を細める。
「誰かがいるというだけで、助かることがある。……若い頃、よう分からんかったがな。今は、よう分かるわ」
堂島は湯を沸かし、小さな紙コップにインスタントのほうじ茶を淹れた。
二人でそれを手に取り、黙ってすすった。
「人間対応」という言葉は、やがて古語のように扱われていく。
その中で、ごく一部の地域で「堂島式相談所」なる仕組みが模倣されはじめていた。
人間がただ、そこに在ることで、不安を抱える人の居場所になるシステム。
制度の裏。記録に残らない。数値化されない。
だが、そこには確かに「人間が役に立っている」という実感があった。
帰り際、老人が言った。
「本当は、金なんかよりも」
「心が通ったってことの方が、大事だった気がするよ」
堂島はうなずいた。
「……ええ。何も残らなくても、それで良いのかもしれません」
静かな夜の路地を、ふたりは歩いていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます