第6話 第二皇子の噂

「レイ様、起きてください」


ウィノラの呼び声に目を覚ます。

倒れていた身体を起こしてぐっと伸びをする。


「レイチェルお嬢様」


外から聞こえてきたのは侍従兼護衛イーゴンの声だ。

ウィノラに身なりを整えて貰ってから扉を開けると見晴らしの良い草原に到着していた。


「そろそろお昼ご飯にしましょう」


え?もうお昼なの?

送別にと母から貰った時計を見ると時刻は十二時ぴったり。帝国に入ったは朝だったから思ったよりぐっすり眠ってしまっていたらしい。

ウィノラも起こしてくれたら良かったのに。彼女を見ると「よくお休みだったので」と答えてくる。


「レイチェルお嬢様、よく眠ってましたね。もしかして昨日の宿で寝れませんでしたか?」

「七時間は寝たわ」

「寝過ぎじゃないですか?」


これから嫁ぎ先に行くというのに緊張感を持たないからかイーゴンに呆れた顔をされる。

嬉しそうな表情を作るウィノラは「流石はレイチェル様。肝が据わっていますね」と腕を組む。肝が据わっているわけじゃなくて嫁ぐ実感が湧かないだけだ。


「イーゴン、一つだけ言っておくわ」

「なんですか?」

「私だってこんなに眠るつもりなかったのよ」


これは嘘じゃない。でも緊張感を持てないのもしょうがないと思う。帝都に入るまでまだ一週間以上もかかるのだから。

近くなったら私だってもっと緊張するわよ。

じっと見つめられるが事実だ。

見つめ合う事、三秒。イーゴンは腰に手を当てて深く息を吐いた。


「とりあえず涎は拭いた方が良いですよ」

「えっ、嘘!どこについてるの?」

「嘘ですよ」


けらけら笑うイーゴンの肩を軽く小突いた。

淑女に言う嘘じゃないでしょ。

睨みつけていると立ち上がったのはウィノラだった。物凄く良い笑顔で「レイ様、少々お待ちください」と馬車を降りていく。逃げようとしていたイーゴンの首根っこを掴むと扉を閉めた。


「イーゴン、ご愁傷様」


扉の向こう側からイーゴンの絶叫と助けを求めるような声が響いた気がしたけど無視させて貰った。

十分後すっきりした笑顔で扉を開けたのはウィノラだ。奥にはぐったりと倒れ込むイーゴンの姿がある。

物理的な説教を受けたのだろう。自業自得というやつだ。


「お待たせ致しました、レイチェル様。すぐに昼食の準備をさせて頂きますね」

「ええ、お願い」


テキパキと準備を進めるウィノラを眺めていると起き上がったイーゴンがこちらに近づいてくる。


「まったく。私がお嬢様じゃなかったら速攻クビになってるわよ」

「あははっ、レイチェルお嬢様だから言える事ですよ。他のご令嬢だったら言いませんよ」


こいつ、本当にクビにしてやろうかしら。小さい頃からの付き合いだからって調子に乗っちゃって。

それでも許せてしまうのは付き合いの長さゆえだろう。クビにしてるならとっくにしてる。


「レイ様、本日のお昼は奥様のレシピで作ったサンドイッチです」

「お母様の?」


母は裕福とは言い難い伯爵家の娘だった。その事もあって料理上手なのだ。ただあまり表には出さないのは貴族らしくないと言われるのを避ける為であると本人から聞かされた事がある。

出立の日にも作って持たせてくれたのを思い出した。

いつかまた手作りを食べられたら良いわね。


「ウィノラ、一緒に食べる?」

「ご一緒させて頂きます」


誘えば嬉しそうにするウィノラ。暇そうにしていたイーゴンにも声をかければ呑気に鼻歌を歌いながら昼食の場所作りを進めてくれる。

周りにいた他の護衛騎士達にも勧めると嬉しそうに笑ってくれた。


「そういえばお嬢様の結婚相手ってどんな人なんですか?」


三人でサンドイッチを食べ始めた頃イーゴンから尋ねられる。

口の中に入っていた物を咀嚼して紅茶を一口飲むと真っ直ぐ彼を見つめた。


「冷酷って噂の人よ」


エディング・ヴィルヘルム・シュテルクスト。

シュテルクス卜帝国の第二皇子であり、私の結婚相手。

年齢は二十五歳。

黒髪と群青の瞳を持つ美丈夫。

目つきは鋭く、皇子あると同時に軍人でもある体躯は鍛え上げられており逞しい。厳つい外見と低い声から冷たい印象を受ける人。

ただ彼が冷酷と呼ばれる由縁は別にある。

若くして帝国軍の司令官を任せられている彼は『冷鬼の司令官』と呼ばれるほど残酷非道なやり方で戦うらしい。ただし戦勝率を上げるのに貢献している為、彼のやり方に文句を言う者はいないそうだ。

結果、他国にも冷酷という噂が流れている。


「冷酷ですか…?」

「えぇ」

「そんな野蛮な人の妻になるなんてレイ様が可哀想です!」

「良いじゃない、上っ面だけの貴族よりマシだと思うわ」


適当な言葉ばかりつらつら並べる男達よりずっと健全だ。

そもそも相手の事を噂でしか知らないのに今からそんな心配しついても仕方ないとサンドイッチを口の中に頬張った。


「公爵家のご令嬢とは思えない食べ方っすね…」

「どうせ皇族になったら出来なくなるんだから最後くらい良いでしょ」

「はぁ〜。淑女の鑑って呼ばれてる人とは思えないですよ」


公爵家に生まれた私は幼い頃から政治学、語学、他国文化などのありとあらゆる勉学に加えて礼儀作法、ダンスなど淑女として必要な全てを叩き込まれた。その結果、鑑扱いされてる。


「レイ様は体術もなかなかですよね」


護身用として体術、槍術も習わさせられた。実戦で使った事は一度もないけど筋が良いと褒めてもらった事はある。お世辞だったかもしれないけど狙われた時に少しくらいの隙は作れると思う。


「ごちそうさま」

「ご馳走様でした!」

「美味かったです、ありがとうございます」


サンドイッチも食べ終わり馬車に乗り込むと再び走り出した。

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