第5話 出立

まさか住み慣れた屋敷をたった二週間で離れるとは思わなかった。婚儀までにはまだ二週間あるけどそれらは全て移動の時間にあてられる。

両親と兄に見送られたのはもう三日も前の事。

てっきり感動的なお別れになるかと思ったが父は安心したように笑っていたし、母は「ようやくお嫁に行くのね」と喜びを噛み締めていた。ウィルベアトに至っては「良いご令嬢を探してくれ」と再度お願いしてくる始末だ。感動もなにもなかった。

変わり映えしない長閑な景色は幼い頃から見慣れているもの。眺めるのもそろそろ飽きてきた。

ツァールト公爵領と隣国シュテルクス卜帝国は隣り合った位置にある為、そろそろ帝国内に足を踏み入れる事になる。ただ皇族の居住地である帝都は中央に位置する為さらに時間がかかってしまう。

ぼんやり外を眺めていると前方に大きな砦ような関所が構えられていた。どうやらここが国境らしい。簡単な入国検査が行われた後に大きな門を抜けると帝国の景色が顔を見せた。


「帝国に来るのは五年ぶりね」


窓の外は先程までと変わらず長閑な景色が広がっていた。確かここは帝国内でも有数の伯爵家が統治している領地だ。

皇族に嫁ぐ事になると分かっていたらもう少しちゃんと勉強したのに。


「景色はうちの領地と似てるのに落ち着かないわね」


家を離れてからちゃんと寝れてますか?と尋ねられたら「ぐっすりと眠れてるわ」と答えるくらい緊張感のなかった私だけど生まれ故郷である国を離れると流石に不安になる。

他の事でも考えようと頭の中に浮かんだのは結婚相手の事だった。


「一回しか話した事がない相手と仲良く出来る自信ないわ」


私を娶りたいと言ってきた第二皇子とは過去に一度だけ挨拶をした事がある。

冷酷と噂されている彼は確かに冷たい雰囲気を身に纏っていた。


「当然の事だと思いますよ」


私の言葉に深く頷いたのは一緒に来る事になったウィノラだった。先方に手紙を出したところ『侍女も一緒で構わない』と許可を出してくれたのだ。

気を許せる人が一緒というのは心強い。


「この結婚どう考えても裏があるわよね」


じゃないと行き遅れた令嬢など娶りたいと思うはずがない。考えられるとしたら王国との繋がりをより強固なものとする為だと思うがもう十分に繋がりは深いはず。それなら別の国のお姫様を娶った方が利益はあるはずなのに。


「どうして私なのかしら」

「分かりませんが第二皇子がレイチェル様を大切にしないと分かった時点で潰し…」

「ウィノラ、それは向こうで言わないようにしなさいよ」


不敬罪の域を超える発言をしようとするウィノラを睨みつけるとしゅんと肩を落とした。

心配してくれる気持ちは有り難いけど彼女が問題を起こせば主人である私にもツァールト公爵家にも迷惑が掛かる可能性が高い。本人もそれは望まないだろう。


「ふぁ……ちょっと寝るわ」

「畏まりました」


どうして第二皇子が自分を求めたのか。相手に会えば分かるのだろうかと考えても分からない問いを頭の中で繰り返しているうちに眠気が襲ってくる。

長旅で疲れないようにとウィルベアトが敷き詰めたクッションを枕にして、膝掛けをかけて目を閉じればすぐに夢の国に旅立った。


*****


「レイ様、起きてください」


ウィノラの呼び声に目を覚ます。

倒れていた身体を起こしてぐっと伸びをする。


「レイチェルお嬢様」


外から聞こえてきたのは侍従兼護衛イーゴンの声だ。

ウィノラに身なりを整えて貰ってから扉を開けると見晴らしの良い草原に到着していた。


「そろそろお昼ご飯にしましょう」


え?もうお昼なの?

送別にと母から貰った時計を見ると時刻は十二時ぴったり。帝国に入ったは朝だったから思ったよりぐっすり眠ってしまっていたらしい。

ウィノラも起こしてくれたら良かったのに。彼女を見ると「よくお休みだったので」と答えてくる。


「レイチェルお嬢様、よく眠ってましたね。もしかして昨日の宿で寝れませんでしたか?」

「七時間は寝たわ」

「寝過ぎじゃないですか?」


これから嫁ぎ先に行くというのに緊張感を持たないからかイーゴンに呆れた顔をされる。

嬉しそうな表情を作るウィノラは「流石はレイチェル様。肝が据わっていますね」と腕を組む。肝が据わっているわけじゃなくて嫁ぐ実感が湧かないだけだ。


「イーゴン、一つだけ言っておくわ」

「なんですか?」

「私だってこんなに眠るつもりなかったのよ」


これは嘘じゃない。でも緊張感を持てないのもしょうがないと思う。帝都に入るまでまだ一週間以上もかかるのだから。

近くなったら私だってもっと緊張するわよ。

じっと見つめられるが事実だ。

見つめ合う事、三秒。イーゴンは腰に手を当てて深く息を吐いた。


「とりあえず涎は拭いた方が良いですよ」

「えっ、嘘!どこについてるの?」

「嘘ですよ」


けらけら笑うイーゴンの肩を軽く小突いた。

淑女に言う嘘じゃないでしょ。

睨みつけていると立ち上がったのはウィノラだった。物凄く良い笑顔で「レイ様、少々お待ちください」と馬車を降りていく。逃げようとしていたイーゴンの首根っこを掴むと扉を閉めた。


「イーゴン、ご愁傷様」


扉の向こう側からイーゴンの絶叫と助けを求めるような声が響いた気がしたけど無視させて貰った。

十分後すっきりした笑顔で扉を開けたのはウィノラだ。奥にはぐったりと倒れ込むイーゴンの姿がある。

物理的な説教を受けたのだろう。自業自得というやつだ。


「お待たせ致しました、レイチェル様。すぐに昼食の準備をさせて頂きますね」

「ええ、お願い」


テキパキと準備を進めるウィノラを眺めていると起き上がったイーゴンがこちらに近づいてくる。


「まったく。私がお嬢様じゃなかったら速攻クビになってるわよ」

「あははっ、レイチェルお嬢様だから言える事ですよ。他のご令嬢だったら言いませんよ」


こいつ、本当にクビにしてやろうかしら。小さい頃からの付き合いだからって調子に乗っちゃって。

それでも許せてしまうのは付き合いの長さゆえだろう。クビにしてるならとっくにしてる。


「レイ様、本日のお昼は奥様のレシピで作ったサンドイッチです」

「お母様の?」


母は裕福とは言い難い伯爵家の娘だった。その事もあって料理上手なのだ。ただあまり表には出さないのは貴族らしくないと言われるのを避ける為であると本人から聞かされた事がある。

出立の日にも作って持たせてくれたのを思い出した。

いつかまた手作りを食べられたら良いわね。


「ウィノラ、一緒に食べる?」

「ご一緒させて頂きます」


誘えば嬉しそうにするウィノラ。暇そうにしていたイーゴンにも声をかければ呑気に鼻歌を歌いながら昼食の場所作りを進めてくれる。

周りにいた他の護衛騎士達にも勧めると嬉しそうに笑ってくれた。


「そういえばお嬢様の結婚相手ってどんな人なんですか?」


三人でサンドイッチを食べ始めた頃イーゴンから尋ねられる。

口の中に入っていた物を咀嚼して紅茶を一口飲むと真っ直ぐ彼を見つめた。


「冷酷って噂の人よ」

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