代理自殺制度 -少女編-
@Linzofod
第1話 錆びれた日常
蝉の声と共に放課後のチャイムが響き渡る。
教室の窓際が黄金色に染まっていた。
夏の夕暮れ。空はまだ明るく、空気はぬるい。遠くで誰かが部活で吹くサックスの音が聞こえる。
カーテンが揺れ、机の脚がこすれる音がいくつも響く。
生徒たちは荷物を片付けながら、あちこちでお喋りしている。
「ねえ知ってる? C組の子、代理自殺申請したらしいよ」
「え、まじ? 誰が申請で誰が代理?」
「たぶん本人が申請者。相手はネットでマッチングしたって。今日の朝イチで実行されたって聞いた」
話している子たちの声は、明るすぎて不気味だった。
机に伏せていた佐原あいなの耳にも、それははっきりと届いていた。
笑い声。
“申請”という言葉。
“実行された”という他人事のような響き。
(また誰か、死んだんだ)
その感覚は、“悲しい”よりも、“うらやましい”に近かった。
自分の死について考えなかった日は、もう何日もない。
でも、本当に死ねる自信がない。
怖いというより、面倒くさい。
死に方を考えるのがしんどい。
それくらいの体力すら、自分にはもう残っていない。
「……ねえ」
誰かが背後から声をかけた。
「お前はなんでまだ生きてんの?」
あいなは返事をしなかった。
目も開けない。ただ、空気が少しきしむ。
「だって、最近まじで空気みたいじゃん? 幽霊かと思ってた」
「てか逆に、そろそろ申請しないの? してくれた方が楽なんだけど、いろいろ」
「代理自殺制度、ちゃんと使えば死ぬのスムーズだよ? 知ってるでしょ?」
誰かが笑って、誰かが囁く。
それが誰の声だったかは、もう覚えていない。
教室にいる人間のほとんどが、敵じゃないけど、味方でもない。
ただ、観察者。見て、笑って、流すだけの群れ。
あいなは、伏せたまま、机の下で自分の手を強く握った。
爪が皮膚に食い込む。
少しだけ、痛い。
でもそれは、生きてることを実感する唯一の方法だった。
***
その日の夜。
アパートの玄関を開けると、空気は重かった。
湿気と、古い油の匂い。
食事の気配はない。誰も帰ってきていない。
(また今日も)
制服のまま洗面所に向かうと、胃がぎゅっと締めつけられる感覚がきた。
次の瞬間には、喉の奥から胃液が逆流し、あいなは洗面台にしがみつくようにして嘔吐した。
水を出して、吐き気をごまかす。
口をゆすぎながら、鏡を見ると、目が合った。
ぼんやりと濁った自分の瞳。
何日も化粧もしていない。髪も梳かしてない。
「……汚い」
小さな声が口から漏れる。
制服の袖をめくると、リストバンドの下にうっすらと古傷が並んでいた。
赤黒く固まりかけた線と、少しだけ新しい線。
傷は誰にも見せない。
でも、見せたかった時期はたしかにあった。
「つらい」「苦しい」「誰か助けて」って、
本当は毎日、叫びたかった。
でもそれを口にしたら、
「かまってちゃん」って言われる。
「またか」って目をされる。
だから、黙った。
ずっと、ずっと。
スマホを開くと、通知はゼロだった。
Xのトレンドには、
「#代理自殺」「#マッチング成立」「#死ぬ自由」
あいなはぼんやり画面を見て、親指を止めた。
「死にたいなら申請すればいい。自分で死ねないなら、代わりに死んでくれる人がいる。国がそう決めたから。」
その投稿のリプライ欄には、
「助かる人もいるんだからいいじゃん」
「生きたくない人は無理に生かさなくていい」
「死にたいって甘えでしょ? だったら“死ぬ制度”使えば」
……全部正しい、と思ってしまった。
なにも反論できない。
実際、自分が生きていても、誰の役にも立っていない。
「死にたいんじゃない」
「いなくなりたいだけなんだよ」
つぶやいた言葉は、風のない部屋のなかで、ただ消えていった。
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