第3話 拗れたもの
数日後、久しぶりに愛理は実家に帰っていた。
未だに仲のいい湊斗の親と愛理の親が、大勢で食事をしようと計画しているらしい。幼馴染という関係は不思議なもので、愛理がいなくても湊斗が実家でご飯を食べたりもするという不思議な現象がある。今回みたいにみんな集まることも珍しいことじゃない。
ただ、両親の前で恋人のフリをするのは恥ずかしいのだが……。
「あ、今日破局しましたって宣言しちゃってもいいかもなーみんな落ち込んじゃうかな」
愛理は一人でそう呟きながら、少し懐かしい道を歩き、年季の入った実家を見上げた。少しくすんだ白い壁の二階建て。ここでよく湊斗と遊んだものだ。家にあるアルバムだって、湊斗がたくさん写っている。
鍵を使って玄関の思い扉を開けると、賑やかな声が奥から聞こえてきて、すぐに母が顔を出した。
「あ、愛理おかえり!」
「ただいまー」
「湊斗くんもう来てるよ。一緒に来ればよかったのに」
「ま、まあ、時間合わせて待ち合わせるのが面倒だからさー」
靴を脱いでリビングに向かうと、あまり広いとは言えないそこに懐かしい顔が揃っていた。愛理の両親、それから湊斗の両親、それから湊斗。買ってきたらしい寿司を囲んで、みんなが愛理に笑顔を向ける。
「愛理ちゃん! ちょっと久しぶり!」
「座って座ってー!」
相変わらず賑やかな親たちだな、と心で思いながら愛理は自然と湊斗の隣に座らされた。こういう周りの気遣いも、なんだか気まずいんだなあ。
母は冷蔵庫からビールを運んでくる。父たちはすでに飲んでいるらしく、笑いながら話している。
愛理は湊斗に小声で言う。
「みんな変わらず仲がいいねー」
「ほんとだね」
母がビールを持って愛理たちの前に置いた。愛理は早速開けてビールを飲むと、母たちも座ってみんな揃う。
「まずはお寿司食べましょ! たくさんあるからね」
「いただきまーす」
ゆったりとした雰囲気のまま食事会が始まる。愛理が箸を手にすると、隣の湊斗が声を掛けてくる。
「ほら愛理、しょうゆ」
「ありがと」
「追加のワサビ、いるでしょ」
「うん」
いつものように接していると、父が笑いながら声を上げた。
「相変わらず仲がいいなあ! いやあ二人が付き合いだしたって聞いてびっくりしたけど、こんなに長く一緒にいるなんて奇跡だなあ」
「ほんとだよなあ。もう二人も三十かあ。俺が結婚したのは二十五だったかな」
「うちもそれくらいだよ! 湊斗を生んだのが二十後半で……」
また始まった、と愛理はげんなりした。
悪気はないんだろうが、遠回しの『いつ結婚するんだ』攻撃。親として気にならない気持ちもわからないではないが、子供はこういうのが鬱陶しいと思ってしまう。
愛理は何も答えずマグロを頬張った。それとは対照に、湊斗が笑って会話に参加する。
「まあ今と昔は時代もちょっと違うから」
「それもそうだなあ。でも赤ちゃんの頃から一緒なんだから、もう年なんてお前たちあんま関係ないだろう」
「おむつしてる頃からの仲だもんな!」
「仲良くてむぎゅーって抱きしめ合って可愛かったよなあ」
(盛り上がってるなあ……破局したって言いにくいなあ)
愛理は心の中で苦笑いをする。やっぱり湊斗と偽装恋人は失敗だったかもしれない。
するとついに、愛理の父が核心を突いてきた。
「そろそろお前たちも考えてるのか?」
我慢しきれなかったようだ。うずうずと楽しみを待つ子供のような顔をした父に、愛理の良心が痛む。でも、ここではっきりさせておかないともうタイミングはない気がする。
愛理は決意した。
「それなんだけど、私たち……」
「俺も考えてるんですよ。でもおじさんに先言われたらプロポーズしにくいですよ」
隣の湊斗がそんなことを言ったので、愛理はぎょっとして横を向く。湊斗は愛理の方は見ず、まっすぐ前を向いて堂々としていた。
(そんなこと言ったら、なおさら期待させちゃうじゃん! もうここらへんで幕引きするのがいいのに……)
「あー! そうだな悪い悪い! ロマンチックなプロポーズの計画があるのか!」
「馬鹿、計画あるって言っちゃだめだろ、サプライズってやつだ」
騒ぐおやじ二人に、湊斗は笑う。
「あはは! 台無し」
「ごめんな愛理! つい心配になっていろいろうるさくて……でも湊斗くんがきちんと考えてくれてるってわかっただけでも嬉しいよ」
父の笑顔を見て愛理は顔を引きつらせる。
(これじゃあ破局なんて告げたら寝込んじゃうかもしれない……うちのお父さん、感情がすぐ体に出るタイプなんだよなあ……)
やっぱり偽装なんてするんじゃなかった。
そう愛理が後悔したところで、湊斗はとんでもない言葉を続けた。
「でももうこの際だから、言っちゃおうかな。愛理、結婚しよ」
愛理は持っていた箸をぽろりと落とした。
唖然として目も口も真ん丸になってしまう。一体何が起こったのか理解できなかった。頭の中が真っ白で何も考えられない。
(血痕……血の跡……違う、結婚……? けっこんだと……?)
ここでプロポーズだと???
そんな愛理を置いて、周りがわっと盛り上がる。
「おお、すまん、予想外のプロポーズをさせてしまった! でも親の前でプロポーズするなんて、湊斗くんはさすがだ!」
「おめでとう! ついにだわー!」
「めでたいー!」
目の前で何が起きているのか分からず、愛理はただ呆然と湊斗を見る。
(何が起こってるの……ここで断るなんてできっこないじゃん。湊斗は何を考えてるの?)
偽装恋人だった私たち。そろそろ終わりにしようと思っていたのに、まさかのプロポーズだなんて。
「愛理? 返事を聞いてないよ」
湊斗はにっこりと笑ってそう言ってくる。
(返事って……え、ここで私がノーって言うの? こんなに盛り上がってる中で……)
「……え、えっと、私は……今は……」
引きつった顔でどう言おうか迷っていると、視界の端に涙目の母の姿が目に入った。嬉しそうに、そして安心した顔でいる。一気に断る勇気が無くなる。
そんな愛理の手を、湊斗がぱっと手に取り笑いかけた。
「愛理。俺は愛理以外じゃだめだよ。結婚しよう」
映画に出てきそうな完璧なプロポーズのセリフに、引くに引けず、愛理は小さく頷いてしまった。ここで断れる人間などいるのだろうか?
ワッと周りが盛り上がる。そんな中湊斗は思い出したように、背後に置いてあったカバンからある物を取り出した。
「実は、近々言おうと思ってたから、婚姻届けを持ち歩いてたんです。書いちゃおうよ、愛理。証人欄も頼めるし」
「……え」
「今日が結婚記念日でもいいじゃない?」
愛理は初めて、湊斗が何を考えているのかわからない、と思った。
(何言ってるの……結婚? ここで婚姻届けなんて書いたら、後戻りはできない……それとも、本当に結婚するつもりなの?)
自分は一生結婚なんてしないタイプだと思っていた。それが、湊斗と結婚? 偽装を恋人から結婚まで延長するつもりなんて、これっぽっちもなかったのに。
母が涙ぐみながらボールペンを取り出し、愛理に渡す。
「ほら、愛理」
「……」
こんなはずじゃなかった。ただ、周りの小言を避けるための偽装だった。
一体湊斗は何を考えているんだろう。
愛理は知らなかった。
湊斗がずっと一途に彼女を想っていることを。
そして、その強い気持ちを拗らせに拗らせていることを。
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