第2話 終わりの時




 それから二年経ち、今に至る。


 親は大喜び。良心は傷んだが、それもしばらくすると気にならなくなってきた。本当は親にだけそういう設定で行くつもりが、いつのまにか話は広がり友人にまで伝わってしまい、二人は公認カップルとしてすっかり馴染んでいる。


 ただ少しだけ変わったことといえば、湊斗が『付き合ってるならそれっぽい雰囲気を出さないと』と言って、周りに人がいると恋人らしい振る舞いをするようになったことだ。さっきのように、飲み会では必ず隣に座った。愛理の髪に触れたり、のろけ話をしたりと、周囲から見ると完全に溺愛だった。




「ていうか愛理、髪切ったよね。似合ってる、可愛い」


 湊斗が愛理の毛先をそっと手に取ったので、愛理は気まずく思い視線を逸らす。いくら仲がいい幼馴染でも、こんな距離で髪を触られるのはやはり慣れない。


(しかもみんなが見てる前でやるから恥ずかしいのなんのって……いや、みんなが見てるからこそやってるんだけど。湊斗はこういうの上手いけど、私みたいな女はどういう反応すればいいのかいまだにわからん!)


 うふ、ありがと! とか、えへ、湊斗もかっこーよ! とか言えばいいのだろうか? 無理。


 そんな愛理に気づいているのかいないのか、湊斗は止まらない。


「愛理、からあげ来たよ。取ろうか」


「自分で取れるって」


「あ、たこわさ注文した? 愛理絶対するじゃん」


「今日は別にいいよ、みんないるんだし……」


 二人の会話を、周りはにやにやと眺めている。愛理は少し居心地の悪さを感じつつ、気にしないふりをした。


 友人の一人がため息を漏らす。


「二人のラブラブは絵になるから目の保養だわ」


「わかるー。ちょっと愛理がドライなのがいいんだよね、湊斗が世話したくてしょうがないって感じ」


「いいなー私もそんな幼馴染がほしかったよー」


(さすが湊斗だなあ。相変わらず演技が上手すぎる。俳優になればよかったのに)


 愛理は普段通りの対応をしているだけだが、湊斗のおかげで一気にカップルっぽくなっている。素直に湊斗に感謝した。私は絶対に女優にはなれない、と心から思う。


 どう反応していいのかわからず、愛理は今までと変わらない接し方をしているのだが、案外これが周りから見ると自然体でいいらしい。『溺愛する彼氏とそれをクールに受け入れる彼女』の完成だ。


「二人の結婚式はさ、俺たち余興とかする!?」


「お祝い動画作るのは?」


「あはは、まだ結婚決まってないのに周りがやる気いっぱいじゃん」


 みんな笑っている中で、愛理は淡々と唐揚げを食べていた。湊斗はそんな愛理に優しく微笑みかけ、楽しそうに会話に交ざっている。嘘をついていることは申し訳ないけれど、平和に過ごせているのはありがたいな、と愛理は思っていた。






 楽しかった会も終わりをつげ、それぞれ帰宅する。


 愛理は湊斗と一緒に電車に乗った。最寄り駅も同じなのをみんな知っているので、『もう一緒に住めばいいじゃん』と言っていたがそれを笑って濁し、二人は仲睦まじく帰路についている。


 電車の中は少し混雑していた。愛理は揺れに身を任せながら、目の前に立つ湊斗に小声で話しかける。


「久しぶりにみんなに会えて楽しかったね」


「変わってなかったね」


「ほんと! それぞれ社会人として頑張ってて、昇進したり結婚したりする子もいるのに、話すと全然変わってないなーって思うの。頻繁には会えないけど楽しかったなあ」


 愛理は微笑んで目を閉じる。お酒のせいで頬が少し赤らんでいた。


「寝ないでよ、愛理」


「立ってるから大丈夫」


「もう、飲みすぎなんだよ」


「すみません」


 愛理は笑ってそう謝りながら目を開けると、ふと近くに気になる様子を見つけた。右斜め前に立っている女性が俯き、やけに顔を真っ赤にしている。そしてその肩は震え、眉を顰めていた。


 背後には体をぴったりとくっつけたサラリーマンが立っている。


 状況を察した愛理はハッとし、すぐさま声を掛けた。


「あーみっちゃん! 久しぶりだね! こっちこっち!」


 適当に付けた名前だった。女性は自分が呼ばれているとは気づかず、きょとんとしている。愛理は人込みをかき分け、女性の近くに来て手を掴んだ。


「ごめんなさいねーすみません、すみません。みっちゃん久しぶりだね。ほらこっちにおいでよ」


 女性は愛理が助けに来てくれたのだ、と気づき目に安堵の涙を浮かべた。そしてその様子を見てすぐに感づいた湊斗は、にっこり笑って周囲に柔らかな声を掛ける。


「すみません、混雑しているのに押しのけちゃって……でもちょっと二人をこちらに移動させてもらえますか? いいですよねそこのおじさん?」


 口角は上げたまま、痴漢のサラリーマンをぎろりと睨んだ。男はびくっとした様子になりさっと顔を逸らす。その湊斗と男の様子を見て、周りも数人何かを察したような人がいた。みんな協力的に隙間を作り、愛理たちを湊斗の近くに通してくれる。


 愛理は無事女性を連れたまま湊斗の近くまで戻ってきた。女性は涙目のまま小声で『ありがとうございます』と言った。

 

 愛理は小さく首を横に振りながら小声で答える。


「どこまで行きますか?」


「次で降ります」


「よかった、一緒。警察に行ってもいいですけど……」


「いいえ。大事には……」


 女性が悲しそうに視線を伏せたのを見て、愛理は複雑な気持ちになった。犯罪者を逃してしまうのは悔しいが、彼女の気持ちもわかる。自分は何もしないでおこうと心で思った。


 そんな愛理を、湊斗はじっと見ていた。


 次の駅で三人は電車を降り、サラリーマンが追いかけてこないことを確認して、女性とは別れた。最後まで『何かお礼を』と言った女性の申し出を断り、二人は女性とは反対側の出口から外へと出ると、愛理ははあと深くため息をついた。


「あの男を野放しにするのはイラつくけど仕方ないよねえ」


「愛理。あんまり危ない事しないで。気付いたなら俺に言ってよ」


「いやあ、つい体が動いちゃって」


「愛理も女の子なんだから危ないでしょう」


「もう三十にもなるんだから。それに私、痴漢に遭ったことないから。どうも気の強さがにじみ出てるみたいなんだよねえ」


「ドMの変態に狙われるかもしれないでしょ」


「やめてよ!」


「いやマジでそっちはあると思う。女王様がいる店で働けそう」


「湊斗行ったことあるの……?」


「あるわけないだろ。でも興味はある」


「あるんだ!」


 げらげらと笑いながら慣れた道を進んでいく。車通りの多い道で二人並び歩いていると、ある道でふと愛理が言った。


「ここでいいから」


「駄目だよ。部屋の前まで」


「だってもう誰もいないから彼氏のフリしなくていいし」


「これは彼氏だから送ってるんじゃなくて、男として送ってる」


 湊斗が真剣な眼差しで言ったので、愛理は少しだけ胸がムズムズした。湊斗は、必ずこうして家の前まで愛理を送ってくれる。あまり女性扱いなどされない愛理は複雑な気持ちになってしまう。


「じゃあ、よろしく……」


 湊斗の言葉に甘えて、結局愛理の住むアパートの部屋の前までやってきた。愛理が鍵を開けると、湊斗は優しく微笑む。


「じゃ、帰る。また」


「あ……ありがとう」


 恋人のフリをしているし子供の頃からの幼馴染だというのに、湊斗が愛理のアパートに上がったことは一度もない。そこはやっぱり男女としての線引きをしてくれているのだろうか、と愛理は思っていた。


 一緒にいると気が許せる相手で性別なんて気にならないぐらいなのに、不思議と自分を一番女性扱いしているのは湊斗だ。こういうところは女性にモテる要因だと思うし、今更ながらなぜ彼が偽装の恋人なんかを作っているのかわからない。


(確か、湊斗も大学ぐらいは彼女がいたと思うんだけど……何かあったのかな。恋愛の話などはあまりしないんだよなあ。とんでもない変な女が相手でトラウマを植え付けられたとか?)


 そう考えていると湊斗が帰ろうとする。愛理があっと思い出したように声を掛けた。


「湊斗!」


「どした?」


「思ってたんだけど、そろそろ私たち別れたってことにしない?」


 愛理が提案すると湊斗が驚いたように目を丸くさせた。


「……え? 好きな奴でも出来た?」


「違う違う、そんなんじゃなくて……もう二年にもなると、ああやって結婚はどうだとか周りに言われるでしょ。うちの親もそうだけど」


 あと少しで三十歳になる男女が二年も交際している。そうなると、周りは勝手に結婚を意識しだす。今日も飲み会でその話になったばかりだ。


 そして愛理の親も、言葉には出さないものの遠回しにそういうことを聞いてくる。


「……まあね」


「だからそろそろ潮時かなって」


「別に言わせておけばいいんじゃない」


「私はね、湊斗が周りから『いつまでも結婚に踏み切らない男』って見られるのが嫌なの」


 愛理がきっぱり言った。


 未だに『プロポーズは男性がするもの』という風潮は消え切っていない。なかなか結婚に進まないとなると、男性側が決意しきれないのだと勝手に周りは思っていく。湊斗がそんな風に思われるのが、愛理は耐えられなかった。


 湊斗はそんな愛理を見て、少しだけ目を細める。


「……でも、別れてどうすんの。晴れ屋の飲みは周りに気を遣わせて気まずくなるかもしれないし、親はまた結婚のプレッシャーをかけてくるかもよ」


「う、ううん……そこはまあ、考える……」


「この年だし、親はなおさらうるさくなりそう」


「それだよね……でもまあしょうがないよ。二年、平穏に過ごせたんだし。それか湊斗以外の誰かと、またこうやって偽装してもいいかもしれないしね」


 愛理が笑うと、湊斗の顔がぴたりと固まった。それに気づかない愛理は話し続ける。


「まあそんな都合のいい相手なかなかいないだろうけどね。とりあえず、考えといてよ。今後のことはなんとかなるし」


「……わかった。

 いろいろ、考えておくよ」


 湊斗はそう言って愛理に微笑みかけると、手を振って元来た道を戻っていった。湊斗の背中を見送りながら、愛理は昔の事を思い出していた。


 長い付き合いで、小さな頃から自分の考えを尊重していてくれる。偽装恋人も、彼にすすめられるがまま実行したけれど、この二年本当に助かっていた。でもいつまでも甘えているわけにはいかない。


 湊斗と別れたと言えば、周りは驚くだろう。でも、湊斗ほど気の合う人が見つからないといえば、次に恋人を作らなくても何も言われない気がする。何とかなるか。


 愛理は少しだけ寂しく思いながら、玄関の扉を閉めた。


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