素晴らしきかな人生は。

時雨(旧ぞのじ)

ファンタジーな世界。

濡れたスニーカー。

 昇降口の扉の前で、踏み付けていたスニーカーの踵に人差し指を差し込んできちんと履く。

 屈んだ視線の先の校庭の雑草が、五限目の終わり頃に始まった土砂降りに負けてぐったりとしているのが見てとれる。


「ヤバ〜い」「ちょー降ってるぅ」「山内傘貸して〜」「止むの待とうかなぁ」


 騒々としてきた。盗難防止策としてはテキトーな、お菓子のオマケのキャラクターシールを持ち手に貼ってあるビニール傘は、バサッと大きな音を立てて羽を広げ、早速雨を弾き始めた。

 思いの外、歩道を傘が彩っている。

 ニュースやスマホの天気予報が久しぶりに外れた今日にしては、だけど。


 それに、なんてないしな、この世界。


 タタタタタッ、という音が段々と重いものに変わり始めたのに焦る。とにかく、スニーカーという犠牲を受け入れ、なるべく早く、大きく足を前へ運ぶ事と、傘がお互いに迷惑にならないように気をつけながら地下鉄の駅へと急いだ。



 この世界は幻想的ファンタジーだ。



 誰も魔法を使えない。


 誰も特殊技能スキルを使えない。


 誰も、誰もが、だ。


 地下迷宮ダンジョンも無ければ魔物モンスターも存在しない、野生動物が食物連鎖を穏やかにこなしている。


 「あぁ、なんて平和なんだろうか」と時折り悩んだりする。

 昨日挨拶を交わした隣人が魔物に因って姿を見せなくなり、一部の戦争特化のスキル持ちが少人数で大規模軍事クーデターを起こし国境線が変動しましたと、朝のニュースで聞くような世界と比べ、やっぱりこの世界は、とても優しくて歪で、綺麗で濁っていて。



 文明の進化にも差が大きくあり、前の世界で魔法やスキルで行っていた事を、この世界では科学や色々な技術が代行していた。

 前の世界では、産業革命に魔法が介入していた為に秘匿される部分が多く、技術の発展を遅らせたし、それに伴う争奪戦も過激でとても殺伐としていたらしいし、今もそういった部分での国家間でのやり取りはとても慎重だと、向こうの世界の授業で習った。


 ビニール傘越しに見える空から注ぐ粒は不規則だけど絶え間なく眼前のビニールを打ち続けている。

 反対車線の歩道、下校中の小学生が自動車の水跳ねに傘を横にしながら楽しそうに叫ぶ。


「バーリア!」


 キャッキャと嬉しそうに半分濡れながら走り出す子ども達を横目に歩く。


障壁魔法バリア、か」



 先程よりも少し激しさを増した雨粒を、当たる直前で弾くビニール傘を確認出来る人はこの大雨の中には居ないだろうな、と普通に考えればこの世界に居る筈がないと理解っているのに、思う。



「あー...スニーカー濡れる前にやっときゃ良かった」



 兎も角、この世界はファンタジーだ。




 異分子以外は。



 地下鉄の出入り口に着いた頃には、スニーカーと制服の裾と靴下がずぶ濡れだった。

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