後編

 白磁のティーセット。紅茶の茶葉。カラスの羽根ペンと羊皮紙の束。ガラス瓶。

 村へのお土産に、持てるだけの荷物を買う。


 あらかた欲しい物を買い揃えて、宿に置いてから再び街に出た。

 宿暮らしの間に利用していた料理の屋台市は男性が多い印象だったが、野菜や肉の店など食材を売る店が多い通りは比較的女性が多い印象だ。

 村では育てていない果物や野菜も売っていて、どんな味がするのか調理出来る気がしないのに食べてみたくなる。切るだけ、生で食べられるという果物は、興味の赴くままに買ってしまった。

 ほくほくとした気持ちで帰路に着いた、そんな中。


「や、やめてください…っ!」

 ゴッ


 悲壮な声と共に、同じ方向から鈍い物音が聞こえてくる。

 其方に視線を向けると、ニヤニヤとした醜悪な笑みを浮かべた男達三人組の足下に、ライラより少し歳下に見える少女が膝をついていた。


「かえして…っ」

「そーれは無理な話さ」

「まあ、嬢ちゃんには過ぎたモンだったって事で、諦めなァ?」

「それにコッチもシゴトなんでな」


 足下に転がった荷物には目もくれず、真ん中の男が持つ“何か”に必死に手を伸ばす少女。元々の持ち主が彼女だったのであろう事が会話から察せられたライラは、咄嗟に持っていた袋の中の一つに魔法を掛けると、それを取り出す。

 宿の夕食の後にでも、デザートとして食べようとしていた果物だったそれは、今は顔を隠す為の仮面となって、ライラの顔を隠した。


「待ちなさいっ!」

「あ?」


 見て見ぬフリして避ける人々によって開けられた空間に飛び込み、少女を背に男達と対峙する。


「良い歳した大人達が寄って集って…そんな事して良いと思ってるの?!」

「…あんだオメェ?」


 批難する声を上げれば、眼光鋭く睨まれた。


「それ、この子の物なんでしょ?だったら、返しなさいよ!」

「ハァ?オメェに何の関係がある?」

「関係なんて無いわ!でも、悪い事はそのままにしては置けないもの!」


 村では悪い事をすれば、必ず大人達に叱られた。それが人数の少ない《魔法使い》である一族を守る為に必要だったからだ。魔法は簡単に人を傷付けられる。だからこそ、それを使う彼女達は、厳しい掟を守って生きている。


「関係ねぇなら引っ込んでろ!」

「いいえ。それを返してもらうまで、貴方達に立ち向かうわよ」


 トッ、軽い音を靴が鳴らして、ライラは一気に男と距離を詰めると、その手にある物を持つ手首に手刀を入れる事で握る力を抜く。

 落ちる寸前で“それ”を掴み、ライラはバックステップで少女の横まで後退した。


「………あ゛?」


 手の中から無くなった物がライラの手に渡っているのに気付き、男の声が一段と低くなる。


「……おい。ナメたマネしねくれんなぁ…?」


 ボキボキと拳を鳴らし、男がライラに殴りかかって来る。


「オラァ…!」

「ふっ…! …悪いんだけど、ちょっとコレ先に返すね!」

「えっ?!あ、はい…!」


 再度、少女を庇う為に一歩前に出たライラは少女に男から取り返した“それ”を渡すと、攻撃してきた男に肉薄する。


「よっと…、はっ…!」

「チッ、ちょこまかちょこまかと…。おい!オメェらも参加しろ!」

「お、おう!」

「分かった!」


 大振りな男の攻撃を身軽に避けていると、他二人も参戦してきて相手の手数が増える。

 それでも素早さと柔軟さを活かして、男達の攻撃を躱し続ける。


(《森》の狼の魔物達の方が、よっぽど連携してくるし、速い…けど)


「す、すげぇ…」

「仮面なんか付けて視界悪いだろうに、あの女何者だ?」


 周囲からの声は、ライラの耳に届かない。

 そのまま相手の体力が切れるのを待っていたライラだったが、しかしそれより先に均衡を崩された。


「お?お前も中々良い物持ってるじゃねー、か!」


 場所が森の中の様に隠れる木も無い大通りの真ん中だった事と、囲まれた所為で、ライラの後頭部に付けられた銀の髪飾りに気付かれ、背後から奪われたのだ。


「あっ!」

「んな…っ?!」


 髪飾りが外された事で広がった栗色は変化して、黒く。毛先に掛けては黒から薄紫色ライラックのグラデーションに彩られる。

 銀の光が、瞬く星の如く煌めいた。


 およそこの世界の人間では有り得ない髪色に突如変化した少女の姿に、周囲の人間は畏怖を覚える。


「ば、ばけもの…!」


 誰かが口にしたライラを否定する言葉と共に、一斉に感嘆と応援の視線が鋭く冷たい物へと変わる。


「アイツは化け物だ!」

「——っ」


 仮面の下で泣きそうになる、少女の表情を、誰も知ろうとしない。


「っやめてください!」


 立ち上がった、たった一人以外は。


「彼女は私を助けてくれた、心優しい人です!

 たとえ皆さんと見た目が違っても、その心は変わらないはずです…!」


 ライラが助けた少女の声に、助けの手を伸ばさなかった自分達が責められている様で、視線を逸らしたり、激昂する者達が出てくる。


「それでも、そんなの魔物と変わらないだろうが!」


 ライラに向かって投げられる小石達。


「ったい…!」

「やめてくださいってば…!」


 悲鳴を上げながら、少女はライラに覆い被さった。

 それでも小石や、時には果物や野菜も投げ続けられ、当てられる少女達の身体が痛みで震える。


「そんな奴を庇うな!」


「お前達!街中で何をしている!」


 騒ぎを聞きつけてやって来た、巡回中の警備隊だ。


「やべっ」

「っズラかるぞテメェら!」

「お、おう…!」


 警備隊に捕まる前に、少女を襲っていた男達はあっという間に去って行って人混みに紛れた。

 ライラは警備隊の二人に視線を移す。


「はぁ…逃げられたか…」


 人混みの向こうを見て溜息を吐いた警備隊員が、ライラ達に向き直る。


「っ、ライラ嬢…?」


 冷たい視線の中で、赤やオレンジに染まった見覚えのある髪色の少女の姿に、やって来たルーカスは目を見張った。


「一体、何が…」


 痛ましい物を見る目が、ライラに向けられる。

 ルーカスには、どうして彼女の変装が解ける事になったのかは分からないが、この状況はライラの正体が顕になった所為だと気付いた。



「事情聴取をする。君には同行してもらうぞ」

「…分かりました……」


 気力の無いまま、ただ此処から移動できる事に安堵して、了承の返事を返すライラ。


「あ、あの…っ!その人はあの人達に奪われた、私の物を取り返してくれただけなんです!悪い事はしてません!」


 そこに今まで黙っていた少女が、声を張り上げる。ギュッと握られた手は、小さく震えていた。


「ん?君は…」


 ルーカスと共に来ていたクリフが、エラを見て何かを言いかける。


「………分かった。証言したいなら、君も同行しなさい」

「っはい」


 息を詰まらせる少女の声も表情も固かったが、この時のライラにはそれを気にしている余裕なんて無かったのだった。



  *+*+*



 男達が投げ捨てて行ったらしい髪飾りは、クリフが回収してくれていた。

 汚れた姿のまま、魔法の掛かった髪留めだけ付け直して人目を避ける様に進む。

 ライラはもう気にせず魔法を使って、他人から見られない様に自分達を隠したけれど、その道を選ぶルーカスの心遣いが、少しだけ凍てついた心を和らげた。


「——此処だ」

「ここって…?」


 連れて来られたのは、王都警備隊の詰め所——では無かった。

 ただの一軒家で、ルーカスに促されて入ったライラと少女は首を傾げる。


「此処は俺の家だ。服は少し待っていてくれ。君達にサイズは合わないかも知れないが、何かしら見繕って来よう」

「あ…。ルーカス様、服は大丈夫、です」


 ルーカスの言葉に意識が回っていなかった服の汚れを認識して、ライラが魔法で自分と少女、二人の服を綺麗にする。

 着けていた果物の仮面は、そのまま着けっぱなしで表情は伺えない。


「……そうか。それでは座って少し休んでから、話せる事を話してくれないか?」

「………うん」


 ルーカスの気遣いに甘えて、ライラは少し休んでから先ほどの騒ぎの事を話す事にした。




  *+*+*




 ライラは宿を出て、二週間ほどの間、ルーカスの家に間借りする事になった。

 ルーカスが王城に出向き、ウィリアムに事情を話した事で、匿う事が決められたからだ。

 王城は大勢の人間が出入りするので、匿うのには不向きなのもある。

 そして、ウィリアムの誕生舞踏会は街中の年頃の女性を集め、婚約者を決める事になった。

 その舞踏会が開かれる夜なら街中に人が少ないだろう、とその時に街を出て行く事になった為、それまで匿われる事になったのだった。


 幼馴染の誕生日を祝えない事に、ライラは更に落ち込んだ。しかしそれが自分の為だと言われてしまえば、ライラに文句を言う事は出来ない。

 ただ、たった一人、あの時自分を庇ってくれた少女にだけ、お礼が出来ていない事が気掛かりだった。




 舞踏会当日。

 ルーカスが仕事に出ている間、魔法を使ってこっそり人目に付かない様に、あの時の少女の家へとやって来たライラ。

 そこで灰かぶりシンデレラと呼ばれ、家族にこき使われている少女を目の当たりにした。


「シンデレラ、お前は姉達がウィリアム王子に選ばれる様に、出来る限り美しくしなさい」

「あ、あの、私も舞踏会に——」

「お前の分のドレスは無いわ。お前は舞踏会の間、家で留守番しているのです」

「………はい」


 これは、是非とも彼女に舞踏会に行ってもらいたいと考えたライラ。

 母親の台詞にニヤニヤしている姉達よりも、余程灰かぶりシンデレラと呼ばれた彼女の方が、ウィリアムに相応しいだろう。


(あんなに裏表無く優しい人が舞踏会に行けないなんて、間違っているわ!)


 シンデレラ以外があの家から出払ったら、彼女に会いに行こうと決めて、ライラは夜を待つ事にした。



 一旦ルーカスの家に戻って、帰って来た彼に説明をし、王都出発を少し待ってもらう。

 彼は事情を聞いて昼に出歩いた事を咎めはしたが、シンデレラを舞踏会へ行かせる事には反対しなかった。

 ただ、用事が済んだら直ぐに出立出来るよう、シンデレラの家の近くまで着いて来てくれる事になった。


「…ありがとうございます、ルーカス様」

「………いや、あの時君を助けに行くのが遅くなってしまい、申し訳なかった」


 あれから何度もされた謝罪に、首を振る。


「いいえ、ルーカス様が来てくれて助かりました。もし他の警備隊の方だったら、あれほどスムーズに離脱出来なかったでしょうし」


 警備隊にまで睨まれる結果になっていたかも知れない、とライラはぶるりと身を震わせた。


「…分かった。感謝は受け取っておく。

 さあ、用事があるんだろう?行って来なさい」


 ルーカスに促され、頷いたライラは仮面を被ると、シンデレラの居る家へと入って行った。



  *+*+*



「ああ、私にもドレスがあれば、お義母様はお義姉様達と一緒に舞踏会へ連れて行ってくれたかしら」


 動かしていた箒を止めてもたれ掛かりながら、シンデレラは呟く。


「……いいえ、きっと無理だったわ。そんな事、お義母様がお許し下さる訳がないもの」


 箒の柄に額付いて、俯いた。


「舞踏会、行ってみたかったなぁ…」



「連れて行きましょうか?舞踏会」


「え?」


 突然聞こえた声に、シンデレラはパッと顔を上げる。

 其処に居たのは、先日見た覚えのある髪色の、黒いローブを来た魔法使いの姿だった。


「あ、あの、なんで此処に…」

「それは良いから。今から言うものを貴女が用意出来たら、舞踏会に行けるけど、行きたい?」


「っ行きたいです!」


 シンデレラは魔法使いに舞踏会へ連れて行ってもらえるよう頼み、彼女が言うものを用意していった。


 ねずみ四匹、かぼちゃ一個。

 それから紙とペン。


 シンデレラが全て持って来たのを確認すると、魔法使いは左手を傷付け、血をインク代わりにペンへと吸わせた。


「!魔法使いさん?!」

「…気にしないで。後で治すから」


 血で紙に描いたのは、お話に出てくる様な魔法陣だった。

 そこに何やら呪文を唱えると、紙は消え、代わりにガラスの靴が現れた。


「まあ…!」


 フイッと魔法使いが人差し指を振って、自分の怪我を治す。

 そしてシンデレラにその指を向けると、またも指を振る事でシンデレラのボロボロの服を青い綺麗なドレスへと変貌させた。

 シンデレラが鏡を見ると、煤が付いていた顔の汚れも取れ、メイクされ髪も整えられた自分と目が合った。


「わあ…!」

「後はネズミとかぼちゃね。外に出るよ」


 外に出た魔法使いは、ネズミとかぼちゃそれぞれに指を振るう。

 そうすると、ネズミ二匹は二頭の馬に。一匹は御者に。一匹はお付きの人に変わり。

 かぼちゃは馬車へと姿を変えた。


「さあシンデレラ。このガラスの靴に履き替えて、舞踏会へ行っておいで」

「——はい!ありがとうございます、魔法使いさん!」


 シンデレラは渡されたガラスの靴を履いてみたら、自分の小さな足にピッタリな事に驚いた。


「魔法使いさん、これ…」


「この魔法は、十二時の鐘が鳴り終わる時に消えてしまうわ。だからその前には帰って来るのよ。舞踏会、楽しんで来てね——シンデレラ」


 魔法使いに促されて、シンデレラはかぼちゃの馬車に乗り込む。


「行ってらっしゃい」

「…行ってきます。魔法使いさん、本当にありがとう!」


 別れを告げて、馬車は舞踏会の会場である王城へと向かう。



「——これで、恩返しになったかしら」


 ぽつり、呟いた言葉に返事が返る。


「なっただろう。…優しいな、君は。あんな事があった後でも」


 近くで様子を伺っていたらしいルーカスだった。

 魔法使いは仮面を外し、髪留めを着ける事でいつものライラの姿に戻る。


「だって、彼女は私を助けてくれたもの。お礼をするのは当然の事だわ」


 ルーカスが連れた馬に、二人で乗る。

 二人は夜闇の中、王都を出て『禁じられた森』へと向かった。




  *+*+*




「——もし、王都での君の名誉を回復出来たら、」


 馬上、背後から包み込まれた状態で、ライラは上から降ってくる声を聞く。


「その時は君をこの手で守ると、誓っても良いだろうか。傷付けられても、人間を見捨てない、優しい君——ライラを」


 きゅっ、と手綱を握り締めた手が、視界に映る。

 ライラは後ろを振り仰ぐこと無く、告げた。


「貴方が私を訪ねて、この『森』を抜けて来てくれるなら」


 『禁じられた森』は、王の許可が無いと入ってはならない事になっている。

 つまりライラは、王の許可を得てから求婚して欲しいと言ったのだ。

 魔法使いを外部の人間が嫁にするには、それほどの覚悟が必要だろう、と。


「——承知した。そしたらきっと、君を迎えに来る。それまできっと、元気で」

「……ありがとう、ルーカス様」


 王都に行って、悪い思い出だけじゃ無くて、良い出会いもあったのだと、そう言えるのが嬉しかった。







 いつかの未来で。

 王子と魔法使いの幼馴染達が、それぞれのパートナーを連れて笑い合う光景が、其処にはあった。

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シンデレラの魔法使い 雲霓藍梨 @ungei

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