イラン、イスラエル戦争

わんし

最悪の結末か?

2025年6月24日。

夜の闇がエルサレムの旧市街を覆う中、突如として空が赤く燃え上がった。


寺院の石壁に刻まれた歴史が、轟音と共に揺れ、祈りを捧げる者たちは空を見上げたまま絶句した。


イスラエルが、極秘裏に開発を進めていた新型核ミサイルを、イラクの軍事施設に向けて発射したのだ。


標的はバグダッド郊外、サッダーム時代の地下バンカー跡地に再建されたとされる軍事研究施設だった。


その衝撃波はバグダッドの砂漠を焼き尽くし、周囲の居住区を一瞬で蒸発させ、数万の命を奪った。


イスラエルの首相ベンヤミン・ネタニヤフは、直後に国民向けの緊急放送を行った。


「我々は生存のために戦う。脅威はこれで終わるはずだ。」


だが、それは終わりではなかった。むしろ、破滅の幕開けだった。


イラクは壊滅的な打撃を受けたものの、生き残った軍指導部は報復を誓った。


長年、国際監視の目をかいくぐって蓄積してきた旧式の核弾頭が、イランを通じて密かに持ち込まれていた。


それは決して精密ではなかったが、致死的であるには十分だった。


二日後、テルアビブの上空で閃光が走った。

ミサイルは迎撃をすり抜け、市の心臓部に着弾した。


都市は一瞬にして瓦礫と化し、死者数は数十万に及んだ。


生存者もまた、放射能に晒され、崩壊するインフラの中で孤立した。


国民の怒りと絶望が、政権に火をつけた。

イスラエルは全軍を動員し、即時反撃を開始。

しかし、彼らの敵はもはやイラクだけではなかった。


ヨルダン、シリア、レバノンのアラブ諸国は、長年の恨みと宗教的憎悪を再燃させ、イスラエルへの攻撃を宣言した。


核を持たぬ彼らは、化学兵器、ドローン、サイバー攻撃を駆使し、国境地帯を蹂躙した。


報復の連鎖は、想定を遥かに超える速度で広がっていった。


アメリカは即座にイスラエルへの全面支援を表明。


第7空母打撃群「ジョージ・ワシントン」(U.S. Seventh Fleet)が地中海へと進出し、空爆支援を開始。


イスラエルの防衛体制は一時的に強化されたが、それが戦争の火に油を注ぐ結果となった。


一方、イラク支援を明言したイランは、報復としてホルムズ海峡を封鎖。


これにより、世界の石油供給の20%が途絶し、原油価格は瞬時に1バレル300ドルを突破した。


この経済的衝撃は、兵器よりも鋭く世界中を貫いた。


ニューヨーク、ロンドン、東京の株式市場は、歴史に残るブラック・サーズデイを迎える。


主要指数は1日で40%を超えて下落。資産は紙くずとなり、企業は倒産の嵐に飲まれた。


スーパーの棚は瞬く間に空になり、都市部では食料と水を求める暴動が頻発した。


混乱は軍事だけにとどまらなかった。


ロシアは、この混乱の中で中東における影響力を強める好機と見て動いた。


シリア政権に最新兵器と訓練兵を送り込み、アメリカとNATOの影響圏に楔を打ち込む。


同時に、中国はイランとの石油供給協定を密かに結び、ペルシャ湾に最新鋭の駆逐艦を展開した。


東西の大国が、明確な立場を持って火薬庫に足を踏み入れたのだ。


そして、トルコがNATOに緊急要請を出した。


「中東の安定のために、軍を送ってくれ」


その言葉に応じて、NATOはトルコ経由で派兵を決定。


これは、米欧諸国が戦争に全面介入することを意味していた。


ロシアは即座にこれを非難し、シリア国内にS-500防空システムを配備。


偶発的な衝突を防ぐはずのホットラインも、混乱と敵意の中で沈黙した。


この時点で、世界はまだ「第三次世界大戦」と呼ぶことをためらっていた。


だが、歴史は静かに、それを始めるページをめくりつつあった。


2025年7月中旬。

国連安全保障理事会は、緊急会合を繰り返すも、各国の対立が激化するばかりで、決議一つ通らなかった。


中国とロシアはイスラエル非難の共同声明を起草し、アメリカ、イギリス、フランスはそれを拒否。


逆に、アメリカはイラン・イラク連合に対する制裁決議を提出したが、ロシアが即座に拒否権を発動。


国際秩序は、形ばかりの建物と化していた。


中東では戦争が本格化していた。


サウジアラビアは、イラクとの宗派対立を利用し、米国の空爆支援と連携してバスラに侵攻。


イランは即座に介入し、シーア派民兵を支援してバスラを防衛。


地上戦は激化し、化学兵器が使用されたとの未確認情報が拡散する。


ホルムズ海峡は完全に封鎖された。

これにより、インドやアジア諸国への石油供給が絶たれ、経済は悲鳴を上げる。


シンガポールでは失業率が倍増し、ムンバイでは1日で1万を超えるデモが発生。


東京ではガソリン価格がリットル500円を超え、自動車の使用が制限され始めた。


8月、トルコが突如としてNATOの核共有協定を破棄。


エルドアン政権は、「核のない国家は未来を守れない」と宣言し、独自の核開発を開始した。


パキスタンから科学者と技術供与を受けたとされるが、真偽は不明。


だが、少なくとも西側は、その動きを止める力を失っていた。


同時に、イスラエルでは生存者の避難と同時に、報復の連鎖がさらに加速した。


レバノンから飛来するドローン攻撃、シリア国境からの地上攻撃、そしてガザ地区の激化する紛争。


イスラエル軍は新兵器「レーザー迎撃システム・ドームII」を投入し、一部攻撃の抑止に成功。

だが、それは敵意の火を消すには遅すぎた。


アメリカ本土では、食料供給の混乱が現実の危機となっていた。


穀物相場の暴騰、物流網の混乱、暴動、略奪。

ミズーリ州では州兵が武装暴徒と交戦し、10人以上が死亡。


ホワイトハウス前には「なぜ中東の戦争に我々が巻き込まれるのか」と抗議する群衆が集まった。


トランプ政権は、戦争継続か撤退かの狭間で揺れていた。


だが、撤退すればイスラエル崩壊は確実であり、中東の石油は完全にロシアと中国に握られる。


「撤退すれば、世界の覇権は終わる」――CIA長官の言葉が、決断を導いた。


その間にも、世界はひたすら沈んでいった。


ロシアは中東情勢を利用し、ウクライナへの攻勢を強化。


クリミアを完全に制圧し、黒海艦隊がオデッサに迫る。


NATOは二正面作戦を強いられ、対応が分散。

フランスやドイツでは国内の経済危機とエネルギー不足が深刻化し、軍事支援に消極的な声が高まっていた。


そして、9月。


中国がついに動いた。


「世界の混乱に乗じて、台中統一を進めるべきだ」――党内強硬派の声が高まる中、台湾周辺に艦艇が集結。


空母「遼寧」と「山東」と「福建」とが同時に演習を開始し、南シナ海での活動を本格化。


米中の衝突は、もはや時間の問題となっていた。


日本では、石油と食料の不足が深刻化。

電車の間引き運転、学校給食の縮小、自衛隊の非常配備――


だが何より、人々の心を蝕んだのは「この戦争は、誰のためなのか?」という問いだった。


世界が問いかけに答える前に、次の爆発が始まる。


「中東の火種」は、もはや火種ではなく、大地全体を焼く業火になっていた。


2025年10月、国際社会は既に壊れかけた秩序の上をよろめきながら歩いていた。


イランとサウジアラビアは、事実上の代理戦争を続けながら、ついに公然と核開発に踏み切った。


イランは「平和利用」と称する原子炉の下で秘密裏に進めていたウラン濃縮施設を公開し、濃縮度90%超の兵器級ウランの存在を確認させた。


同日、サウジアラビアも「国家の自衛権に基づく核の権利」を主張し、パキスタンから核技術者を受け入れる協定に署名。


中東に、第三・第四の核保有国が誕生する日が目前に迫った。


この動きにより、NPT(核不拡散条約)は実質的に機能を失った。


国連事務総長は「全人類に対する裏切りだ」と強く非難したが、もはや誰も耳を傾けていなかった。


一方、核兵器の連鎖反応は中東だけにとどまらなかった。


トルコが核開発に踏み出したことを受け、ギリシャはNATO内での対立を深め、独自にフランスと防衛協定を結んだ。


バルカン半島では民族主義が再燃し、セルビアとコソボ間の緊張が再び臨界点に達していた。


極東では、韓国と日本でも核保有論が公然と議論され始めた。


日本の国会では、与党議員が「自衛のための限定的核武装の必要性」を演説し、波紋を呼んだ。


一方で韓国では、世論の6割が核武装に賛成。北朝鮮と中国に挟まれた脆弱な地政学的立場を脱却するためだ。


この頃、アメリカでは、戦時下の経済と社会崩壊が現実の危機となっていた。


食料価格は3倍以上に高騰し、国民の半数が配給制に頼る生活。


銃器を持つ市民による略奪、民兵組織の暴動。


国防総省は50州中、32州に戒厳令を発令。


ホワイトハウスの記者会見場には装甲兵員輸送車が常駐するようになり、ワシントンD.C.はもはや「戦時首都」の様相を呈していた。


2025年11月。

中国はついに「台湾独立派による武力挑発」を口実に、台湾西岸への限定的な空爆を開始。


アメリカ海軍第7艦隊はこれに対抗し、台湾海峡に駆逐艦を展開。


両軍は接触を避けつつ、徐々に距離を詰めていった。


その裏で、ペルシャ湾では新たな惨劇が進行していた。


イランが米軍の無人偵察機を撃墜。

これに対する報復として、米国はイラン核施設への巡航ミサイル攻撃を実施。


報復の連鎖の中で、ついにイランは「保有していた」とされる核弾頭を、サウジアラビアの油田地帯に向けて発射。


弾頭は迎撃されることなく命中し、地球上最大級の石油埋蔵地「ガワール油田」は、白熱の炎に包まれた。


数日後、サウジアラビアは、直ちにイランの大都市への反撃を決定。


リヤドから発射された弾道ミサイルは、イランのイスファハーンを直撃し、核汚染と共に数十万人を殺傷した。


中東は、核地獄と化した。


この瞬間、地球上の主要エネルギー供給は崩壊。

原油価格はバレルあたり700ドルを突破。


ドイツでは暖房が使えず、12月初旬にはミュンヘンやベルリンで凍死者が続出。


イタリアやスペインでは、農地が放棄され、食料供給は崩壊。


ロシアはここぞとばかりに、天然ガス供給を西側に止めることで、ヨーロッパへの圧力を強めた。


それに対抗する形で、NATO加盟国はバルト海沿岸に兵力を集中。


国境を挟んでロシア軍と対峙する状況が常態化する。


そして、12月25日。


世界がまだクリスマスを祝おうとしたその日に、ロシアで重大な事件が発生した。


ウラジオストクに駐留していた戦略核部隊の一部が、反乱を起こしたのだ。


徴兵強化と長期派兵に不満を抱いた若い兵士たちが、司令部を襲撃し、核兵器の一部が「行方不明」になったと報道された。


この「行方不明」という言葉が、世界中に冷たい絶望をもたらした。


誰が、どこで、いつ核を使うのか――予測不能の時代が、本格的に始まってしまったのだ。


2026年。

人類は、破滅のカレンダーの新しい年を迎えた。


もはや「新年」という言葉には、何の意味も宿っていなかった。


世界地図は、あらゆる意味で塗り替えられていた。


中東は数千万人の避難民があふれ、ヨーロッパは凍てつき、アメリカは内戦寸前、中国は沈黙の軍靴を響かせていた。


日本は、比較的「無傷」に見えた。

だが、平穏は虚構に過ぎなかった。


全国各地のコンビニやスーパーは物資が消え、ガソリンは配給制、停電は日常となり、自衛隊は各県で治安維持に当たっていた。


国民は徐々に「現実はもう戻らない」と悟り始めていた。


唯一の希望は、国外で核がこれ以上使われないことだった。


だが、その希望は、2月に入って粉々に砕かれることになる。


2026年2月7日。

NATOの緊急会議が、ロンドンの防空壕内で開かれた。


通信インフラの崩壊でオンライン会議すらままならず、各国の代表はほぼ軍服姿で対面し、事実上の軍事会議となった。


議題はただ一つ――「ロシアの不明核弾頭の行方」と「次の一撃への対応」だった。


CIAの情報では、ロシア極東から消えた弾頭の一部が、中東経由でアフリカ北部の民兵組織に渡った可能性があるとされた。


核の脅威が、国家間ではなく、「誰が持っているか分からない」段階にまで落ちていた。


同じ頃、アメリカでは反戦デモが急速に拡大していた。


「Bring our soldiers home(兵士を戻せ)」のシュプレヒコールがワシントンを埋め尽くし、暴徒化した群衆が国防総省庁舎の門を突破。


軍は実弾を使用し、40人以上の死者を出す大惨事となった。


アメリカの大統領は、暗く沈んだ表情で演説した。


「我々は、秩序を守るために戦っている。だが、その秩序が崩れた今、何のために戦っているのか、私自身も問うている――」


この演説は、一部では「降伏準備」とも受け止められた。


2026年2月14日。運命の日。

その日は、誰もが記憶することになる「バレンタイン・デス」と呼ばれる日となった。


午前9時14分(シリア現地時間)

アレッポ上空を哨戒中のアメリカ空軍F-35が、接近するロシア空軍のSu-57と交戦。


ロシア側は「誤射された」と主張し、F-35を撃墜。


アメリカは即座に報復し、シリアのロシア軍拠点を空爆。


ここから、誰も望まなかった扉が開かれた。


午後2時21分。

ロシア国防省は、ポーランド国内にあるNATO前線基地へ「戦術核」使用を発表。


ワルシャワ近郊に着弾した核弾頭は、都市を一瞬で消し去り、40万人以上が犠牲となった。


数分後、米大統領は報復を決断。


午後3時05分。

アメリカ海軍の原子力潜水艦「USS ネブラスカ」より、ロシアのウラジオストク沖に展開していた太平洋艦隊への戦略核攻撃が実行された。


熱波と爆風により、艦隊は壊滅。沿岸都市も消え去り、何百万という命が灰に変わった。


この瞬間、世界は「相互確証破壊(MAD)」の渦に飲まれた。


午後4時すぎ――


ロシアはワシントン、ニューヨーク、ロサンゼルスへ同時にICBMを発射。


アメリカも、モスクワ、サンクトペテルブルク、ノヴォシビルスクへ報復。


中国も沈黙を破った。


「第三者による先制攻撃は、国家存続への脅威」


として、北京時間17時45分にインドのデリーと日本の横須賀基地へ核を使用。


イギリスとフランスは、ロシアの戦略拠点に応戦。


インドは即座に中国とパキスタンに対し、核報復を敢行。


午後11時。

世界の主要都市のほとんどが、炎と放射能に包まれていた。


衛星通信は全面的に喪失。

ネットワークは遮断され、メディアは沈黙。


最後に受信された国際放送は、カナダの極北基地から送られた、15秒のSOS信号だった。


「…Humanity failed itself...」

(人類は自らを滅ぼした)


人類の歴史は、その夜、事実上終わった。


だが、地球は止まらなかった。

放射性降下物の雨が大地を打ち、あらゆる動植物は急速に死に絶えた。


地下シェルターに避難していたわずかな人々も、やがて酸素、食料、水を失い、互いに殺し合い、静かに息絶えていった。


かつての都市――東京、ニューヨーク、パリ、モスクワ――は、いまや風だけが吹く、音のない墓標となった。


その静寂のなかで、かつて科学者だった男が、一人、瓦礫の中に座っていた。


彼はかつて、原子力の平和利用を夢見ていた。

だがその手で生まれた技術が、こうして人類を滅ぼすとは、誰が予想できただろう。


彼は灰に覆われた空を見上げ、嗄れた声で呟いた。


「私たちは……いったい、何を間違えたんだ?」


その言葉と共に、彼の瞳はゆっくりと閉じられた。


そして、世界は――静かに回り続けた。


2026年3月。


核の炎が燃え尽きた世界に、もはや国境も同盟もなかった。


人類は、もはや「人間社会」を名乗ることすらできないほど、すべてを失っていた。


地上は焼け焦げ、都市は瓦礫と化し、空気は放射線を含み、海は死んだ魚の墓場と化した。


大地には、数千万の死体が埋葬されることなく放置され、空を舞うのは鳥ではなく、灰と死の埃だった。


核戦争後、わずかに生き残った人類は、地球の裏側――北極圏、地下深く、あるいは山岳のシェルターなどで、まるで虫のように息をひそめていた。


だが、彼らもまた「生存」と呼べるような日々ではなかった。


水は濁り、食料は尽き、電力は枯渇し、通信は沈黙した。


外界と繋がるすべはなく、何人が生きているのかも、誰一人知ることはできなかった。


ヨーロッパ北部、ノルウェー山中の核シェルターでは、100人の科学者とその家族が避難生活を送っていた。


だが、放射線障害により3月末までに半数が死亡。


4月には給水装置が故障し、生存者は雪を溶かして飲むようになった。


ある若き女性科学者は日記にこう記した。


「昨日、娘が父の死体の上で泣いていた。彼の最後の言葉は『空気が甘いな』だった。」

「皮肉なことに、私たちの世界で最も甘い空気は、死に向かう空気なのかもしれない。」


北米でも同様だった。


カナダ北部の氷床の下、軍事用に設計されたシェルターで数十名の兵士と民間技術者が生き延びていた。


彼らは軍の命令に従い、地上の再生計画を待っていたが、司令部からの連絡は途絶えて久しかった。


5月、内部の飢餓により自殺が相次ぎ、施設の機能は急速に停止。


最終的に残った7名は、自ら地上に出ることを決断した。


だが、彼らが見たものは、「地球の死体」だった。


かつて緑で覆われていた大地は、赤茶けた荒野と化し、何も、誰も、どこにもいなかった。


東京も、パリも、ニューヨークも、ロサンゼルスも――すべてが音もなく沈黙していた。


2026年8月、地球上に最後まで稼働していたAI観測衛星「アステロス-9」が、ある音声データを自動的に送信した。


それは、南極の無人観測基地で記録された、ある男の独白だった。


「これが、私の最後の報告になる。」

「この地には、もう私一人しかいない。」

「空は黒く、雪は灰色で、南極のペンギンはとうに死んだ。」

「人類は、終わった。」

「科学者として、最後の記録を残す。」

「これを聞いている存在がもし未来にあるなら、我々が犯した過ちを知ってほしい――」

「我々は、戦った。国家の名の下に、宗教の名の下に、正義の名の下に。」

「だが、誰一人、勝者はいなかった。」

「ただ、無数の墓と灰だけが、勝ち残った。」


この音声は、最後にこう締めくくられていた。


「人類という種は、文明を持ったが、理性を持てなかった。」

「私は、ただの観測者だった。」

「だが今、私自身が、被験者となる。」

「さようなら――この星よ。」


この通信を最後に、地球は沈黙した。


2026年12月。


AIや自律型ロボットが稼働していた施設も、電力の枯渇と整備不良により次々と沈黙した。


「アステロス-9」は、太陽光で動き続けたが、太陽を遮る厚い塵雲により発電不能となり、最後の通信ログにはこう記されていた。


【通信終了】――地球上に知的信号なし。

【最終記録】――文明、生存、エネルギー、意志、すべて喪失。


宇宙から見れば、地球は静かに、ただ自転し続けていた。


生命の声なき惑星。

その静寂のなかで、何千年、何万年という時が過ぎていく。


かつての都市の上空を飛ぶ鳥もいない。

草木は枯れ、川は干上がり、大気は硝酸と灰を含み、地球の表面は紫外線に焼かれていた。


地球は、生きているが、誰もいない。


だが、すべてが終わったわけではなかった。


地下深くの岩層のなかに、ひとつの記録装置が埋め込まれていた。


それは、最後の科学者たちが構築した「記憶の箱」


地球の歴史、言語、科学、芸術、失敗と希望――すべてが圧縮されたこのデータ群は、次の知性体に向けて書かれていた。


その中に、こんな言葉があった。


「私たちは滅んだが、どうか信じてほしい。」

「私たちは愛を知っていた。」

「子どもを抱きしめ、空を見上げ、未来を語った。」

「我々は失敗したが、同じ過ちを繰り返さないでほしい。」

「この星には、かつて"ホモ・サピエンス(Homo sapiens)"と呼ばれた存在がいた。」

「彼らは、愚かで、美しく、そして――儚かった。」


この箱がいつか開かれる日が来るのか、それは誰にも分からない。


だが確かに、それは「語りかけて」いた。


この星はかつて、知性を持つ生命がいた場所である、と。


2027年。

地球は、なお自転していた。

だが、その表面を彩る文明は、すでに存在していない。


かつて喧騒と生命に満ちていた都市の風景は、崩壊と沈黙だけを残し、空を飛んでいた航空機も、海を駆けていた艦隊も、すべては朽ち果てた鋼鉄と化していた。


大気は冷え、日照は失われ、放射線を帯びた灰が空を覆い、地球は氷河期にも似た長い、長い“静寂”に包まれていった。


生き物たちは?

生き残っているものは、いない。


地球の表層にいた生命は、ほぼすべて死滅した。

人間だけではない。草木、昆虫、動物、魚類、鳥類――あらゆる生態系が崩壊。


地球は、“生きた惑星”から、“記憶の惑星”へと変貌した。


地中深くには、まだ微生物が耐えている可能性があった。


だがそれは、かつての文明に「目を向ける」ほどの存在ではない。


彼らは言葉を話さず、火を使わず、ただ分裂を繰り返すのみ。


未来へ何かを伝えることも、誓うこともできない――人類が最後に失ったのは、「語る者の不在」だった。


それでも、時間は流れる。

100年、500年、1000年……

建築物は崩れ、コンクリートは粉々になり、金属は錆びて朽ちていった。


ロンドンのビッグベンも、東京のスカイツリーも、パリのエッフェル塔も、人類の偉業を象徴した全ての構造物が、地震、風化、沈下により姿を消した。


人工衛星は軌道を乱れ、やがて重力に引かれて大気圏で燃え尽き、核シェルターの鋼鉄扉すらも、地下水と膨張によって崩落した。


文明の痕跡は、風に乗って砂の一部となった。


それでも――


どこかに、誰かが残した“記録”があった。

それはあるいは、人工知能が残した最後の音声データかもしれない。


あるいは、地下深く保存された「記憶の箱」かもしれない。


地球は、そのすべてを“ただ保持した”。

記録も、後悔も、祈りも――受け継ぐ存在がないまま。


数万年後、空気中の放射線は、ようやく安全レベルへと低下し始めた。


死の大地には、いくつかの“兆し”が現れる。

苔が、再び岩陰に生えた。


水が流れ、雨が大地を打ち、地下で生き延びていた細菌や原始的な微生物が活動を再開する。


それは、まるで「地球が息を吹き返す」ような静かな再生の始まりだった。


しかしその光景を見守る人間は、もういない。


彼らが辿った果ての果て――それは、あまりにも愚かで、美しく、そして静かすぎた。


10万年後。

宇宙のどこかを漂っていたひとつの探査船が、軌道を修正し、かつて「地球」と呼ばれた星へ接近する。


その探査船は、シリウスB星系の第三惑星からやってきた、知的生命体のものであった。


彼らは銀河系をめぐる観測者として、文明の痕跡を収集していた。


船の中の指令AIが語る。


「この星には、かつて“ホモ・サピエンス”と呼ばれる種族が存在した痕跡がある。」

「彼らは核を制し、空を越え、海を渡った。」

「しかしその知性を、自らの生存に使えなかったようだ。」


調査隊は、地下岩層から“記憶の箱”を発見する。

古代言語(日本語・英語・アラビア語・中国語など)が複数記録されたそのアーカイブには、こう記されていた。


『我々は生きようとした。』

『争いを超えようとした。』

『しかし恐怖と欲望に負け、最後の扉を開いてしまった。』

『それでも、どうか覚えていてほしい。』

『この星には、一度だけ――』

『“心”が存在していた。』


彼らは、記録を母星に持ち帰る。

数年後、銀河の片隅で開催された「文明考古会議」では、この記録が展示された。


司会官はこう言った。


「地球文明――滅亡率:98.7%、保存記録:僅少、原因:内的衝突。」

「遺されたメッセージは、美しかった。」

「だが彼らは、最後まで“自らと向き合えなかった”。」

「言葉を持ちながら、心を制御できなかった。

「それこそが、滅びの理由だった。」


議場に沈黙が走る。

そして誰かがぽつりと呟いた。


「それでも……彼らの祈りは、確かだった。」


文明の考古記録の末尾には、地球語でたったひとつの言葉が書き残されていた。



『きぼう』

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