第24話
宿舎に戻ると、俺は自室のベッドに横になり、天井を見つめる。
「ユフィリアが、俺に……か」
そう呟いてみたが、現実感が薄い。彼女は常に理性的で、感情を表に出すことが少ない人物だと思っていたから、そのギャップに俺は戸惑いを隠せない。彼女の口から出た「あなたが欲しい」という言葉が、何度も脳裏をよぎる。
◇
その日の昼過ぎ、再びユフィリアの研究室へ向かった。扉を開けると、彼女は既に複雑な魔術陣の前に立っていた。その表情はいつものように真剣そのものだが、俺が入室すると、僅かに頬が緩むのが見えた。
「健太さん、いらっしゃい。ちょうど最終段階です。これまでの解析データから、あなたの魔力特性に適合する、新たな魔術式を構築しました」
ユフィリアはそう言って、俺を魔術陣の中央へ促した。俺が寝台に横たわると、彼女は俺の目の前で、小さな魔術書を開いた。
「この魔術は、あなたの魔力と、対象の心身の状態に働きかけるものです。対象に直接触れる、特に抱擁することで、対象に抗いがたいほどの強い幸福感をもたらします。これは、他の誰にも使うことのできない、あなた専用の魔術です。名付けて、『至福の抱擁(フェリシアス・コンプレクサス)』」
「抱擁することで……至福を?」
俺は思わず繰り返した。まさか、触れるだけで相手をそんなにも幸福にする魔法があるとは。しかも、ユフィリアが俺のためだけに作り上げたという事実に、胸の奥が熱くなる。
「ええ。この魔術は、あなたが対象を抱きしめることで発動し、その瞬間から脳内に幸福物質が溢れ出すかのような、最高の心地よさをもたらします。いかなる不安や不快感も払拭し、まるで夢のような喜びで満たされるでしょう」
ユフィリアはそう説明しながら、その瞳は期待に満ちて輝いていた。彼女は俺の手を取り、魔術書に記された複雑な術式を指差す。
「この術式をあなたの魔力に刻み込みます。効果は、あなたが抱擁した瞬間に現れるでしょう」
彼女の言葉に、俺は頷いた。ユフィリアが俺の額に指先をそっと触れ、短い詠唱を始める。すると、俺の全身に温かい光が満ちていくような感覚がした。俺自身の魔力が、新たな回路を得たかのように、淀みなく流れていくのを感じる。
詠唱を終えたユフィリアは、魔術書を閉じた。彼女の表情は、どこか達成感に満ちている。俺は、自然と彼女への愛おしさが募っていた。
「ユフィリア」
俺は、溢れる感情のままに、彼女の名前を呼んだ。そして、一歩踏み出し、迷うことなくユフィリアの華奢な体を、そっと抱きしめた。
その瞬間、俺の体から温かい魔力の波動が、抱きしめたユフィリアへと流れ込んでいくのがはっきりと分かった。
ユフィリアの表情が、みるみるうちに変化していく。最初は驚きに目を見開き、次いで、その瞳の奥に、幸福の光が灯った。彼女の顔はみるみる紅潮し、口元からは、か細い、甘い吐息が漏れる。
「健太さん…っ、これは…っ! な、なぜ…っ、急に…っ、そのようなことを…っ!」
彼女の声は、歓喜に震えながらも、突然のことに困惑が混じっていた。ユフィリアの体が、俺の腕の中で、微かに、しかし激しく震え始めた。まるで、これまでに経験したことのない、あまりにも強い感情に、彼女の理性が抗おうとしているかのようだった。
「だめ…っ、この感覚は…っ、私の…っ、研究に…っ、支障をきたす…っ!」
ユフィリアは、俺の胸に顔を埋めながら、絞り出すようにそう言った。しかし、その声は甘く、切なげに響き、言葉とは裏腹に、彼女の指先は俺の背中に深く食い込み、まるで離れたくないとでも言うように、しがみつく力が強まった。
「っ…駄目…っ、考えられない…っ、全てが霞む…っ。お願い…っ、これ以上は…っ! あああ…っ、これでは…私が…あなたなしでは…生きられなく…っ…なる…っ! いや…っ、駄目、だめよ…っ、貴方…っ…!」
彼女の全身からは、理性を手放し、ただ幸福に浸りたいという本能的な欲求が、ひしひしと伝わってくる。
「っ…この魔術は…っ、あなたの…っ、新たな力となるでしょう…っ! しかし…っ、その力は…っ、強大です…っ! 抱擁をすることで…っ、発動するため…っ、対象が…っ、あなたに…っ、過度に依存する…っ、可能性も…っ、あります…っ…! だからこそ…っ…!」
ユフィリアは、俺に抱きしめられたまま、辛うじてそう呟いた。その声は、甘く蕩けているにもかかわらず、どこか強い意志を宿している。
「だからこそ…っ、私と共に…っ、その力を…っ、完全に…っ、理解し…っ、制御する方法を…っ、学ぶ必要がある…っ。あなたは…っ、私の傍を…っ、離れてはなりません…っ!」
こんなにも純粋な感情を曝け出しているユフィリアが、どうしようもなく愛おしくなった。
「ああ、分かった。ユフィリア。俺は、お前の傍を離れない。この力も、お前と一緒に、完璧に使いこなせるようにする」
俺がそう囁くと、彼女をさらに強く抱きしめた。ユフィリアの体はさらに震え、その細い指先が俺の背中を、まるで爪を立てるように食い込んだ。
「私は…っ、抗っているのに…っ…! なぜ…っ、なぜ、そんな…っ、私を弄ぶようなことを…っ…! ひっ…っ! 健太さん…っ、だめ…っ、もっと、強く…っ、ああ…っ、もう…っ、思考が…っ、溶けて…っ、いく…っ…! 」
彼女の理性を振り絞った最後の抵抗だった。しかし、その声は抗うほどに甘く、俺の腕の中で完全に、至福の渦に飲み込まれたようだった。ユフィリアの表情には、研究者としての冷静な分析の光が完全に失われ、俺への抗いようのない愛情と、深い、深い至福が、はっきりと同居していた。
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