アルク 65歳新人術士 見た目20代

せしる

アルク 序章|65年の封印と解錠

この世界には──魔法が存在する。

それはすべての人に等しく与えられるものではなく、

時に、生まれつきの素質として、

時に、人生のある瞬間に目覚め、

そしてまた、ある者には“封印されたまま”の力として存在する。


魔法とは、生き方そのものを左右する“現実”だった。


序章|65年の封印と解錠


静かな夕暮れ。魔術医療センターの屋上には、柔らかな春風が吹いていた。


九条 岳──65歳にして“封印型”から解錠されたばかりの男は、

誰もいない屋上で、右手をゆっくりと天に向けて掲げていた。


「参考書で読んだだけのことだ。俺にできるかどうかなんて、わからない。

 だけど──やってみる価値はある」


岳は目を閉じ、右手に意識を集中させる。

指先から、掌へ。微かなぬくもりが波紋のように広がっていく。


──白。

それは魔力の顕現。術式ではない。

ただ“魔力を使える”と知った者にだけ宿る、純粋な力のかたち。


青──金──赤──紫……


「……まだ、いける……」


岳は心の奥底から湧き上がる衝動に突き動かされるように、さらに魔力を注ぎ込んだ。


──ギャンッ!


空間が歪む。音が弾け、重力すら一瞬ねじれるような感覚。

彼の手のひらに宿る光は、やがて漆黒へと変わっていた。


「これが……黒か……」


その瞬間、背後から軽やかな声が届く。


「今日は春なのに冷えるなぁ」


振り返ると、そこには一人の女性がいた。

スーツ姿で、ノーメイク。だが整った顔立ちに、缶コーヒーを片手に持っている。


「それが65年間熟成された魔力かい? まるで……ワインみたいだな」


その口調は軽い。

だが、岳は直感した。この女、ただ者ではない──と。


「……君の中にあった魔力か。ずいぶん静かに狂ってる」


缶コーヒーを一口飲んでから、女性は言った。


「初対面でこう言うのもなんだけど──うちに来ないか?」


「アルク株式会社。呪詛士・怪異の排除と対応が主な仕事だ」


「このまま力に飲まれれば、“あちら側”に行くだろう。それはそれで……処理対象になる」


「でも君は“まだこちら側”にいる。なら、スカウトする価値はある」




一呼吸置いて、彼女は缶コーヒーをもう一口。

その表情が、ほんのわずかに和らいだ。


「……解錠を担当した医師から聞いたよ。君が、魔法のない人生を65年も過ごしてきたって」


「正直、よく壊れなかったなと思う。いや、壊れてたとしても……誰も責められない」


わずかに口角が上がる。皮肉でも、同情でもない。

そこにあったのは、確かに“人”としてのまなざしだった。


岳が手を下ろし、まだじんわりと熱を残した掌を見つめていると、

隣に立つ女性──楠原 静がふと彼の瞳を覗き込んだ。


「君さ、私の倍以上生きてるし、魔法にも興味津々なようだから……」


言いながら、静はふわりと目線を逸らし、夕焼けに染まる空を仰ぐ。


「本屋で売ってるような魔法の参考書くらいは、読み込んでるんじゃないか?」

「いきなり魔力密度を上げたりしてるしさ」


岳は少しだけ口を引き結び、黙って彼女の言葉を聞く。


「封印型の解錠が成功して、魔力量が多い場合──」

「呪詛士に堕ちやすいって、知ってた?」


「……僕が、呪詛士になるとでも?」


そのぶ然とした声音に、静がくすりと笑う。


「君の魔力が、そう言ってるからさ〜」

「だから……そうなる前に声をかけたんだ」


「……スカウトっすか?」


すると静は、ぴしっと人差し指を立てて、笑顔で言った。


「──正解♪」


「まぁ、なんだ」

「労働環境は良いぞ〜。休暇もばっちり、給料も“それなり”には出る。土日出勤もあるけどな……」

「代休も、ちゃんと取れる! うちはブラックじゃない、たぶん!」


ふふんと鼻を鳴らすように胸を張るその姿に、岳の口元がわずかに緩む。


しかし、次の瞬間。

静の表情がふいに真顔へと変わる。


「……ここで私を何とかできたとして、君が呪詛士になったって──」

「追われるだけだよ」


「確かに“自由”かもしれない。けどね、君が今まで生きてきた基盤とは、まったくの別物になる」

「……もしかすると、“解錠前”よりもビクビクして暮らさなきゃいけない日々になるかも」


静は、缶コーヒーを片手にしたまま、岳に向かってもう一歩近づくと──


「──うちに来て、1年間試してみないか?」

「魔法が“普通に使える世界”を、君自身の目で、ちゃんと見てみてほしいんだ」


その瞳は、どこまでもまっすぐだった。


岳はほんの少し考えてから、あえてこう切り返した。


「……一年か、試したとして──退職して呪詛士になっちゃっても……いいかな?」


静は、ふっと笑って缶コーヒーを指でカチャリと鳴らす。


「全然おっけ♪」


「でも、賭けてもいいよ?」


缶を掲げるようにして、まるで“トースト”のように岳へ向けて笑ってみせる。


「一年経てば──今の気持ちも、きっとキレイに晴れてる。

楽しく働いてる君がそこにいると思う。そうじゃなきゃ、君は65年も──

いや、社会に出てから今までの時間を、ちゃんと生きてこなかったことになるからさ」


岳は少し目を伏せ、静かな風の中でふっと思った。

(……何か調子が狂うな。

“1年くらいなら、まあ……良いんじゃないか……なぁ、岳”)


そして小さく息をつき、今度は表情を少しだけ緩めて聞いてみる。


「──賭けに負けたら、どうします?」


その問いに、静はくいっと右手を上げ、こぶしをくるっと回す。


「……キツイの一発、お見舞いします!」


──それが、九条 岳と楠原 静の、最初の出会いだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る