第2話

 桜並木の下を闊歩する。近くにある国立大学の学生やら、音大の学生やら、私たちよりうんと頭のいい高校生やらに混じりながら。時には肩身の狭さを覚えたりもする。私の合間を縫うように走り抜けて行ったのは近くの私立小学校の生徒。あそこまで頭空っぽにワイワイ騒げるのは素直に羨ましいと思う。黄色い帽子を吹き飛ばし、蝶でも追いかけるように走るその様は本当に……羨ましい。私がとうの昔に捨ててしまったものを彼ら彼女らは持っている。

 そう遠い目をしながら歩く。

 そしてこれから三年間通う予定の校舎と校門が見えてくる。入学式というのもあって、保護者同伴の生徒たちが多い。制服に着られている彼ら彼女ら。多分私の同級生になる人たちだろう。


 校門の前には『‪✕‬○年入学式』という立て看板? のようなものがある。そこでこぞって写真を撮っている。

 うわあ、入学式してんなーと他人事のように立って眺める。

 高校を卒業する頃にはその写真を見て、初々しいなとか懐かしいなとかそういう感情を抱くようになるんだろうなあ、なんてぼんやり思う。


 「……視線を感じる」


 ぽつりと呟いた。


 変なところで立ち止まっていたせいだろうか。妙な視線を感じる。鋭いものだ。

 顔を顰めながら振り返る。目が合ったのは金髪の美少女。陽キャ、ギャル。まあそういう類の人間だと一目見てわかった。

 単刀直入に言ってしまえば、嫌だなあと思った。私とは馬の合わない人間。線と線が決して交わることのない、遠い存在の人間。


 数秒見つめ合って、目を逸らす。


 関わらないし、関わりたくもない。

 できれば卒業まで、距離を置いて学校生活を送りたい。彼女と接することになるのならば平穏な高校生活は遠ざかっていくことになるのだろうと、本能的に悟ってしまった。


 頭の中にもやっとなにか引っかかるものがある。だがしかし、それがなんなのかはわからない。相手を見た目で判断したことによる罪悪感なのか、それともギャルっぽい女の子と目を合わせてしまったという恐怖によるものなのか。こればっかりはわからないが。


 私は逃げるようにその場を立ち去る。早歩きですたすたと校門を抜けて、昇降口に辿り着く。

 長細い机を介して配布しているクラス表を受け取って、すぐに指定された教室へと向かった。


◆◇◆◇◆◇


 教室に入る。

 空気はどんよりしていた。息をすることさえ憚られるような重たい空気が漂っていた。足音さえ鳴らしたくなくて、全神経を足に集中させて、ゆっくり歩く。名前順的には『み』なので遠い席。安達とか、梓川とか、綾小路とか、井ノ上とか。順の早い名前ならばとれほど良かったか。どうしようもない嘆きを胸の中に抱えながら、自分の席に向かった。


 ぼけーっと、窓の外を眺める。これから一年間。きっとこの景色と付き合ってくことになる。

 四季折々様々な顔を見せてくれるのだろう。特に授業中。相棒よろしくな、なんて心の中で挨拶をしていると、やたらと目立つ輩が教室に入ってきた。金髪の女の子。さっき、校門で目を合わせた女の子だ。


 「はあ…………」


 深いため息を吐く。そして頭を抱えた。

 最悪。最悪すぎる。入学式早々からテンションが右肩下がり。意気消沈。

 できるだけ関わらず学校生活を送ろう。そう決意してからたったの五分。また顔を合わせてしまった。頬杖を突いて彼女のことを見ていると、また目が合った。目が合って、お互いに目を逸らさない。あっちはあっちでなにかを考えているようで私のことを見つめているし、逸らそうとする素振りすら見せない。それも含めて最悪だった。

 もうこれはあれだ。目をつけられた。多分目をつけられた。いいや、多分じゃない。絶対に目をつけられた。

 なんか悪いことしたんかな。そうエセ関西弁で嘆きたくなる。

 ここまで来ると目を逸らすことさえできなくなる。森で熊に遭遇したような気分だ。目を逸らしたらその瞬間に襲われるんじゃないかって思ってしまう。だから逆に目を逸らさないように……って意識をする。


 十秒、三十秒、一分、一分半、二分……。


 時だけが流れる。

 教室内は時計の秒針の音しか響かないほどに静か。静寂がこの場を支配していた。そのせいでこの見つめ合うだけの時間がとてつもなく長く感じられた。


 痺れを先に切らしたのはあっちだった。

 歩き始める。だが、目を逸らすことはない。

 強い目力で、睨むように、こちらを見続けながら歩く。


 そしてやってくるのは私の目の前。

 机の前にやってきて、しゃがむ。

 金色の長い髪の毛を靡かせながら、少しだけ机の上に乗せる。


 「ねえ」


 想像していたよりも少しだけ低めの声だった。もっと甲高く、耳に響くような声なのかと身構えていたので、私の中に軽めながらもギャップが走った。


 「ねえってば」


 ぼけーっとしていると、彼女は少し強めにまた声をかけてくる。


 「聞こえてるでしょ。わざと無視してる?」

 「んん」


 喋るだけで目立つのであまり声を大きくしない。喉を鳴らすように小さく、そして同時に首を横に振って反応をする。


 「君、どっかで会ったことある?」


 腕に顎を乗せて、訊ねてくる。


 「えーっと、さっき校門で――」

 「違う違う、そうじゃない。もっと前の話。もっと、ずっとずっと前の話」

 「じゃあ記憶にない」


 会ったことなんてない。

 だから素直に答える。


 「うーん、そっか。でもどっかで……思い出せないなあ」

 「気のせいだと思う。私は本当にこれっぽっちも既視感もなにもない」

 「そう?」

 「それに……その目立つ髪色。見たら覚えてるはずだから。それでも記憶ないってことは、会ってないってことだと思う」

 「そっか……そうか。そうかも。うーん、でもなあ……」


 周りを気にすることなく、ぶつぶつ小言を口にしながら私の前から去っていく。その後ろ姿を見て、どっかで会ったことあるかもしれないという気持ちがちらりと顔を出すがきっとそれは気のせい。

 既視感なんて、なくても勝手に作り出されてしまうものだから。

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