短編集
ナイリル リーン テイル
星へと至る
奢ってあげるよ、私は驕っているからね。
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やはりまだ硬さを感じるような冷たい風の中に、柔らかさを感じる。それは今まで静かにしていた自然が語りだしてからであろうか。あるいは何かの芽生え、始まりを感じる季節だからであろうか。
視界に入る草木は若々しさを感じるような明るい緑色をしている。
全くなんなのだろうかこの地は。
草木はいきいきとしてるのに空気はちっとも暖かくないじゃない。空はよく晴れてて、明るさと冷たさが合ってないのよ。適当にこもって時間を潰すのも飽きてきたから外に出たはいいけど、あんまり気分が晴れないし。冬って退屈なのよね。なにか面白いものでもないかしら。たがら各地を転々としてるのはいいのだけど、やっぱりダメね冬なんていうのは。なんかないかしら、こんな時でも時間を潰せる場所は。はあー夜が待ち遠しい。
空白を埋めるために外に出た彼女。そんな鬱滞とした行き場のない頭の中と違い、足を進めていく。視界の先にある街をめざしているのだ。町の名はルクルザと言う。彼女は魔法を使うことができる、世界と対話する存在であるブリージャーだ。そのためやろうと思えば魔法を行使し、空を駆けることができるのだが、それをしない。彼女の人生において思考をしない瞬間はなかった。一時的な停止期間はあるのだろうが彼女は考える者であり、観測する者であるのだ。そんな彼女において歩くということは実に大事なことである。行動をすることで雑音を遠ざける、そんな気がするのだ。
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季節が変わるように、ほぼ全てのものは変わる。一番身近にあり、普遍的だと見えるものとして自然と空だと思う。でも、もっとじっくり見てみると実はそうではない。草木だって変わっている。三本の槍が重なり合っていたように見えた背の高い草はいつのまにか消えてしまっていた。あるいは帰ったのだろうか。そしたらまた別の場所に緑の戦場は現れた。今度は四本、五本、時折みな飽きてしまったかのようにそっぽを向いている奴もある。あるいは一本だけのやつもいる。どこか気高いようで虚しさも同時に感じる。まるで墓標代わりの剣や杖のよう。今度は緑と青との境界線を渡る。そうすると常に変わり続けている空がある。でも時折心の模様のような雲や、灰色を見せるだけでどこが繰り返し繰り返しいつまでもある気がする。星空だってそうだ。いつまでも輝き続けるものがありそうだ。そこでその美しさを見てみた。そしたらどうだろうか、意外なことにもあの、空ですら変化している。雲には法則性があるが一切合切が同じというのはあり得ない。星空だってそう。光の強弱に星々の配置や動き、そもそもその星が無くなることだってあり得るのだ。すべての者は変わり得る。エルフである私だってそうだ。だからこそ私は考え続ける。変わっていくものに執着するくらいなら終わりのないこの世界に居続ける方がいい。この世界は心地よい。受容も抗拒、そのどちらも存在しうる。そして私はただただ漂っていく。
また思想の世界へと漂おうとしたが、とある違和感を感じ取った。この世界を唯一あるものたら占めてくれる人類の偉大なる発明、紙がない。そういえばしばらく人里の方へ赴いていなかった。数年単位ではないが時間を忘れて没頭してしまっていた。思考のグラデーションをさげて視界を外界へと向けてみる。机は荒れている。インクの空き瓶は転がり、情報をまとめた紙と思想を整理するためのもはやメモとも言えないような紙をざっくりとわけて置いてある。それもその区分すら曖昧になりそうな広がり方をしている。研究資料に、気分転換のための本。これらはもはやその場に存在しているというほかない悲惨な状況になっている。さらに視界を外の方へと向けてみる。煩雑なこの机とは対照的にそとの世界は震えるほどに静かだ。様々な色彩をもつ植物、青く澄み渡った空、純銀が積もる山脈。すべての者たちが無意味に意味を有しながらただただそこに鎮座する。あるいはそこで何かを思い、意思を持ちうたっているのであろうか。やはり外はいいものね。いちど外に出てみようかしら。
ずっと椅子に掛けてあった外套を羽織る。エルフ族の皆が誇りをもつ外套だが今は意味を持たないただの上着としてただただ主を守るものとして。
空気は以外にも温かい。すこし風がくると冷たさを感じるのだが、青々とした植物たちのせいだろうか。
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いくつかの感情と外の世界を反芻しているといつの間にか町へとついていた。町へ入る途中に兵士たちがいたが特段何も注意されることなく入ることが出来た。この時期は人の通りが多いのだろうか?それとも雪解けが進むと同時に心までゆるくなっているのだろうか。
まあそんなことは問題ではないわね。
町中を見渡しながら歩いて行く。入り口付近は比較的荷物?モノが多かった。そしてそれに関わる人しか居なかった。しかし中へ中へと進んで行くと景色が変わっていく。大通りには人々がちらほらいる。お祭り騒ぎのように多くいるわけではないが、冬の時に比べると多くなっているのだろう。
さらに先へと進んでみる。雑多なものが並ぶ店も出ていれば、食物や酒、オイルやアク落としの粉など消耗品が並んでいる。どこか統一感がないそんな品揃えだ。雪解けの後は商人が多く来る場所なのであろうか?それなら入り口に荷物や木箱が多く並んでいたことの説明もつく。雑貨の中には衣服や装飾品などもある。またこの土地で取れるとは思えない鮮やかな食物?植物?も並んでいる。情報量が多い通りに来てしまった。
まったく、こういうのもいいけれど私は今そういった気分じゃないのよね。落ち着いた場所で無意味に漂いたいのよ。
あたりをまた見まわし始める。
あら、よく見てみると向こうら辺から店がまばらになってるじゃない。そもそも出店すらない建物もあるわね。
また歩き始める。
店がまばらになり、そして出店すらない通りに出る。しかし出店がないだけで建物自体はある。多くの建築物は白色の入った石材が使われている。木組のものもあるが石材を使っているものの方が多い印象だ。そしてその石材が光を反射している。そんな明るさと温かさを感じる風景にどこか異様感が漂う、そんな建物を見つけてしまった。
いや、あるいは引き寄せられてしまったのかもしれない。
カラァン
涼しさを感じさせる音が鳴る。ベルか何かがついているのだろうか。それもなぜ。こんなものどこかの貴族のお家でしか見ないのに。
それは置いておくとして、なかなか悪くないじゃない。窓ガラスはあるもののどこか光を完全に入れていない。なにか特殊な加工をしているのだろうか?それとも魔法による調整だろうか?どこか落ち着きと眠たさを誘うような暗さをしている。しかしそれでいて品物近くには明かりがあり何があるのかはしっかりと分かる。いいじゃない。雑多な情報が入ってこない。どこか夜を思わせるような雰囲気ね。並んでる商品は、紙にインク、シラドリの羽かしら?悪くないじゃない。ここらで取れる鳥の羽の中ではこのシラドリの羽が一番書きやすいのよね。素材の強さとインクの保持がいいバランスでほんとに羽ペンとして適しているのよね。
そうして彼女は店をぐるりと見まわしていた。すると奥の方の棚近くに人影がある。あの外套どこかで見た覚えがあるような気がする。どこであっただろうか?模様などがあれば判別が出来るがそれが、くすんでいるのかとても見られない。あるいはもともとなかったのだろうか。汚れている?使い古されているのか、店の中が暗いこともあり想像がつきにくいのだ。少し近づいてみる。さすがに顔は覗き込めないがなんの本棚なのか分かるくらいまで足を進める。それも自然に。なにやらここには魔術に関する本、星に関する本、薬草学の本などが分類ごとに分かれて置いてある。それもレベルが高いものが散見する。
本は結構貴重なものな筈なのに、いい時代になってきたのかしら?それともこの街の景気がいいのかしら?それとも店主がもの好きなのか、名のある学者だったのかしら或いは。
店について夢想をしながらあたりを見回していると、奥の方の本棚にいた人物が動き出した。
私もちょっと見てみようかしら。ちょうど籠るときのあたらしい暇つぶしの本が欲しかったのよね。
奥の方から声が聞こえてくる。
「これをお願いします。」
女性の声なのだろうか、どこか涼しげで透明感のある声だ。
「はいよ、そうさねこれは1金貨(ヴァーレ)2銀貨(ウルラ)だよお嬢さん。」
店主の発言からして女性なのだろう。小さな小袋の紐を緩めて中のものを選定して出していく。そして小気味よい金属の音が響く。そこで店主が一言。
「あー、ごめんねぇお嬢ちゃん。この銀貨はつかえないんだよ。数年前に銀貨が変わってねぇ。金貨はまだ使えるんだけど。ほかの者はあるかい?」
その声を聴いた彼女はどこか困った様子になっている。顔色は見えないが確かにそうだと感じ取れるのだ。銀貨の改正も、それに伴う以降の猶予期間はとっくに過ぎている。私の様にどこか別の地の者なのだろうか?それなら合致は行く。しかしそれにしてもこの国の、いや周辺地域は統一貨幣の強いるような者たちの割合が高い。それにこの街は交易をしているようなのに猶更どこか不思議に思う節がある。
そんな彼女に何かを感じてしまったんだろうか?私の体は自然と動いていた。たしか2銀貨といったか。ポケットの中を弄り鈍い銀を二つ取り出す。
これで足りるかしら?
「ほぇ?いえ、そのっっ」。
戸惑う姿になにかあたたかな心地を覚える。しかし有無をも言わせない。
「奢ってあげるよ、私は驕っているからね。」
そうしてすぐさま出てしまった。
自分でも何をしているのかわからなかった。見ず知らずの他人に貴重であるはずの金をわたし、お礼すら言わずに出て行ってしまったのだ。しかし心に残ったこのもやもやは決して悪くなかった。
以外にも可愛らしい見た目だったわね。透き通った白髪、雪みたいに白かったわね。それにここら辺の子じゃなさそう。
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思考が硬直して、動けなかった。やっと頭の中で整理をして外に急いで出る。しかしもうすでに人影は無くなっていった。この店の近くは比較的人通りが少ないはずなのに、それでも見つからない。
店主にお礼と、件の人が現れたら教えて欲しいとの文言を伝えて再び外に出る。
なんなんだったんだろうあの人は。嵐の様だ、という表し方がある。でもそれよりもっと早くて、わからない人だった。あるいは私は幻覚を見ていたのかしら。こもりすぎておかしくなってしまったのだろうか?でも不思議と嫌なものを感じなかった。なぜであろうか。ともかく今は、思想の元へと漂える気がしない。場所を変えようかしら。
教皇暦xxx5年3月中頃。
昨日の出来事はやはり何かの幻であったのだろうか。しかしその出来事が幻ではないと証明しうるものが私の手の中に握られてしまっている。店主にまた聴こうとは思うが、今日はあの店に行くような気分ではない。冬を越してあの店主以外の者とはほとんど話さなかったからであろうか。形式的な話以外できる気がしない。それに、なぜだかわからないこのもやもやがいつまでたっても晴れないのだ。どうしよう。町から出て気の向くままに足を運んでゆく。魔法で飛んでいこうかとも考えたが、そうしたら時間が稼ぐことができない。この胸の靄は晴れずにいるのだ。
そうだ、今日は星を見に行こうかしら。
私は冬が嫌いだ。特段これといった理由はないけれど、好きではない。あるいは嫌いなのかもしれない。でもこれは断定ではないの。寒いのが嫌なのではない。ただこの髪色が、この白髪が或いは私自身が吹雪の中にいるとかき消えてしまうような気がする。どこか寂しさに近い感覚が襲う。だから雪が溶けてきて、植物たちが、緑色が見えだすこの季節が好きだ。
この季節から世界が私のことを受け入れてくれる、そんな気がする。
雪解け水が流れ出し、水量が多くなっている川の近くの道をさらに奥へと進んでいく。春初めのような、ささやかな賑やかさのある町が、城壁がどんどんと小さくなっていく。そして地平線との境界が無くなってしまい、紙程の薄さになる頃に、私は目的地へとたどり着いた。今日は昼過ぎに起きてゆっくりとしていたためであろうか、すでに日が落ち始めている。冬を越したと雖もまだ日は短いのだ。それにまだまだ息は白いままで、自慢……でもないがこの尖っている長耳もおそらく赤くなっているのだろう。しかし幸運なことにちょうどよく燃えそうな枝はそこら中に落ちている。しかし何はともあれ日が沈み切る前に目的地へとつかなければ。さすがのエルフである私とは雖もこの寒空の元、何もなしに野宿することはできない。
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だいぶ日も落ちてきた。空が濃い紺色になり、地平線との空の境界に淡い橙色が挟み込まれている。刹那的な美、私はこの時間が好きだ。星空も好きだが、この時しか味わえない一瞬に宿っている。どこか切ない気はするけど、でもこの景色はかえってくるものなのだ。
そうして空を横目にログハウスでの準備をする。いや、ログハウスで、と言った方がいいか。これから夜を見に行く。皆が静まり返る星空の本、私はその天上を観察しに行くのだ。特段意義があるわけではない。強いて理由をつけるとするのであれば、今の私は本と言う紙とインクとの物体と自分の意識をぶつけるに値する気力がわかない。今の気分はただただ彷徨いたい。意識をうすめて、夜の元に浮かび、知覚する。やはり私がエルフだからであろうか、時折こうして外の世界の元に飛び込みたくなるのだ。そして私の感はいつも当たり、心地よさがくるはずだ。
そんな自分の意思とは真逆の思想という行為をしながら歩いていると目的地についた。時間を忘れると言うことにおいて考え事は役立つな、なんてことを考えたが、すぐにフォーカスを一段階下げる。
どこか乾いたような、あるいは燻されたような空気を感じる。誰かがいたのだろうか、あるいは。
当たっていた。先客がいたらしい。ここらでは見ない丸型?のようなテントがあり、近くにほんのりオレンジの小さな焚き火が燃えている。お邪魔するわけにもいかないから少し離れよう。幸いなことに木々が生えている中にテントがあるので存分に星空と語らえそうだ。
木々がほとんどない草原のもとに体を預ける。そして紙をひろげて考えている。草木に夜鳥、紙、そしてその中に私の呼気が入り混じる。そんななか静かな声と木と金物がこすれる音がした。思考から近くへと流れていく。そうすると少し先の方に岩肌があり、その上に人影が見える。私と同じように星を見に来たのだろうか?測量か、あるいは絵をかいているのか。普段の私であれば他人のことなど気にしない。でも気になってしまう。その気持ちは止められないので仕方なしに見に行ってみる。
その人影は理の道具を握っていた。方位磁針に分度器、膝の上に紙面。しかし見たことがない金属機がある。測量機の類であろうか。一番近いもので言うとアストロラーベが考えられる。でも私の知ってるものと少し違う。アストロラーベは本来平面的なものなのだがそれが横にも広がっている。丸い縦の金属に横に円盤の板が広げられている。三次元的な広がり方をしている。その道具を頭上に時折持っていき、そしてまた紙面に視線が向けられている。何か悩んでいるのだろうか、右手のペンが止まっている。外套で頭が隠れているので表情が読み取れないがおそらくそうなのだろう。しかしなぜだろうか、困った人を助けるのが好きだとか、そういった感情は無いのに勝手に体が動き出してしまった。後ろに回り込み、式と図案を解析する。目と頭に魔力を流し込み、そして自身の目と瞼の動きを媒体として記録。この魔法は影送りのような感じだ。この魔法は結構頭が痛くなってしまうが短時間なら問題はない。図式を見てみると少しのずれと計算式による抜けがある。
「あ、あの、ここの式の値とここの点、ずれてます」
一切の返事をせず彼女は手元を動かした。そして右手のペンを持ちながら顔の前に持っていき悩む。外套のせいで見えない彼女の表情はどうなっているのだろうか。しいて見えるとすれば外套から黒い髪があふれ出ている。そんなことを考えていると、彼女の思索の旅は終わったのかすぐさまペンをはしらせた。そして気分がよさそうにペンを指先に挟んで揺らしながらこちらを向き
「あー、ありがとうね。ちょっとびっくりしたけどすっきりしたわ」
どこかで聞き覚えのある声だ。それにしても急に話しかけて気まずくならなくてよかったと今さらになって遅すぎる配慮の思考が走った。
「あ、どっ、どういたしまして」
そういうと彼女はどこか驚いたような、まるで猫が虚空を見つめたときのような表情をしたかと思うと、こちらの顔であろうか、あるいはもう少し上の方をみる。その瞳は濁りの無い黒目だったが何よりも輝いて見えた。
「ひょっとして本屋、あの暗めな店にいた子かしら」
そうだったのか、この声はあの時の人であったのか。そうだあの時のお礼をしなければ。
「あ、あの時はありがとうございました。あのきちんと返します」
話を遮るように右手の甲を突き出してくる彼女。
「いいのよ。言ったでしょ、私は驕ってるって」
どうしてそのような表情をできるのだろうか。どこか自慢げ、というか明かるい表情だ。でもどこにも攻撃的な声色でもなく、ほんとうに輝かしい。例えるとすると一等星のようだ。そして続けて
「お礼を言いたいのはこっちよ。ちょっとついてきてくれる?」
そうして半ば強引な形で誘導されてしまった。そして来た道をすこし速足で来た道を戻っていく。そうして前に見た焚火のところについた。なるほどここは彼女がいた場所であったのだ。
「適当に座っておいてもらえるかしら?」
そう言いながら彼女は近くにあった丸太に布をかけてくれた。そしてそのまま彼女のテントに戻り何かを探っている。
「あ、あったあった」
そうして彼女は小瓶に入っている謎の物体を入れる。焚き火の上で水を沸かしていく。
「はいどうぞ」
そうして彼女は金属のコップを手渡してきた。暗くてわかりづらいがどこか若々しい匂いがする。それも若草だけのような青臭さだけではなく、ハーブのような深みのある匂いがある。何かをブレンドしているのだろうか。そしてこれは既製品なのだろうか?彼女に対しての疑問であろう言葉が多く頭の中で回っていく。そのような私の思考を遮る形で、あるいはそれを読み取ったのだろうか。彼女が話しかけてきた。
「まずありがとうね。とても困ってたのよね。少し旅をしてるからここら辺に来るとさすがにもう測って計算しなおさないといけなくて」
そういいながら彼女は手元のコップを一度下ろして先ほど使っていたであろうノートをもう一度見始める。そしてまた一瞬首が固定される。そうして紙面との一体になるかと思えばおもむろにその紙面を閉じた。
「すこし気分転換したいから連れてきちゃったけど大丈夫だったかしら、強引に連れてきてごめんなさいね」どこか苦いような、それか明るいような笑顔を浮かべる。私が話が得意な人物であったらばよかったのだが、そうではない。どんな話を出せばいいのだろうか。
「ぜ、全然大丈夫ですよ。わたしもすこし暇だったので」
嘘は言っていない。極論私の行動は暇つぶしとリフレッシュのためにやっている。そうなのだろう。それにあの店の店主以外と話していないからよい機会なのだろう。山中で誰かと会うことはよくあることなのだ。
「このお茶?とてもおいしいです。」
彼女はにこやかになる。
「どういたしまして。」
そういいながら彼女はどっか気分がよさそうに空と焚火の間を視線で縫い合わせる。ぱちぱちと燃えていく火の音に、開いている星空から軽やかさを感じてしまって私の口も軽くなってしまう。
「な、なにか研究とかしてるんですか。いろんな器具をつかってましたよね」
期待と不安感が押し寄せてしまう。でも押しつぶされそうなものではない気がする。でももっといい質問もあったのでないか。そんなマイナスな思考が走る前に彼女は軽やかに答えてくれた。
「ちょっと昔にねー測量?みたいなことをしてたのよね。別にやらなくてもいいんだけれどなにかしてないと落ち着かないのよね」
そうだったのか。落ち着かないからという理由でやる深さではない気がしたがそうなのだろう。そう自信を納得させる。そうするとまた彼女が「それはそうと、もやもやはきらいだから、今日はよく眠れそう。ありがとうね」そういう彼女の表情明るい気がした。
しばし沈黙が二人の間に流れる。その中にはそれぞれが発する場の様なものが、あるいは生きとし生けるものすべてにあるのかもしれない。しかしそこにあるものすべてが調和している。乾いた音を不規則に流す橙に、数えきれない深緑たちがささやき、また空そのものもささやいているのだろうか。
しばしすると二人の器の中は空になっていた。
「飲み物ありがとうございました。いつかまた会いましょう」
わたしのこの言葉に意味はないのだ。いやあるけど表しきれない、しかしそんな気がする。
そんな思考を邪魔しない声量でもう一人が
「ザナ、私の名前よ。いつかまた会いましょう」
それに振り向き答える。もう一人。
「リリア、リリア・フロワーヌです」
そうしてリリア・フロワーヌはその場を離れた。風が流れるように。
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久しぶりに良い目覚めをした気がする。陰鬱な空気がたまることもなくただただ透明、無色ともいえるほどの何もない平坦な感覚とともに起きることが出来る。そんな朝が続いている。何か私についているつきものが晴れただろうか。それも一度だけであったり、断続的に起こっているものではない。あの日のできごとは何かの幻覚や啓示のようなものであったのだろうか?しかし寝床の横においてある紙面が、いやそれだけであるのだが、その可能性を否定している。それに確かに覚えているあの夜の会話を、リリア・フロワーヌというその名前を。
わたしはあまり考えない性格のはず。そうよね、そうな筈。鏡の中にいる私に問い詰めてみる。わたしはザナ。深く考えすぎない。そうするのは測量や星見の時だけ。そう決めている。しかし行先の見えないものが広がってしまう。とてもいい響きだ。リリア……フロワーヌ。いや、こんなものに響きはない。でも確かに私は、何かの余韻にひかれてしまっているのだ。つかみどころの無さと訳の分からない心地よさを覚えながら朝自宅を済ませる。
うーん、なかなかいい天気ね。最近寝つきがいいせいかしら、気分も体も軽く感じるわ。このままどこかに飛んでいっちゃおうかしら。私の気分の赴くままに。
そうして彼女はまた件の町へと向かう。特段目的もいともないはずだと彼女は思っている。しかしそのはずなのに彼女の足取りと無意識化の思考はすでに決まり切っていたかのように進みだす。まえに導かれたあの空間、あの店に。
乾いた金属音がなる。特段こんなものに意味はない。あるとしてもそれはすべてこの店とその主人にしか帰属する必要が無いのだ。しかしどうであろうか。不思議とこの空間はすべてを肯定しているかのような錯覚に陥る。この空間の特徴はただただ暗さがある。そして商品の近くに明かりを出す魔法が局所的に施されているだけなのだ。ただそれだけ。そして私はそれをどこか心地よいと感じているのだろう。暗闇による情報の遮断。そして月に導かれる旅人のように私は近くの本に手を伸ばした。いや、引き寄せられたのかもしれない。民族集、月と緑。見たことのないものだ。しかし少しめくるとわかる。これは学問的要素を多様に含むものだ。しかしその定義や確信性が高いがとても読みやすい文体だ。いや確信性が高いからこそ丁寧で優しい内容になっているのだ。吸い込まれていく、しかしここは店である。昔使っていた書物置き場ならば良いのだがあくまで品物。きちんと読みたいのであれば支払いをすまなさければならない。そう思い私はこの本棚から民族集・月と緑を取り出した。この本屋という場所から切り離し、私のものとするために。でもそれだけでここを離れるのは少し名残惜しい。この空間にいたい、というよりは何か私を連れ去るほどの動機が欲しい。そのため私は会計を済ませて、また少しこの暗さに漂うことにした。
特に店主の人は何も言わず私の存在を許してくれた。あるいはすべての存在を許しているのか、気にしていないのか。そんな考えが私の頭をすこし染めながら漂っていると、またあの鈴の音が鳴った。暗がりの中、他の世界が、匂いが入ってきた。おそらく、多分、きっとリリア・フロワーヌだ。
軽やかな音とともに入ってくる。入ってきて少しあたりを見回す。こちらと目が合い、軽く会釈をしてきた。なぜかはわからないが私の中が、どこか軽やかで暖かくなった気がする。彼女は買うものが決まっていたのかすぐに左奥の方へと向かっていった。あちらには確かインクや紙、封蝋などの消耗品が置いてあった気がする。なくなったのであろうか、あるいは少なくなってきたから買いだめておこうということだろうか。いやこんなことはどうでもいいのだ。ザナはそう考えている。
話しかけるには何か口実があった方がいいわよね。多分彼女緊張しいだし。悩ましいわね。まあいいは、またあの手で行こうかしら。
うしろからわざとらしく音をたて気配を悟らせる。ザナのことにきづいていたからか、はたまた、彼女の、リリアはすぐに反応した。
「もしっ、リリアさんよね?」
紙や封蝋などを小脇に抱えながらこちらを向く。少し硬直した、まるで面を食らったように。しかし、すぐに彼女の表情は和らぎ「はい、あの、ザナさんであってますよね」
あぁ、よかった。そう謎の安堵を抱く。私の心はうかず、またこの場の微睡へとざわめきは鎮められいつもの私が、言葉が出てくる。いや出てはいるのだが。
「ごめん、書い損ねたものがあるからこれもお願いしていいかな。支払いは私が出すわ。驕ってるもの」
嘘だ、さっき目についたものを手に取った。何も不足してるものはない。物質ではそうなはず。
「い、いえ私が出しますよ。前のお礼もしたいですし、それに私もその、驕ってみたいです」
いやっ……そう言おうとする間もなく彼女は店主の元へと向かってしまった。なんだか前と同じ、いや鏡を見ている気持ちだ。
小気味の良い金物の音が聞こえた。そして彼女はこちららにくる。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
なんだか、私は何をしたいかわからなくなってきた。そうだ何か。
「リリアさん、お腹は空いてる?お昼がまだだったら少し何かを食べに行かない?私ここら辺に来たばかりだから何か美味しいものを食べておきたいのよね」
少し間をおいて彼女は答える。
「はい、いいですよ。いきましょうか」
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街の中を探索しようと思ったが何やらとても人が多い。
そのため簡単な軽食を買い込み、私たちはピクニックに行くことにした。
「いやー、参ったわね。天気がいいから色々見て回りたいのに、あんなに人が群がってると。私は最近そういう気分じゃないのよね。リフレッシュしたいのよ」
そう言う口ぶりのザナ。でも彼女はどこか不満げではなく、軽やかな口調で話している。
いいなと思った。私もそう思えるような、彼女のような強さ、優しさを持ちたい。いや、彼女が本当にそうかなんて私にはわからないけど、でも彼女はザナは私にこうして接してくれている。それにあのとき奢ってくれたからきっと私だけではないけど強い人なはずだ。じゃないと優しさなんで出せない。私とはまるで違う。引きこもってばかりの私とは。そんな内省的なことを考えてしまう。私はそういう性分なのかもしれない。でも普段と違って今は、嫌じゃない。なんだか日が当たってるような、暖かさを感じる。
「でも、その、こういうのも悪くない……ですよね」
明るく彼女は返事する。
「ええ、私が求めてるのはこういうのよ。人がいちゃいけないっていうわけじゃないのだけれど、こっちの方が自由みたいなのを感じて、気分が晴れやかよね。」
「みて、あの花。蕾が開きかけてるわ」
目をやると確かに蕾が開きかけて、黄色が顔を出している。どこかまだ人見知りが強い稚児のようでとても愛らしい。
「そうですね」
そんな歓談をしていると町が小さくなっていく。このままいけばあの町を地平線の元に消してしまこともできるだろう。しかし今回はそこまではいかない。あくまで軽食を静かな場所で、私たちだけの場所を作りたいだけなのだ。
二人は少しあたりを見回す。すると丁度よく腰より少し低いくらいの高さの倒木がある。
二人はそこに外套を敷いて腰を下ろす二人。
「あんまり湿ってなくてよかったわね、おかげでぬれずに済むわねリリアさん」
陽だまりや暖炉のように彼女の言葉は心地よく感じる。
「そうですね。ほんとうに晴れててよかったです。」
そうして思わず私は着ていた服のフードを取り払ってしまった。
リリアは少し笑みを浮かべながら天を仰ぐ。植物が葉を太陽に向けるように。その笑顔はどこか無垢さを孕んでいる気がするとザナは感じた。リリアの髪色はやはり白くどこまでも無垢な色だった。やはりあの時に感じた氷雪のような白さで間違いはなかった。
ふともう少し彼女の髪を見てみると氷雪のような彼女の紙から少し違う何かが見えた。どこか液体を思わるほどの質感の髪。そして頭頂部という滝から零れ落ちた髪が何かに当たっているのだ。違和感を覚えた後に彼女の無垢な表情がまた目に入る。無垢さだけでなく幼さもあるとどこか薄くザナは感じた。そしてその薄い認識のもと言葉がこぼれ出てしまった。
「リリアってえるふ……」
数は少ないとはいえ普段聞き慣れない小さな声に少し困惑を帯びながら彼女は返事をする。
「あの、そうです。私はエルフの血族です」
「その、なにか嫌な思い出がありましたか、すいません」
すこし頭が硬直するがすぐにリリアの表情を読み取るザナ。どうしよう彼女が少し悲しんでしまった。楽しい雰囲気のはずなのに。なにか言わないと。その時の硬直が解けてきてどこか彼女に失望されたくないという冷たいような焦りが私の中にこみ上げてくる。なんだか手の感覚が無い。なにか、なにか言わないと。
「いえいや、ぜんぜん嫌な事なんてある訳ないわよ。ただその、あれよ結構旅してきてあまり見ることがなかったし、私の勝手な想像なんだけどもう少し森?のほうにいると思ってたから。」
矢継ぎ早に、つぎはぎだらけの言葉が出てくる。私はちゃんと喋れているかしら。なにか取り返しのつかないことをリリアに感じさせたらどうしよう。いやな熱が籠っていく。
「あぁ、そういうことですか。意外と旅に出る者や遠いとこにいく同種はいますよ」
一切の繕いの無いであろう言葉が放たれた。あるいは本当はどこかに含まれているのかもしれないが、私は考えずそうであろうと捉えることにした。
どこか変な空気を、あるいは私だけが感じているのかもしれないが、ともかく私は空気を感じてた。するとリリアが話しかけてきた。花のような匂いと、どこか私のお腹の奥を揺さぶる匂いがする。そうだ、私はお腹が空いてるんだった。
「これ、食べませんか」
眩しいほどの微笑が向けられる。その顔が眩しいのではない。彼女自身が眩しいそんな気がする。「えぇ、ありがとう」
だめだ、本当に。今の私がどんな表情をしてるのかさえ曖昧だ。いや、違う、そんなことを考えてはいけない。いま、この瞬間を楽しまないと。そうでないとリリアに、彼女に失礼だわ。
そう思い思考から離れて外の世界へ目を向けてみる。ひらひらと飛ぶ何かがある、そこに。陽だまりを思わせるような橙色の蝶が二匹飛んでいる。そして二匹は私たちの足元へと舞寄る。
この二匹みたいにどこか飛び立ちたいわね……」
どこからだろうか、私の頭から出てきてしまった。いや、そんなはずは、なぜ。
本当に今日は調子が悪い。このまま何か悪いことが起きる前に消え行ってしまいたい。いや、はやくいつもの私にならないと。
「ザナさんってその、何をしてるひとなんですか」
「わたしは、その軍関係にいたのよね」
なにも考えず出てしまったその言葉。本来の私なら素性を明かすことはなかったのに。本当に調子が狂う。でもリリアのせいではない。それに嫌じゃない。そんな気がする。
「いまは違うんですか」
よかった、ここまではいいけど、あまり、そうあまり今は言いたくないのよ。あるいはずっとかも。
「そうね、あきてきちゃって。いまはふらふら風さんにまかせて放浪中って感じね」
「飛び立ってる最中ですか」
またも特段眩しいわけではないのにあたたかな微笑が来てしまう。
「いまはー、そうね、ちょっとお休み中」
こころが落ち着いてくる。そうすると味覚が戻ってくる。塩漬けの期間が長かったのであろうか、すこしパンに挟まっている燻製肉が塩辛い。焼かれていて肉汁を感じるため、口の中がパサつきこそしないが少し喉が渇いてくる。そうだ、たしか飲み物は私が持ってたわね。
手元の鞄から瓶を弄り彼女に渡す。
「出すのがおそくなっちゃったわね」
口の形が丸みを帯びながらリリアは差しだされたものを受け取る。サンドイッチが握られた手の甲で口元を隠しながら
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
歓談混じりの軽食のおかげか、彼女のおかげか食べ始めてしまえばなんの曇りのない気持ちで軽食を食べ終えることが出来た。お腹の方に血が多く生き通ってるせいか雑多なことも浮かばなくなってくる。そうなのよ、私はこれくらいでいいはずなの。そんなことを考え頭を整理してくると次第に眠くなってくる。横を向いてみるとリリアも同じ気持ちなのかなんだか、すこしほわほわしている。どこか幼い様相を思わせるくらいには。
倒木においていた外套を床にずらす。そして少しまえに買ったものが入っている鞄を雑に置く。
「もう少しゆっくりしようかしら」
そう言い、ザナは倒木に背中を預けて鞄から取り出した赤色の巻き布を頭の上に乗せる。
「私もゆっくりします」
リリアも同様に背中を預ける。
本当にいい日だ。
とても暖かい。
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それからというもの幾度か彼女を見かけては少し出かけることが多くなった。時には日にちを決めて町を散策してみたり、高台の上でお互いの魔法や占星術などの研究や学習について語らうようになった。
慣れていき日常とかしていった何でもない、そう本当になんでも無い日。
その日は雨が降っていた。
私は雨があまり好きではない。なぜかはわからないのだけど私が私でなくなる気がするの。あるいは私以外の他の者がかき消される。普段は聞こえるはずの鳥の鳴き声。自然の、緑の鼓動に、ざわめき。待ちゆく人々の声も聞こえず、ただただ私だけが浮き彫りになる。いつも能天気に暮らしている私でもさすがに自分と向き合わざるを得ないと感じてしまう。
でも今は違う。リリアがいるから。雨の日でもどこか明るさや温かさを彼女から感じる。多分好きとかいうものでもない。そうだとしてもそれは驕りだ、私にはあまりにも扱ってはいけないものよ。そう思う。
私は今~にいる。
リリアと一緒に何でもない時間を過ごしている。軍にいたときこういった休みの日が好きだった。本当に何でもない休日。何も考えずどちらかの持ち部屋に集まりただただ一緒に過ごす。本を読んで過ごすこともあれば何気ない会話をすることもある。私は今前に買った民族集・月と緑を読んでいる。各国の民族、宗教、文化などを書いている本だ。比較的研究されていて確信性が高いものとなっているがどれもまとめられていて初学者にとっても読みやすい内容だと思う。リリアと同じエルフのことについても掲載されている。そこでやはり前と同じような疑念が募ってきてしまった。ユリアはなぜこの街ルクルザにいるのだろうか。
「リリア、すこし聞いてもいいかしら?」
ピクリと彼女の耳が動き、そして視線を向けていた紙面の世界から解き放たれこちらに目を向けてきた。
「はい、なんでも」
暖炉のあるこの空間に溶け込んでいるような、とても穏やかな声色で彼女はそう答える。
「リリアはなんでこの街にいるのかしら、旅行、休暇次いでかしら。でもそれにしては研究の癖というか、職業病というかが抜けてないわよね」。
リリアはあまり自分の家柄というよりは自分と同じ血縁、家計の者以外のエルフが好きでなかった。でも今その忌々しいはずである自身のことについて考えても一切の忌避感が湧いてこない。それどころか彼女になら話してしまいたいような気持が湧いてくる。
いえ、そうではないかもれないわね。わたしは、彼女の、ザナのことが知りたいのかもしれないわ。そうだ話したら教えてくれるかも。そうだわ話してしまいましょう。
「ザナさんは私たちのことをどれくらい知ってますか?」
どこか息苦しさにも満たないような違和感をザナは感じていた。それはリリアのものではないのだがそれをきづいているのだろうか、あるいは。しかしともかく彼女は答えた。
「噂なら少し聞いてるし今さっき読んでた本にもあったけど。あれよね森にすんでて、伝統や文化自然との調和が大事なのよね」そう投げかけるザナ。
「そう、私たちは自然との調和を大事とします。もう一つ聞くんですけどハイエルフって知ってますか?」
あまり聞き覚えがない。いや、聞き覚えがないと言われればうそになる。軍関係にいたときにその言葉を聞いた覚えがあるはずなのだ。しかしどこか思い出したくない、或いは引っ張ってはいけない予感がした。
「聞いたことないわね。種族のことかしら?」
「その一般的に血が濃くて純潔のような家系のエルフをハイエルフと呼ぶのです。交流がある者たちは他の者たちと家庭を築いてきたり、あるいは他の地方のエルフの者たちと交流をしてきましたが、ハイエルフは、私の家系はその地域や森で一番血が純粋な一族なんです」。続けて話すリリア。「エルフは比較的寛容な人たちも多くいるのですが私たちの血族たちは、ハイエルフの者たちはそうとはいきませんでした。自然との調和、それこそを大事とするのです。それもより形式的で懐古的に。でも占星術、ないしは星に関する魔術は生物的な循環や活動とは全く違う側面。つまり調和とはっかけ離れているとして基本的には差別されるのです。私の家は許してくれましたが、迷惑をかけるわけにはいかないので、こうして院狂しているのです。でも、そんなに嫌じゃないですよ」。
リリアの心には一切の濁りが孕まれていなかった。いやそうなのかもしれないがそれよりも彼女がザナがいること、そして彼女と居れて、知りたがってくれてることにこそ意味があった。もはやこの会話の内容に意味は内包されていない。やっとのことで出会った。心地が良く、お互い近しい深淵を触れるものに。ザナに。
ザナはどこかねじれた感情を抱いている。いやあるはずなのだがどこか、何かを求めていた。それを掴むべく、あるいはすがるべく彼女は音を投げかける。もはや彼女は言葉を、いや自身の意志で発しているわけではないのかもしれない。
「リリアはさ、その、帰りたいと思ってるの。自分の家族の元に、いや、森にかしら」。
少し悩むリリア、特段何とも言わない表情で彼女は言葉を放つ。
「そう、ですねそうなのかもしれません。ここは少し寒いのと、恋しくはなりますね」
「そう、よね。」
だめだ、思考が、感情が、世界が混濁としていく。そうだ、帰らなければ。寝れば、時間がたてば私は私に戻れるはず。なんとか理由を探さないと。
▲
ザナはもはや帰れなくなっていた。
それはあまりにも傲慢であった。いや傲慢であるという言葉すらつかえない。ほんとうにそれは驕りなのだ。過去の記憶がよみがえってくる。かつての自身がフラッシュバックする。
そうだった、わたしはザナじゃない。蒼堕のザナ、ザナ・ヂェディア。魔王軍。
魔王軍北東支部第47軍隊長蒼堕のザナ。彼女の戦績は完璧というにふさわしい働きを見せていた。
しかし彼女は何の変哲のない農村部にて彼女は育っていた。本当に彼女は一切の血縁も持たず、小貴族ですらなかった。農村部の一般的な家庭の下に生まれた彼女。家では小さな店で質屋のような家業を営んでいた。あるものがものを預ける代わりに何か兌換可能なものや少ない貨幣、食料とのぶつぶつ的な交換それらにより成り立っていった。そしてその中には魔王軍の官給品の物が流されることがあった。彼女の親は賢くはなかった。しかしとても寛容であり愛情深い親であった。そのため担保として預かったものを彼女が望めば自由に触らせた。その中でひときわ彼女の興味を引いたものが二つあった。一つは本と呼ばれる黒いインクの染みがついている有機物体の集まりである。もう一つは平たく丸い形をしている小さい頃の彼女の手のひらを覆うサイズの円盤であった。それは理であり、彼女にとっての宝物となっていった。そのころ彼女はそれが何かわかっておらず指で可動部をくるくると回すのみであった。しかしいくら回しても不思議と飽きることはなかった。
それからというもの彼女は両親から基礎的な算術と読み書きを教わった。賢くないと雖も質屋の家業。最低限帳簿をつけるほどのそれらは持ち合わせてはいたのだ。それから彼女は驚くべき速さでそれらを覚えた。そして店番をすることになった。行く人々は彼女の、その少女の無垢性だろうか、その明るさにひかれていった。そして何より彼女は好奇心が旺盛であったため行く人々に本を見せては多くのことを聞いた。
「おじさんこれなんて意味?」
少女は本を見開いて指をさす。そこにはそれぞれの特徴と絵が乗っていた。星単体の者に季節ごとに見えて、方角計算に使われる星座の構成要素の星々。それらをひとつひとつ、この瞬間から彼女は星を星ではなく、一個体として認識することなる。
「これは星の名前だ。お月様だって星なんだ。みんな名前がある」
この言葉を受けたその時から。
またとある人物がやってきた。この場所には見合わない身なりの整った白髪と髭を蓄え、ねじれにねじれた魔族のおじいさんであった。彼女はまた声をかける。彼女にとって身分などは今は存在しえないのだ。ここに来る私より大きな者たちは物知りなのだろう。という言語化されていない漠然とした、或いは魂で感じ取った何かがあったのだ。
「これなんて意味?おじいさん」
かの者はその無垢な少女の求めるものを教えてくれた。
「これは、そうじゃなー。星の道のことじゃよ。この道に沿って進むんじゃ。進んだ後が光って見えるぞ」
後ほど知ったがこのことを軌道というらしい。確かにそうだなと小さき頃のザナは感覚のみで理解していた。確かに星々は名前があるし、帰るべき場所、進むべき場所のようなものがあるのだと。そうしてみるとより一層夜の寝るまでの空を見ることが楽しく思える気がした。
彼女が少し成長してレディーとしてのふるまいを覚え始めるであろう頃、とあるものから声を掛けられる。その掛けられた内容というのは魔王軍の書物庫の支部が出来る。それは一般向けという側面もあるし、研究職の者の為でもある。それらを運営するにあたって人材が必要だった。彼女の両親は看板娘としての彼女のことも懸念していたであろうに、彼女の意向としてはいきたいであった。そのため快く彼女を送り出した。選別の品としての青いバンダナともに。
その算術と要領の高さから魔王軍の書物庫のものとして雇われた。そしてそれから推薦されることとなる。算術、ひいては情報処理に、書物庫で研究している者たちのアイデアや考えをまとめ上げるほど優秀なものがいるらしい。その噂は上のものまで広がった。そして彼女は軍の兵士へと雇われることとなる。しかしそれはあくまで測量や戦術の補助としての役割であった。幸運な事にも彼女はそこで占星の術について知ることが出来た。海上、陸上、高高度での測量。それらすべてに適応していった。彼女の演算処理の高さには目を見張るものがあった。それに測量に際して使用する魔術も上等なものに仕上がっていた。
彼女は本来測量、或いは学術の道に進むはずであった。彼女の気質を鑑みてのこともあるのであるが彼女の演算能力、頭脳は前線においておくにはあまりにも惜しい。しかし実力主義の魔族たちとは言えどもメンツの様なものは存在している。それにザナはメスである。つまるところその道に行かせるにはあまりにも若すぎたのである。その為正統性を見せるために測量士としてある程度のつながりと度胸を示させようと彼女の測量士としての隊の者たちと上官は考えた。しかしそこに襲い掛かってしまったのだ。裏とりの為のルートを確保しようとした人間種の者たちにより発見されて、かの者たちの拠点は襲撃されてしまった。
『なんだよ案外大したことなかったな』
人間種の共通語を学んでいるから彼女はその言葉を理解はした。しかしその言葉の処理以前に何が眼前に起きているのかが理解できなかった。胸部への強い違和感。そしてまとまらないというより、あふれ出しそうな頭部への混沌とした何か。彼女はそれを処理するよりも早く握られた魔の理の道具をかざした。
彼女は簡単な初期の攻撃の魔法を覚えていた。しかしその攻撃の数と魔力の密度は初等のレベルを超えていて、いや一般兵士のそれら、或いは隊長格すら凌ぐものだったという。
記憶がとぎれとぎれで流れる。今度は何なんだ。
赤き光景。眼前に移るそれ達はもはや自分の血なのか、或いは同胞たちへの血なのか、或いは今回の任務で滅ぼせと命じられた’’エルフ’’と呼ばれる種族たちのものなのかが分からなくなっていた。
いやそれよりも焼け付く匂い。木の匂いなのか、硝煙のにおいなのか、或いは脳裏にこびりつくようにそこらに転がり大地と入り混じる血肉の灼けるにおいなのかもはやわからない。わからない。わからない、私は、お前はなんなんだ、なんなのよ!こんな、こんな醜い姿が、角などというこんな人ならざるもの、言葉を使うことすら烏滸がましい、こんなものを魔法というもので矮小にも隠そうとして、お前はなんなんだ、お前ですらない、気色が悪い、この言葉すら烏滸がましい。虫唾が走る。
体の感覚がない、暑い気はするのに、頭の方から血が、力が抜ける感覚が走り続ける。冷や汗が、動悸が止まらない。背中から、内側から言われも得ないものが来る。動機が、鼓動が鳴りやまない。
ゥクゴポゥプ
出てはいけない何かが押し寄せてくる。だめだ、それは、本当に。
私は誰なんだ、リリアの元に行きたい、傲慢だ、言葉すら出すなくそ物が、人殺しが、私は蒼堕、ザナさん!、ザナ・ジェディア 隊長助けて 私を 助けっ
ん、くプ ごヴぉろえぇぇ
動機が 息が できない 途切れ途切れだ 周りのおとがきこえない みることしかできないみることがだけがいるそれになにかがつたる っきもちわるい ち?たましい?よだれ?
だれかたすけてよ
またぎゃくりゅうする あふれでる わからない てが ひだりが ある。ぎゅうとこめないと たたないと。
はきなれてきた いかないと
やっともどってきてる、そうだ、わたし、私、ワタシ、ザナだ。ちがう!私じゃない、もどれない蒼堕だ、ザナ・ジェディアなんだ
ビタビタと粘性のある、私であろうナニカが吐き出される。いやはきだされてしまったんだ。
すえばもとにもどるかな
わたしはどこ あお つえどこだっけ ほし まもらないと かえりたい りりあ
ズゾゾゾゾ
クプッ ウヴェッッッ
▲
今日はザナさんが少し早めに帰ってしまった。どこか急ぐようなようすだった。なぜだろうという理由探しでの時間つぶしも長くは続かない。彼女はとても活発な人だ、それに何か用事があるのだろう。安心しきってしまっているせいなのか、或いは少し彼女と長くいたせいなのかあまり気にならなくなっていた。しかし、いくら慣れているとはいえ人がいなくなってしまうこと、いやそもそもが人がいないということは空虚に感じる気がする。いやそこまで残酷なものではないが、つまるところどこか寂しさのような、何か静けさに限りなく近い虚脱感が襲う。ザナさんと居るのは心地が良い。またいなくなってもザナさんを求めてしまう。恥ずべき気はするのだが、どうも拭えない暖かさがある。私は多分、森に帰りたいのではないのだと思う。いや、おそらくそうなのであるが今はただただ彼女と共にいたい。あるいは彼女と行けたらどんなに素敵なことなんだろう。悪くはないけどどこかもどかしい、そんな余韻が私の中に響いてゆく。
そんな虚脱感を何とかするために意識を空の元へと手ばなそうとなんの理由もなく上体を傾けて天井との無意識と無言との或いは空間や空気そのものとの対話を始めようと考えた。しかしなぜか思うような微睡の世界へと入り込むことが出来ない。仕方がないので音のなる方へと目を向けてみる。基本的に明るいものがあまり好きではない。いや嫌いというわけではないが少し暗いくらいの方が慣れている、或いは慣れてしまっているのだがそのほうが集中できる。しかし炎の明るさやその乾いた、はじけるような音色に癒されようと思い首を傾け橙が染める世界へと入ろう試みる。するとそこでとあるものが目に入る。見慣れないものが置いてある。
あれ、ザナさん杖わすれてる。
魔術を使うものがそもそも失念しないであろうものが玄関にかけられたままであったのだ。
赤い布と青い布が編まれているそれは長い時間を感じさせる。石突の部分は補強されている。歪曲した木製のしっかりと使い込まれている上質な杖の様に見える。
ザナさん結構いろんなところにいってるんんだろうな。そうだ明日外を出るついでにザナさんをまた探そう。
明くる朝、私はザナさんを探すことにした。
考え付く限りの彼女が言いそうな場所を探してみたけどいなかった。
なぜだろうかどこか悪い予感がする。その証拠とはならないのだろうが町に人が少ない気がする。それにどこか異様な雰囲気だろうか、空気だろうか、あるいは魔力が乱れているような気がした。
どこにもいなかった。あの本屋にも、ご飯を買ったあの屋台にも。一緒にピクニックをしたあの場所にも。何を、どこをさがせばいいのだろうか。言われも得ない焦りが出てくる。苦しい、むねが、大事なものが欠ける気がする。でもそんなわけない。
淡い希望をいだいて空を見つめる。そうだ一旦深呼吸しないと。鼻の奥と耳から冷静さを作り出す。目をつむる。問題は私の中にだけあるのだけど、こうすると落ち着く気がする。そんなことをしていることも惜しんで探したいけど、ザナさんのことだ。きっと大丈夫なはず。そうおもい平静を行動だけでも装おうする。遠くを見てみると黄昏で夜が顔を見せている。紺色が濃くなっているところではもう星々たちが目を覚まし始めてる。星、そうだアストロラーベ。ザナさんは前のところにいるかもしれない。
そうと思い立ち件の場所へと急いで向かう。きっとそこにいるはず。漂うことが、あの星空がすきだと語らったもの。きっといるはず。少しだが心の靄が晴れた気がする。こんどこそ彼女のことを聞こう。こんどは私がお茶を入れるんだ。
▲
山頂に近づくにつれてどこか暗くて、芯から来るような冷酷さのような悪寒が襲ってくる。また胸が、苦しいなんてものじゃない、今にでもこれを晴らしたい。気分じゃない。たぶんきっと、そう、はらさなくちゃならないんだ。
そんな雰囲気をかんじながら進んで行くと前に寝泊まりしたログハウスが見えてくる。少し中を覗いてみるとなにも形跡がない。いや誰かが立ち寄った足跡はあるが何かを使用したり、暖炉を使用した形跡がない。ザナさんだ。いやそんな確証はないけど。どうしたのかな。テントをつかうなら、いやでもきっといるんだ。そうな筈。そうだ荷物をおいてまた探しに行こう。今度はきっと一緒に図形をあの紙面をまた見よう。そしたらお茶を入れるんだ。
その思いを胸に紺色に染まりくる黄昏の残り香のような世界を進んでゆく。一歩進むごとに異様なものが増していく。それはたぶん私から来るものじゃない。それにこの世界が、この土地が内包しているものでもない。おそらく何かによるものな気がする。そうでなければこんなものはあり得ないのだ。悪寒が強くなる。病から来るそれでもなく、気候から来るものでもない。ただただ芯から、私のうちから蝕んでいくものなのだ。根源的な何かによるものだ。そうなのであろうか、或いは周りの音が消えていく。植物に、ちいさなものたち、今の時間であれば夜鳥の類の声が或いは、どこかへ飛び去るような鳥たちの姿が見えるはずなのだがそれが無い。この刺すほどの悪寒を手元の杖の感触をもとに進んでゆく。もう少しなのだ。この森を抜けるのは。気のまよいであってほしい、或いは納得したい、ただのかんちがいであったと。ザナさん、温まろうと声をかけたい。いやそうじゃない!あたためてほしい。わたしもなにかするかっら、またいっしょにほんをよむんだ。陽だまりのもとで塩気の強いあのパンをかじるんだ。一緒に。
森を抜けたその先に彼女はいた。荒れ狂うすべてとともに。彼女は慟哭していた。魔力は荒れ狂いすべてを投げ出すように魔法が乱打されている。すさまじいほどの轟音とともに空に向かってそれらは投げられている。それだけでも異様だけど、彼女自身が異様だ。ねじれにねじれた人ならざる様なものが、角が彼女から生えている。髪の毛は艶を増しながら漆黒よりも暗い色に変わっている。そして彼女の魔法陣とアストロラーベが浮いており何かに呼応するように揺れ動いている。数回高速で回ったかと思えば、獲物を定めたかのように可動部は固定され、その指示した場所に呼応するように魔法陣が、その星のきらめきのような何かが出現し、今にも打ち出されそうだ。
「ザナさんっっ」
止めなきゃ、何とかしないと。わかんないよ。胸はくるしいし、怖いし。でもわかんないよ、たすけないと。彼女が、そうだよザナさんなんだよ。
その彼女の声にきづいたザナ・ジェディア、或いはなにかしらザナを残しているのかもしれないが。それが白髪の少女にむく。
あぁ、きれいな残雪ね。残雪、白い、りりあ。
ウグプ ゴヴォエェェェ
その場の空気の不穏さは変わることなくその場にいる彼女が吐瀉物を吐き出している。目をとじて数度呼吸する。嘔吐の合間、暗いなか自身を主張するかのような激しい呼吸はしだいに落ち着いていく。ひとしきりことがおわると、グイと口元をふく彼女。そしてその後の拭いた右手を凝視し、そしてそのまま空へと掲げる。そしてその右手首に左手を添える。
バツンッ
何をしてるの、なにしてるの「何をしてるんですかザナさんっっ」
悲痛な叫びがリリアの元から放たれる。彼女は、ザナさんは、なんで腕を切ったの。わからないよ。動揺が、動機が、怖いよ、足がすくむ、頭ばかりが熱くなって他の感覚が分からなくなる。畝からこみ上げるこの響きだけが大きくなる。
「りり、り、リリア。私は、もうわたしは、ワタシはザナじゃないのよ。」
悲し気に紡がれる。ハァと息を吐く。そして片翼の天使の様に右手に握られている魔の理の道具を構える。
「わたしは、ザナ。ザナ・ジェディア魔王軍第47軍隊長。」
青堕のザナ
「杖をかえしにきました!一緒に帰りましょうよ」
意味も分からなく、或いはその場なのだろうか、とにかく私は大きな声でその言葉を叫んだ。あるいは出てしまった。
カタカタカタカタ
冷たい音がする。幾度となく金属の音が鳴り響きアストロラーベは回転する。そしてこちらに照準を合わせかのように魔法陣が、その閃光は放たれる。
飛来するその閃光。思考を飛び越えたなにか反応のようなものの中に二つの選択肢があった。一つは魔法を使って飛行すること。しかし私の何かはそれを選ばなかった。幸運なことに。そしてすぐさま全身の関節を抜くように倒れ、魔力を練る。そして森の中へと自身を飛ばした。さらに幸運にも少し岩肌の岩石の元に隠れることができた。すこし呼吸を整えないと。冷静に。
でも、心臓が、わるいつきものが晴れない。
つぶやくような声でそう聞こえたかと思うと。
バツンッ バツンッ ババババババ
異様な音は止まらない。それに木が倒れたであろう轟音が鳴り響き続ける。悪寒のせいで圧縮された私の感覚では遠い時間のように感じるその暴力的な音が鳴り響く時。ひとしきり切り終えたのかその音は止んだ。少し岩肌から顔をのぞかせてあたりを見てみる。
そこはっても異様だった。乱立していた針葉樹が、森が切り取られ、夜が、向こう側に地平線が、むき出しとなっていた。確かに浅めのところまでしか避難出来なかったとはいえあの量の大木が切り取られている。いまだに私の胸は落ち着かない。もうたぶん、そうするしかないのだろう。彼女の杖を岩石の元に置き、そして浮上する。それも私の魔力をしっかりと練りながら。もはやここまで来たら彼女を止めるにはそれしかないんだ。
きっと、大丈夫なはず。彼女なら、ザナさんなら多少のことでは。だって私の知ってるザナさんは明るくて、たくましい軍人さん、でちょっと感情的な人なはず。もうそうよ、軍人だとか、なんだとかは後で聞くわ。
自信を鼓舞するようにそう言い聞かせる。右手で握っている杖の感触を確かめて全力で空を駆ける。
周囲の空気が、魔力が、空が、揺れ始める。この刹那二者だけがそこにある。その二つ以外の一切が排除されている。そうとしか感じさせないようなものが流れている。
一つは異様なるもの。あふれ出るそれは濁流のような量と勢い、そしてすべてを支配、染め上げようとする戦火のような苛烈さと何者にも染められないようなものがある。もう一方、それは夜空そのものと言ってもいい。あるいは夜空の根源のようなものだ。すべてが秩序的であり無秩序。広さと奥ゆかしさ、すべてを飲み込むようであり、それでいて今にも変容しそうな、神秘と静寂を詰め込んだ。それでいて消して染まらない確固たる何かがある。そんな魔力なのだ。
刹那の静寂、すべてが揺らぎそれでいて動かない。しかしてその刹那は永遠を思わせるほどの物であったがその均衡が破られる。
まずは、そうね、追わせる。なるべく私が追い込まれないようにしないと。
空を飛びそこから加速するリリア・フロワーヌ。依然としてその心の臓腑は鼓動を高めた状態であるが彼女はそれを後付けするかのように意味づける。そうすなわち魔法の行使と急な運動によるものだ。魔力の還流に神経を注いでゆく。獣が或いは戦士が大きく動くときにその血をめぐらす様に彼女は魔力を流し、循環させる。高度を上げながら魔力を循環させ、そしてそこから魔力を練り、魔法陣を展開する。
血肉ほとばしる腕の様に、彼女のその杖先の円環は力がほとばしる。
夜遊びの詩
6本の光の柱が駆けめぐりザナの元へとほとばしる。
それに対してザナは冷静に対処する。あるいはそうでないのかもしれないっが、動きそのものは洗練された者のそれなのである。浮遊してからの急加速。ひらり、ひらりと身をよじるのではない、ともに踊るかのように交わしていくのだ。
あぁ、いい気分ね。そうよリリア私を、そうしてちょうだい。わたしを、いえ、こんなくそぶつを、いえ、これをこんなものをゆるしては、いいえ憎まないと、それすらいらないかもしれないけど。そうしないといけないのよ。これすら傲慢なのだけどそうしてちょうだい。
カタカタカタカタカタタタタタタタ
金属器が回る。魔法陣が、魔力がほとばしりだす。
ザナさんの魔力が揺らいでいる。
戦闘となるとリリアの頭は冷静になりだす。あるいは魔法の行使が始まったたからであろうか。急旋回に急加速、したかと思えばそこから急停止という不規則な動きを繰り返すリリア。
単調な動きじゃ駄目よね。ザナさんならそうしてくる。
その予感はあたる。無数の魔法が射出される。合計で24本。うち8本は機動的な、そうまるで私を中心とした感性的な動きをしながら回るように、それもしかっりとホーミングしながら追ってくる。そして残るものは直線的なもの、カーブをしながらかすめるように私の元へとくる。
夜遊びの詩
夜想曲
合計8本の光の柱がリリアの杖元から放たれる。どれも確実に相殺しあうような魔力がこめられている。そして残りのものを目の端に入れながら急加速していき、飛行する高度も下げていく。
すぐ先に森がある。そのもとへと入ていく。両手を広げて気を巡らしていく。それにこうするように木々が、ツタが伸びていく。ザナの魔法はそれらに衝突する。ひしめくような轟音に、臓腑を拍動させるようなそんな響くようなきしむ音が聞こえる。
ザナさん、あのとき少し見えたけど手が治ってた。多分、きっと回復系の魔法が使えるのかもしれない。すこしの希望、そしてそれの当てが外れたときの悪い予感が彼女の脳裏に移る。
もしそうだとしたら強引に抑えられる。でもそうじゃなかったら、どうしよう。使えないわけじゃないけど、それ用の杖や道具は置いてきてしまった。いえ、でもやるしかないわ。何とかして見せる。それにザナさんだもの。一縷の希望を持ち手に持っていた杖を足元へと寄せる。本来空を飛ぶという魔法は高度な術式である。それに浮く要素として風に関する魔法か或いは物理的な物体の操作の魔法が必要だがどちらも難しい。術者は術式を刻むか杖を媒介として自身にその魔法を掛ける。あるいは術式の付与された道具を使うのだがその場合浮くのは術者ではなくて道具そのもの。詰まるところその暴れまわるもの制御が必要なのだ。しかし彼女は、リリア・フロワーヌはそれをやってのける。杖に全身を預ける。
ほんとはうちではこういう魔法ですら邪道なのだけど、関係ないわよね。
弓を構えるように手を構える。魔力により弓と矢じりを形成していく。
ああ、そうよねリリア。あなたはその民であるのよね。綺麗な魔術ねあなたの星たちは。
私まだ、いえ、これはいきているわ。矮小にも。でもっまだすこしだけ付き合ってほしいのよ。まだ見てないわ。あなたのそれを。
そう夢想している間突如としてほとばしるような感覚が彼女の胸を襲う。
ンッグク
呼気が激しいまま止まらない。
あぁいいわねこの感覚。とてもっ感じるわ。生命を。いるべきではない私自身とリリアを。
液体が伝ってゆく。
あら、はしたないわね私ったら。
視界に入るは紅。
蒼堕なのに、赤なのね。いいじゃない、私の血はあかかったのかしら。とっくに焦げ付いてしまったと思ってたわ。
流れるように胸元から何か布を取り出す。そしてそれで口元をぬぐう。彼女なりのエチケットなのだろうか或いは。そしてぬぐいながら彼女との遊びを再開する。
かくれんぼもいいけれど少し寂しいわよ。
そう思い探知の魔法を展開する。本来の彼女は測量士であった。計算、座標の特定、三次元的に展開される圧倒的な空間把握能力。それを存分に生かし、そして旋回していく。
そうすると突如彼女の魔力が、彼女の存在をじかに感じられる。
あら、リリア、こんばんわ。あるいはこうかしら、みいつけた。
すぐに下に急降下して魔法を放つ。散りゆく氷と岩石、大小まばらなものの影を縫うように移動していく。月光の元に照らされるそれは舞踏会。ソロパートなのだ。
しかしそのパートに変調が入るように彼女のっもとに一歩の彼女により作られた魔力の矢が飛んでくる。破砕させたかけらにはどれにも魔力を込めた。リリアが植物にそうしたように。しかしそれらを貫通してくる。とっさに手を前にかざし魔力でガードをする。しかし激しい轟音、砕け散り破砕したものがさらに砕け散る音。そして激しい爆裂が、あたり一帯を揺らしていく。
痛い痛い痛い、感じるわ脈動を。彼女の匂い、魔力、私自身を。何だここにあったのね。
あぁ、いい気分よ。
魔力が揺れ始める。すべてを染め上げる濁流の魔力。その演舞は、その音を彼女の魔力をひきあげてゆく。
魔力開放
ほとばしる魔力。先ほどのものとは一線を画すその濃密さ。
一切の揺れすら精緻に見えるそれは魔法使いの極致とも言えるものになっていた。そして恍惚とした表情を浮かべながら彼女は天へ天へと上りながら杖を掲げる。
な、なにあの魔力。いままで見たことない。あれがザナさんの魔力なの。
抑えていた反動か不安があふれ出して止まらない。まただ、が体の感触がない。うるさいな、うるさいよ心臓。
わかる、わかってるよ。魔力開放。その魔法だ。でもそんなものが、あんなものになるの。怖い、でも助けないと。逃げちゃダメなのよ。
抑えが利かない濁流の意識の中彼女はそれを何とか自身に提示する。
ありがとう、いいわね、いいきぶんよ。この心地よリリア。じゃあ、私もそれにこたえないと。独りよがりのダンスはダメだものね。
魔力が圧縮されていく。その圧縮はすさまじいものだ。空間がゆがむような濃密さ。高温になると空気が揺れ始めるように、その魔力に充てられて周りも変容を始める。空が、夜空が引き込まれて行くのだ。
蒼堕のザナ。その由来は彼女自身の戦績によるものとその魔法が彼女を蒼堕たらしめていた。
空にある星のひらめきを、そのきらめきを魔力と変換する技。この星に届く光を一切集める。
ンッグッッブシュッ
高揚を覚えながら赤いっものがあふれ出る。鼻から伝っていく。血塗られたその手を左の手に添える。
行くわよリリア。
圧縮されたものが解き放たれる。
地面に雫が落ちるかのような静けさ。
そして爆縮。ほとばしる閃光。響き渡る怒号に炸裂音。彼女の頭上の夜はくりぬかれたのだ。一切の暗黒。その暗き天蓋が彼女の頭上に現れる。
蒼堕のザナ。いっさいの蒼が落ちてゆく。昼空も、黄昏も、夜空もすべてにおいて彼女に従うのだ。
そして彼女リリアは致命的なまでの傷を負う。それは空が消え去ってしまったんだ。星を媒介とするその魔術は、星の存在が要となる。それが消えうせた、というよりくりぬかれてしまったのだ。森を越えた向こうに見えるが頭上にはない。落ちてしまったのだ。蒼が。
締め付けるほどの、泣き出すほどの、かなぐり捨てたいほどの絶望。しかしその刹那彼女が浮かぶ。ザナが。
バツンッ、驕ってるからね、飛んでいきたいのよね。
反芻していく、彼女が、ともに居たいという気持ちが。
リリアはもはや意識をせずに魔力を練り始めていた。
魔力開放
彼女が濁流なら、リリアはどこまで行っても夜であり、星空そのものなのだ。
今宵帳が下ろされる。フロワーヌが動き出す。
影送りという遊びがあるという。自身の影と対話し、そしてその影を日の元へ送りだすという遊びだ。強き光を必要とする遊び。
今宵、星空を下ろそう。送ろう。昼間行われるものが影送りだとしたら。彼女は星空を送るのだ。
自身の眼と頭に魔力を流し始める。自身の頭頂部にすべての心血を注ぐように彼女は魔力を還流させてゆく。杖に預けていた魔力を足へと滑るように下げてゆく。そして飛行の魔法を杖から自身の全身へとシフトする。彼女はもはや自信を軸として飛んでいるのではいない。何かに引っ張られるかのように飛んで行く。体の中心に軸があるのではなく何かに引き寄せられるかのような曲線軌道をえがきながら彼女はそれを駆けて、いや縫ってゆく。
視界のどこかにザナを収めてはいる。しかし眼中にあるのはsレではないのだ。もっと外。森の天蓋はくりぬかれている。しかしその外にはまだ星空がある。それを凝視し始める。
その場の魔力が揺れていく。密度が増してゆく。
はなから、いいえ。わたしのもとから下へ行くように。そうよ呼気をしないと。そう、映すの。
液体が垂れる。
暗がりの元に雫が落ちてゆく。赤色なのだろうか、或いは透明なのだろうか。あるいは星か。
彼女の視界に星空が映し出され、それを送るように暗雲の天蓋へと滑らせてゆく。
絶技が、彼女の境地が今顕現する。到底調和や自然を重んじるモノとは思えない魔力。夜そのものが。
帳卸し
暗き天蓋へ、今、夜空が再び卸される。
くりぬかれたはずの天蓋に寄り添うように星空が再び顕現。その光景にザナは恍惚を、喜びを、自信の熱き混濁を隠すことが、いや感じることしかできない。
ああ、なんてきれいなのリリア。いいわね。
あれ視界がなんで、木々が見えない。地平線が無いわよ。星空しか見えない。
きれい、閃光、ひかり、星々。
この時ザナは一切の意識なく急旋回するように動いた。視界のすべてが星空に染まったkと思えばそこから彼女が、魔力が、星々が射出されたのだ。一切の容赦のない流星。アストロラーベが鳴り響く前に高速で飛来する。彼女もまた魔法を同時展開するのだがそれでも捌ききれない。
いたい、痛い、いたいわよリリア。ンクップ
あかいろ、しろ、あおい。きれいねリリア。ああ、なんで私は悩んでいたのかしら。でもいいきぶんね。とっても楽しいわ。いつまでもこうしていたい。ああ、あつい、あったかい、つめたい、ながれる、
ンブッシュ
カタカタカタカタカタカタ
リリア、リリア、みんな、私は、わたしよ。
そんな光景をみながらリリアは接近する。
ザナさんの魔力が、防御に注がれてる。今しかない。
胸の動きが。もう、もう少しのはずなのよ。なんでこんな時。わからないよ。高揚してるのか、怖いのか。でも、手の震えはない。ただただ張り裂けそうなのよ。ザナさん、ゆるしてください。ちゃんと何とかしますから。またいっしょに。
いえ、そんなものじゃないわ。もういらない、いらないの。ただただ私の独りよがりでもいい。
いいえ、それはダメ。わからない。一緒にいたい。彼女とまた肩を並べたい。もっと行きたい場所があるの。もう、森も、何もいらない。ザナさん。
差し込み、抱擁するかのような視線にきづいたのだろうか。あるいは捌きながら移動し、その先に彼女がいたのか。くりぬいたはずの天蓋にある空を見て彼女を思ったのだろうか。しかし確かに彼女の、ザナの視線はリリアの元へと向く。
フィナーレいきましょうか。リリア。いいものを見せてもらったわ。踊りましょう。リリア、いいえお嬢さん」
こころが、胸が躍るわ。今はこれで、このくそぶつを、いいえ、もうわからなくていい。まぼろしでいいからあなたの夜空に預けさせてちょうだい。
魔力が揺れる。世界が、また歪みだす。ザナからあふれ出し、そしいてさらに濃密な何かが編まれてゆく。それをすぐさま感じ取るリリア。
ザナさん、もう、でも。わからない。とまらない。こわい。一緒にいたい。
そうだ、いっしょにいたいんだ。ザナさんと帰るんだ。いっつも振り回されてるきがする。短い間しかあなたを知らない。でもそうだ。ザナさん。かえろう。いっしょにいたい。いてほしい。あなたを知りたい。
視界が揺れる、世界が、動機が止まらない。胸がもう張り裂けてるのかもしれない。
リリア、あなたにあずけたい。もういらないわ。わたしをエスコートしてくださるかしら」
うれしい、あったかい。このままわたしのこれをはらしてほしい。よろこんで」
刹那的なその空白。入り混じる。そのとき確かに彼女の、リリアの白き髪が暗きものにそまる。空が落ちる、青が落ちる、支配される。その光景が、暗がりの光がリリアの髪へと反射する。白髪の髪を。
リリア、いえ、わたし。うつってるあなたはリリアよね。いえ、わたしでもいいの。いえ、そうあってよ。もうわからないくらいちかくにいて、一緒にいたいわよ。
空が落ちようとも、それも彼女がいる限り、或いは根源である、その魔力を、夜を宿しているリリアの、彼女の帳が降りる。瞬間的にできたからに何かが入り込むように、彼女の夜が染めあげてゆく。そしてその反作用だろうか、爆縮が起きる。飽和し、制御を失ったその魔力が、星々が両者を襲う。おそいくる凶弾。ずかずかと侵犯していく。それらに被弾してしまうリリアとザナ。もはや魔法の行使どころか魔力の循環にまで影響が出るほど重篤になってしまった。
お腹を弄り、頭を抱えるリリア。膝たちの状態となり意識がもうろうとする。もはや杖すらつかめていない。
おなか、手が、世界が赤い。いたい、あつい、寒いよ。ザナさん。
外套が、白雪のような髪が、その肌が紅へと染まりゆく。そしてその光景をザナが視界に入れていた。そう入れていた。瞬間、すべてが、世界が遅れて彼女のもとに投げられる。グラデーションがかかるまでもなく悪寒と、悪い何かと、張り裂けるような脈動が、不安が彼女を刺す。
リリア! 血が出てる。わたしのせいだ。くそぶつが。なにいを、やっぱり。いや、そうじゃない。助けないと。
走りだそうとしたその瞬間。リリアだけでなく自身の異変にも気づく。あしが、世界がおもたく、途切れるかのようになる。見てみると自身にもあふれ出すものがあるのだ。それに度重なる嘔吐に吐血すぐさま処置をしないとならない。
リリア。
「ザナさん、また一緒にいきましょうね。本も」
そういう彼女の声は今にも消え入りそうだった。ザナは軍人であったからか処置をする最低限の魔力を残していた。そしてそれをなんのためらいもなく彼女に注ぎ込む。
あったかい。ザナさん。
痛みが引いていきます。痛みが引いている。なんでですか。なんで、何を、なにしてるんですか!」
傷がふさがりすぐさま彼女は叫んだ。
痛みが引いていく彼女と対照的にザナからはすべてがあふれ出していた。なんで、なぜこんな、なんで回復の術を学ばなかったのよ、たすけたい、いや行かないで。一緒にいたいよザナさん。
泣き入りそうな彼女と対照的にザナはどこか安らかだった。
ックプ
もはや彼女は何も持っていない。ただただあふれだすものしかなかった。目を閉じようとした瞬間。
ンッチュ
なぜかはわからなかった。彼女を、あるいは、いやそうなのだろう。かえしたくなかった、かえしたくない。どこにもいかないでよ。いっしょにいたい。もっといっしょに。
ああ、あったかい。おはな ふろーらる
しずかに、帳が瞼がおちる。
ぺちゃ、ぴちゃぺちゃ。水音が響く。
短編集 ナイリル リーン テイル @leantail
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