第2話
私は街角に立つ錆びた鉄の骨組み。雨に濡れて冷たい。私の役目は、透明な傘たちを受け止めること。人間の手から離れ、用済みとなった傘を預かること。誰も私の存在を気にしない。雨が降れば傘が持ち去られ、晴れれば忘れ去られる。私はただ、ここに在る。
今日も雨が降る。細い水の糸がアスファルトを叩き、人の足音が忙しなく響く。私の腕に、透明な傘が一本、投げ入れるように置かれた。ビニールの表面にはまだ雨粒が丸く残り、ゆっくりと滑り落ちる。その傘を、私は知っている。何度も持ち去られ、戻され、時には乱暴に扱われた傘だ。人間の手の中で、都合よく使われ、用が済めば放置される。その姿は、どこかあの男に似ている。
男はいつもこの通りを歩く。俯き、誰とも目を合わせず、雨に濡れながら。人間たちは傘を手に急ぐが、彼は傘を持たない。まるで雨に打たれることで、自分がまだここにいることを確かめているかのようだ。私は無機質な鉄の目で彼を見ていた。彼の目は、まるで私の腕に刺さった透明な傘と同じだった。誰にも必要とされず、ただそこにあるだけの存在。
雨粒は直線的に落ちる。迷いなく、ためらいなく。人間たちの傘に当たり、形を変え、流れていく。だが男は、雨粒のように落ちることができないようだった。彼の歩みはいつも途中で止まり、立ち尽くし、空を見上げる。まるで時間が彼の周りだけで歪んでいるかのように。人間たちはそれを「クロノスタシス」と呼ぶのだろうか。それとも「迷い」と言うのだろうか。私は鉄の心で思う。人間の時間とは、なんと曖昧なものか。
ある日、男が私の前に立った。雨は強く、風がビニールの傘を軋ませていた。彼は私の腕に刺さった透明な傘を手に取った。だが、それを広げることなく、ただ握りしめた。ビニールが彼の手の中で震え、雨粒が彼の髪を濡らした。彼の目は、まるで何かを見定めるように遠くを見ていた。私は知っていた。彼が求めているのは、雨と一緒に落ちること。迷いを捨て、無機質なこの街に溶け込むこと。
その夜、男は戻らなかった。私の腕には、透明な傘が一本、欠けたままだった。雨は止み、アスファルトに赤黒い染みが広がっていた。雨に薄められ、ゆっくりと街に馴染んでいく。まるで、男が最後に選んだ「落ち方」だったかのように。
私は思う。人間は時間に縛られ、迷いに縛られ、存在に縛られる。だが、雨は違う。雨はただ落ち、ただ流れる。私は鉄の骨組みでそれを見続ける。男が溶けたアスファルトも、やがて次の雨で洗い流されるだろう。透明な傘も、いつか誰かの手に取られるだろう。私はただ、ここに在る。雨が降るたび、人間の迷いを受け止め、忘れ去られる。
透明な傘、透明な雨 @tamaboro
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