Episode4 足下に道ができたことを

「今日はちょっと寒いよねぇ」

「そうだねえ、一月よりはあったかくなってきたほうだけど」

 閻魔王宮の庭の隅で草むしりをしていた有楽ゆうらは、ふうっと息をついて座り込み、てのひらに息を吐いた。ずっと屈んだままの態勢だったので、体のあちこちが痛い。

 花日はなびも小さく微笑んで、その隣に座り込んだ。

 二人が熱狂的に応援している火亜が泰山府君に就任してまもなくの、二月の初め。

 閻魔王宮で雑用の下働きをしている二人の毎日は、以前までとそう変わらない。仕事をして、みんなで話して、はしゃいで、おやつを分け合って、大部屋でみんな一緒に眠る。

 それが当たり前の、何より大切な日常だ。

 そして、そこによく顔を出して色を混ぜてくれる、二人にとっての楽しみがある。

「有楽ー! 花日!」

「おっ」

「みょん」

 有楽と花日はぱっと顔を上げた。

 上品なワンピース姿に見合わない猪突猛進の勢いで、背の高い少女がこちらに突っ込んできた。

桃李とうりちゃん! 待ってたよぉー!」

「今日のお仕事はもういいの?」

「ばっちりしっかり終わらせましたわ。わたくしの火事場のカバ力を舐めていただいては困ります!」

 二人の目の前で砂埃をあげながら急ブレーキをかけた桃李は、肩に零れ落ちた銀灰色の長髪をさらりと後ろへはらう。切れ長の青い瞳とあわせて気品に溢れた美しい外見なのだが、中身がすべてを打ち消していた。

 花日が小さく挙手する。

「桃李ちゃん、たぶんそれカバじゃなくて馬鹿」

「わたくし、馬より鹿よりカバさんが好きですの。あの顔立ち、可愛らしいと思いません? 広めていきましょう、火事場のカバ力」

「そんな理由でことわざ変えちゃだめだよぉ」

「カバさんなら水鉄砲が使えますから、火事場に向いていますわよ」

 有楽が眉を八の字に下げても、桃李は気にも留めない。

「私の知ってるカバさんと違う」

「知りません? 衣嚢怪物ですわ」

「ちょっ桃李ちゃん、そんなゴツめの当て字するのやめて! てか規制かけなきゃ!」

「スタッフさん、モザイクモザイク!」

 著作権ぎりぎりの桃李の発言に二人がざわついたが、当の本人はしれっとしていた。「それより」と長髪を靡かせ、衣嚢ポケットからがま口を取り出す。ちなみにデフォルメされたカエルの顔が描かれていた。

「養父からお小遣いをぼったくって参りましたわ。肉まんを食べに行きましょう!」

 桃李の宣言が閻魔王宮のもと、高らかに響き渡った。


「これが……肉まん……」

「あれ有楽、食べるの初めて?」

「うん、あたしわりと早い時期に捨てられたし、花日に誘われて閻魔王宮ここ来てからはそんなに外食とかもしなかったから」

 有楽は頬を上気させて、ほかほかと湯気をたてる肉まんを物珍しそうに空にかざす。

 三人は閻魔王宮を出て、街中の露店が並ぶ通りまでやってきていた。

 有楽はしばらく肉まんを眺めたあと、ぱっと目を輝かせて花日を見る。

「――よかったあ! 最初に食べる肉まんが花日と桃李ちゃんと一緒なんて、最っ高の思い出だよ! それに小さい時のことってすぐ忘れちゃうけど、今食べればきっと今日のこと、ずっと覚えてられるし……ってあれ、桃李ちゃんどした?」

「これが……ニクマン……」

 桃李は肉まんを見下ろして固まっていた。あ、と花日が声を漏らす。

「そういや、桃李ちゃんってそこそこセレブなおうちだよね。肉まん、桃李ちゃんも食べたことなかったんじゃない?」

「え? でも桃李ちゃんが肉まん食べに行こうって」

「なんたることですの……!」

 桃李はがばっと顔を上げ、明らかにショックを受けた顔で有楽と花日を見た。

「マン要素どこですの……そして肉要素もどこですの⁉ わたくしてっきり、ジンジャーマンの肉バージョンかと……殿方の形に切り取られたお肉のクッキーかと」

「桃李ちゃんってたまに独特の世界観あるよね」

「殿方の形に切り取られたお肉のクッキー……?」

 有楽がにこにこと微笑ましそうに顔を緩める横で、花日が首を傾げて復唱する。

「これのどこが肉ですの! ただの白いふわふわですわ! 名前詐欺ですわ! わたくし、これをお肉とは認めませんわよ!」

「中にお肉が入ってるんだよ桃李ちゃん」

「中に? あ、なるほどですわ」

 花日にやんわりと宥められ、桃李は一瞬でヒートダウンする。恐ろしいまでの切り替えの早さだ。

「まったく、最初からそう言いなさいませ」

「そう言われても、最初ってどのタイミング……?」

「ま、いいじゃんいいじゃん。よっし、花日、桃李ちゃん、いただきまーすっ!」

 有楽が無理やり肉まんを天に掲げて叫ぶ。

 花日と桃李も、乾杯するように肉まんを掲げた。

「いただきます!」

「いただきますですわ」

 三人一斉に、勢いよくかぶりつく。

「ふぁぅ、あっふい! はふっ、ふぉうふ!」

「わ、なにこれぇ! む、おいしっ、でも熱っ」

「ふわっふわのほっくほくですわ! 旨いですわ……!」

 三者三様の反応を示されながら、手の中にずんぐりおさまったやわらかい肉まんは夢中になった三人の口の中に消えていく。

「革命ですわね……これは革命ですわ」

「肉まん! うおおおおう! おぉいしっ、うぉわ、肉まん!」

「美味しいよねぇ、二人とも好きならよかった」

 路上の端にさりげなく移動して道を開けつつ、三人はもふもふと肉まんを頬張る。花日は両てのひらで大事そうに抱え、小さな一口で少しずつ。有楽は同じく両手でがっしりと掴み、輝くような満開の笑顔でばくばくと。桃李は片手で持った肉まんをみ、そのたびもう片方の手でリアクションを出す。感激している桃李の片手を有楽が自分の手で繋いで、そのままぴょんぴょん飛び跳ね始める二人。花日はそれをにこにこと眺めている。

 穏やかで軽やかで澄み切った、透明に輝く二月の時間だ。

「――本当に、最高ですわ」

 ふいに桃李が漏らした声に、有楽が手を離してきょとんと首を傾げる。花日も同じ方向に、きょとんと首を傾げる。

「わたくし、今まで知りませんでしたの。なんだか……そうですわね。こんなに美味しいお食事は久しぶりですわ。きっと、二人がいるからだと思いますの。わたくし、今までこんなふうに友達ができるとか、自分と一緒にいてくれる人がいることだとか、想像もしていなくて……だから、本当に幸せで。誘いに乗ってくださって、ありがとうですわ」

 有楽と花日は顔を見合わせ、それからふいにやわらかく、あたたかく表情を緩めた。

「……またまたぁ、桃李ちゃん。お礼を言うのはこっちだよ。誘ってくれてありがとね。おかげで初めての肉まん、すっごい美味しかった」

「桃李ちゃんはそう言うけど、桃李ちゃんと一緒にいたい人も、友達になりたい人も、きっと自然と生まれてくると思うよ。優しい、友達想いの桃李ちゃんだもん。そういう人のもとにはきっと、同じくらいの優しい人がたくさん集まるんじゃないかな」

「あっ、あたしそれ知ってる!」

 花日が春の花のようなやわらかい声で紡いだ言葉に、有楽がばっと挙手した。

「なんだっけ、桃李ちゃんの名前初めて聞いたときから、なんっか思い浮かべててさ……ね、花日わからない?」

「ふゅ?」

 またしても首を捻る親友に、有楽は大袈裟な仕草で熱弁する。

「そういうことわざみたいなのあったじゃんほら、えーっと……桃李もの言わざれども靴下自ずから穴を成す……みたいな」

「馬鹿にしていますの? 靴下に穴が空いたら、アップリケをつけてちゃんと履き続けますわよ」

「桃李ちゃん、ツッコむところそこじゃない……っていうかツッコミにすらなってない。って、アップリケつけるの? 靴下の穴に?」

「ええ。なんなら今履いている靴下にもついていますわよ、見ます?」

「え」

「ぴょがっ?」

 平然と靴を脱ごうとしはじめた桃李に、有楽と花日は一瞬停止してから慌てて止める。

「いや見ない見ない見ない、何言ってるの桃李ちゃん。びっくりしすぎて変な声出ちゃったよ」

「あなたのオノマトペはいつも変だと思いますけれど」

「それはそう」

「え、そうなの?」

 まさかの無自覚だったらしい。目を丸くする花日に、有楽は「まあ花日だからねぇ」とのほほんと笑い、桃李はため息をつく。

「有楽、貴女が言いたかったの、『桃李もの言わざれども下自ずからみちを成す』ではなくて?」

「あっ、そう! それそれ!」

「桃や李には人や獣が集まるから、自然と小道ができる……たしか転じて、徳のある人のもとにはいつの間にか人が集まってくる、みたいな意味だったはずですわ。知らんですけれど」

 軽やかな、二月の風が吹き抜けた。

 石畳の道を、からからといくつもの葉が踊って通り抜け、三人の髪を揺らす。

 桃李は手に持った肉まんを見下ろし、ふわりと唇を綻ばせた。

「……でも、それを言うならわたくしは、下に小道ができていることに気づかなかったのですわ。貴女たちが声をかけて、笑いかけてくれたから、そこにたくさんの人がいて、みなさんが笑っていて、わたくしを見てくれていることに、やっと気づけたのです」

 空は高く青く晴れ渡り、気温は少し肌寒く、けれどてのひらの中と、胸の奥があたたかい。じんわりと、熱い。

 幸せの温度だ。それを知っているのは、友達ができたから、今傍にいてくれるから。

「足元に道ができたことを、教えてくれたのは貴女たちですわよ。わたくしが気づいたのは、貴女たちがいたからです」

 ずっと、見逃していた。

 考えてすらいなかったのだ。

 自分が誰かに好かれる存在だということを。

 真っ暗闇の穴に続いているとしか思えなかった自分の足下に、いつの間にか、小さくて、優しくて、確かな道ができていたことを。

「ありがとう。有楽、花日」

 銀灰色の髪をふわりと揺らして、空の光を受けて、顔を上げた桃李は眩しそうに微笑んだ。

 有楽と花日も、きゅっと頬を染めて嬉しそうに笑う。

「当たり前だよっ」

「うん、当たり前」


「だってあたしたちは――友達だからね!」

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