静かなる前進

砂煙の立ちこめる訓練場。

勝者を告げるアナウンスが止み、静寂が戻る。


息を切らしながら、燐はゆっくりと周囲を見回した。

氷が溶け、瓦礫が崩れ、熱で焦げた地面が至る所に残っている。まるで、本当の戦場のようだった。


その中を、真白が駆け寄ってくる。

制服の裾が破れ、髪には氷の粒が散っている。それでも彼女の顔には、安心と達成感が浮かんでいた。


「――勝てたね、燐くん」


その言葉に、燐は息をついた。

軽く頷いたその顔には、どこかまだ信じられないような色が残っている。


「……ああ、なんとか」


そこへ、少し遅れて柏木が歩いてくる。肩で息をしながらも、目には静かな炎が宿っていた。

左腕の袖は焦げ、拳には戦いの跡。けれどその瞳は、以前の彼とは違っていた。


「は……はぁ……やっべぇ、マジで燃え尽きるかと思った……」


そうぼやきながら、柏木は不器用に右手を差し出した。拳を作り、ぎこちなく突き出す。


「……よくやったよな、俺たち」


少し驚いたように見た後、燐もまた笑みを浮かべ、静かに拳を合わせた。

コツン、と乾いた音。


「うん。よくやった」


真白も、両手でそっと自分の胸元を押さえるようにして笑った。


「ふふ、なんだか……ちゃんとチームになれた気がする」


3人の間に流れる空気が、どこか柔らかくなる。

信頼。絆。そして、次に進むための新しい始まり。


傷だらけの体でも、3人の心は確かにつながっていた。


――それは、戦いの末に手に入れた、確かな“勝利”の形だった。


-----


演習場の反対側――

まだ冷気の残る一角で、氷室紅は膝をついていた。


息は荒く、肩がわずかに震えている。

その手には、すでに溶けきった氷の破片がわずかに残っていた。


「……負けた、のね……私が……」


誰に言うでもなく、ぽつりと呟いた。

唇を噛む。目を伏せる。悔しさが胸を焦がしていた。


名家・氷室の名を背負い、努力を積み重ねてきた。

他者の数倍の訓練をこなし、自分のすべてを力に変えてきた。

それでも――届かなかった。


「……くやしい……けれど……」


微かに、氷室の頬を風が撫でる。

その中に、ほんの少しだけ――清々しさがあった。


(私も、まだ“伸びしろ”があるということ……)


心の奥で、自分が完全ではないと証明されたことで、どこか軽くなっている自分に気づいていた。


少しだけ笑みを浮かべ、氷室はゆっくりと立ち上がった。


そのすぐ横――


「っはは……完全にやられたわ」


雷堂虎は、地面に座り込んでいた。

髪は乱れ、制服は焦げ、左肩はしびれて動かない。

それでも彼の顔には、どこか楽しげな笑みがあった。


「マジでバケモンじみてたな、あいつ……最後の光の剣、洒落になってなかったぜ」


唇の端を吊り上げながら、右手で軽く顔を拭う。

視線の先には、まだ立ち上がったばかりの燐の背中。


「……なるほどな。あいつが“噂”の転入生ってわけか」


負けを悔やむよりも――それ以上に、次は負けないと燃えるような目をして、雷堂は笑った。


そして、もう一人――

土岐隼人は、無傷のまま立っていた。


制服に乱れはなく、表情もいつも通り冷静そのもの。


「……あの光の剣、完全に“読み”を外されたな」


誰に言うでもなく、ぽつりと分析するように口にする。


「僕が作った地形。氷室の陣地。雷堂の前線。あらゆる条件を利用して、なお“突破”してきた。情報の処理と判断が、数段上だった……あれは、経験じゃない。“本能”で動いていた」


僅かに目を細め、彼は演習場全体を見渡す。


「あれが“リビドー”というものの核心なのかもしれないな……」


その目は、既に次の戦いを見据えていた。


それぞれの敗北――

だが、それはただの終わりではなく、それぞれの“始まり”となって静かに刻まれていくのだった。


----


演習場の中央――

まだ煙の名残が漂う戦場に、ひときわ静かな足音が響いた。


「……終了、お疲れさん」


黒のロングジャケットに身を包み、担任教師・真田九郎が姿を現す。

いつもと変わらぬ眠そうな目。だが、その口調には確かな重みがあった。


彼が立ち止まると同時に、空気がぴんと張り詰める。


「Fチーム」


立ち尽くす燐たち3人を見渡し、口を開く。


「構成力、個人技、連携――いずれも高水準。特に、状況変化への柔軟な対応は高く評価できる」


淡々とした声。だがそれは、この男なりの“称賛”だ。


「結城燐。戦況を読み、相手の能力と地形を活かしながら戦った。自己強化の扱いにも進化が見られた。瞬間の判断力は今のまま磨き続けろ」


「天音真白。治癒能力をただのサポートにとどめず、戦局の流れを変える起点として活用した。君の能力の本質は、“支える”ことだけではない。その感覚を忘れるな」


「柏木大牙。雷堂との衝突に固執せず、自分の強みが最も活きる戦局に導いた判断は冷静だった。怪我明けにも関わらず、今できる最大限の動きができていた。よくやった」


3人の表情に、一瞬だけ自信と安堵が浮かぶ。


だがその後、真田の視線はゆっくりとEチームへと移った。


「Eチーム――」


声の調子は変わらない。だが、語られる内容には明確な“温度差”があった。


「能力のポテンシャルは高い。だが――各自が“勝つ方法”に固執しすぎたな」


氷室、雷堂、土岐。順に名指しされる。


「氷室紅。序盤から飛ばしすぎたな。“零式結界”は強力だが、継続戦闘に向いていない。いつものお前なら、もっと冷静に戦局を見極めていたはずだ」


氷室は小さく肩を震わせながら、悔しそうに唇を噛む。


「雷堂虎。気持ちはわかる。結城と戦いたかったんだろう? だが、最初から相手を見誤れば、結果は見えてる。柏木に集中しきれなかった。お前の“気持ちの波”が一番の弱点だ」


雷堂は顔を背け、悔しげに拳を握りしめた。


「土岐隼人。地形操作の初動は良かった。だが、戦線に無理に出たのは判断ミス。お前は環境そのものを支配する力を持っている。それを“前に出る力”と勘違いするな」


土岐は静かに頷きながら、己の手のひらを見つめていた。


そして――


「次の演習までに、それぞれの“限界”をどう乗り越えるか。……それが今後の課題だ。

本日はここまでとする。」


真田は、それだけを告げて背を向けた。

その足取りはゆっくりと、だが揺るぎない。


----


夕日に染まり始めた演習場。

勝者と敗者、歓声と悔しさが交差する中――

一人の少女が静かに歩みを進めていた。


氷室 紅。


制服の裾にうっすらと霜をまとわせたまま、無言で燐の前に立つ。


燐が振り返ると、彼女の顔にはもう悔しさの色はなかった。

代わりにあったのは、まっすぐに据えられた瞳と、ほんのわずかな微笑み。


「……次は、負けませんわ」


ただそれだけ。

敬語の奥に隠された、確かな決意。


燐は驚くこともなく、静かに頷いた。


「俺も……手は抜かないよ」


氷室は何も言わず、そっと背を向ける。

夕日の光が、彼女の銀の髪と氷のごとき背中を淡く照らす。


その背中は――敗者ではなかった。

ただ、次を見据える“挑戦者”だった。




演習場から少し離れた、学園の西棟の屋上。


夕日が地平線に沈みかけ、空は茜と群青が混ざり合う。


その屋上には、ふたりの姿があった。


ひとりはフード付きの制服を着た生徒。

もうひとりは、足を組んで腰かけている女――その顔は逆光に隠れ、はっきりとは見えない。


「……どうだった?」


女が尋ねると、生徒は淡々と答える。


「ええ。間違いありません。

やつ“コード”は異質です。

 これまでのデータを遥かに超える。

 ……これは“理から外れる”ほどの能力。

 もしかしたら、我々が長年探し続けていた“原型”に近いものかもしれません」


「そう……それは、楽しみね」


女はゆっくりと立ち上がる。


「ならば――計画を少し、前倒ししてもいいわね」


風がふわりと吹き、女の髪が舞う。


落ちゆく夕日が視界から消え、代わりに夜の帳がゆっくりと下りていく。


その闇の中――


不穏な気配が、静かに蠢き始めていた。



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