氷結の世界③

──《零式・斜晶刃舞(シャイン・クレスト)》──


氷室紅の足元から、無数の氷片が音もなく浮かび上がる。

空気は一層澄み、張り詰めた冷気が空間を満たしていく。

凍てつく沈黙。

だが、それは次の瞬間、緊張の臨界点を越えて――


「我が氷の覚悟を喰らえぇ!!」


氷室の声とともに、氷の剣が放たれた。


シュン――ッ!


鋭い風切り音を立て、一本の氷のレイピアが燐に向かって走る。

彼は即座に半歩ずらし、それを回避。背後で爆ぜた氷が地面を抉る。


(……速い)


思考が追いつく間もなく、二本目、三本目――

次々に放たれる氷のレイピアが、弾幕のように空間を埋め尽くしていく。


「くっ……!」


燐は全身を駆使して、氷刃の波を抜けていく。

《叛逆・光纏装(こうてんそう)》によって身体能力が極限まで引き上げられた彼は、

一瞬先の未来すら読むような足運びで、時にレイピアを躱し、

時に《光盾》で受け止め、

あるいは《光剣》で打ち落とす――!


「その回避、見事ですわ」


氷室の目が光を帯びる。

冷静でいながらも、その奥には明らかな高揚があった。


「でも……避けきれますか?」


さらなる氷刃が、空中で舞い踊るように並列し、

その全てが燐を囲むように角度を変え、一斉に襲いかかる――!


「っ……!」


燐は、真っ直ぐに走っていた。

斜めに切り込むような氷剣を、まるで道をこじ開けるかのように、

盾と剣で強引に突破していく。


(残り7秒....ここを抜ける……抜けなきゃ……!)


目前、破片が頬をかすめる。

だが止まらない。止まれない。


そして――


「……あれは……!?」


氷室の瞳が微かに揺れる。


燐が向かっているのは、自分ではなかった。

その視線の先にあったのは――演習開始時、土岐が最初に作った分厚い壁。


「まさか……最初から、それを……!」


その瞬間、燐の両手の剣が高く掲げられる。

最後の力を振り絞るように、全身の粒子が光を放つ。


「《叛逆の剣(コード・リベリオン)》……!」


決意の叫びと共に、燐の身体が黄金の光に包まれた。

握られた光剣が十字に重なり、空気を震わせるほどのリビドーが爆発する。


「――っらあああっ!!!」


斬撃が走った。


――ズゥンッ!!


壁を構成していた土の装甲が、爆音と共に粉砕される。

強化された光剣が、構造の芯までをも貫き、

長く立ちはだかっていた障壁は、一瞬で崩れ去った。


土煙の中、燐は振り返りながら叫ぶ。


「――今だ、柏木!!」


その声に、誰よりも早く反応したのは――


「……よっしゃあああっ!!」


轟音と共に、爆ぜるような炎の脚が地面を蹴る。


壊れた瓦礫の隙間から飛び出してきたのは、

燃える拳を握りしめた――柏木大牙だった。


その表情は、いつもの不器用な顔つきのまま、だがその奥に宿すのは――


「……借りは、返すって言ったろ」


瞳の奥に、確かな炎が揺れていた。


――それは、戦闘が始まる直前。Fチーム作戦会議にて。


結城燐は、テーブルに戦場の簡略マップを広げながら言った。


「……本来なら、柏木を氷室にぶつけるのがベスト。あいつの火力と前進力は、氷の空間制圧に強い。けど、当然あっちもそれは警戒するだろう」


周囲にいた真白と柏木が頷く。


「相手はコードクラスの中でも上位組。戦闘経験に関しては、こっちより遥かに多いはず」


柏木は冷静に言い切る。


「雷堂の機動力。氷室の広域術式。そして土岐の地形操作。バランスが良すぎる。特に……氷室と土岐の連携は厄介だ」


柏木が腕を組みながら口を開いた。


「……分断されるってことか?」


「そうだ。恐らく土岐は、地形を変えて、柏木と氷室を意図的に“離す”動きをとってくる。氷室の《グレイシャル・ドメイン》は、一度展開されると範囲ごと凍てつかせる。“戦場そのもの”を支配するタイプ。だからこそ、氷室のフィールドに柏木を入れない動きを取るはず」


「なら、どうすんだ」


「分断されたら――俺か真白が環境を“崩す”。その一瞬の隙に、柏木が氷室の間合いへ踏み込めれば……勝機は生まれる」


その言葉に、真白が静かに微笑む。


「環境を崩すのは、私たちの役目ね。大丈夫。任せて」


柏木も、ふっと鼻を鳴らしながら拳を握った。


「そん時は……全力でぶっ飛ばすだけだ」


――作戦は、確かにここから始まっていた。



時は現在、戦場に戻る。


砕け散った土岐の地壁の向こう。開けた視界の先に、氷室の姿がある。


「今だ!! 柏木っ!!」


燐の叫びが響いた瞬間、


「おおおおおおっ!!!」


裂けた瓦礫を吹き飛ばすように、柏木が猛然と突進した。


そして――彼の拳が、再び燃え上がる。


「ぶっ壊すぜ……“燃える拳”の進化版だ!!」


彼の頭上、両の拳を天にかざすようにして、叫ぶ。


「《焔衝拳嵐(えんしょうけんらん)|ブレイズ・クラッシャー》!!!」


次の瞬間――


柏木の背後、左右に浮かび上がる《炎の拳》。


それは彼の実体の拳ではなく、“炎の圧”そのものが具現化した、巨大な二つの拳だった。赤く猛り、灼熱の風を巻き上げながら、彼の意志に応じて空中に浮かび上がる。


(なんだあれは……!?)


氷室の目が見開かれる。


空間の温度が一気に反転するかのような熱気。冷気に包まれていた空間が、揺らぎ、歪む。


「てめぇの氷も――まとめて砕き割ってやる!!」


柏木が叫ぶと同時に、空中の《炎の拳》が前方へ放たれる。


――ドォンッ!!


巨大な爆撃音とともに、衝撃波が走る。


周囲の氷が蒸発し、氷室が瞬時に張った盾すら、ひとつは崩壊。氷室は素早く後方へ飛び退く。


「なんて圧力……っ!」


その攻撃の余波だけで、空間の温度が一時的に正常化されるほどだった。


氷室の足元にひびが入り、結界の端に小さな裂け目ができる。


(あと一撃……!)


そう見えた瞬間――柏木が、最後の突撃体勢に入った。


その顔には――かすかに、真白から言われた“何か”を思い出すような、ニヤリとした笑みが浮かんでいた。


――空を裂くように振りかざされた、炎の巨拳が唸りを上げて迫る。


「くらいやがれぇ!!」


柏木の叫びとともに、空中に浮かぶ二つの巨大な炎の拳が、一直線に氷室へと飛来する。


「――氷盾結界(フロストシェル)ッ!」


氷室は素早く手をかざし、氷の壁を二重三重に展開する。だが――


「間に合いませんわ……!」


氷室自身が、その防御が不完全なことを悟っていた。


直後――


ドォン!!


空間を圧する凄まじい衝撃が響き、炎の拳が氷の防壁を次々に貫いていく。


一枚、また一枚と砕ける氷。轟音とともに巻き上がる蒸気と破片の嵐。


(この威力……! 空気そのものが……燃えている!?)


氷室が目を見開く間もなく――


残った一撃が、正面から迫る。


氷室は最後の一枚を張り、氷剣を構えて受け止めにかかるが――


「くらいやがれッッ!!!」


柏木が拳を前に突き出した。


炎の拳と柏木の意志が完全に重なり――


砕けた。


氷室の盾が、氷剣が、その身体ごと吹き飛ばされる。


「……っ!!」


鈍い音とともに、氷室が訓練施設の壁面へと激突し、雪煙の中に沈んだ。


「っはぁ……っは……!!」


柏木は肩で息をしながら、ゆっくりと拳を下ろす。


その拳の先――氷室は意識こそ保っていたが、もはや戦闘継続は不可能だった。


「や、られましたわね……柏木さんの炎がこれほどとは……」


地に伏しながらも、彼女は薄く笑った。


その表情には、敗北の悔しさと、どことない悲しさが混ざっていた。


「……ほんの少しだが恩返し...できたか.,」


柏木が歩み寄り、拳を軽く掲げる。


「……氷室家の人間が敗北を....」


静まり返るフィールドに、熱と冷気の余韻だけが残った。


----



――時は、氷室の元へ柏木が突撃した、その直前に遡る。


轟音とともに崩れ落ちた土岐の壁の残骸――

炎の奔流を従え、そこをすり抜けていく大柄な影。


「行かせるかよッ!」


雷堂の怒号が響く。

空気がビリつく。追うように、その身が稲妻を纏って疾走する。


雷堂 虎――その目は、柏木の背中を真っ直ぐに捉えていた。


「ここでコイツを氷室のところに行かせるのは――危険すぎる!!」


雷堂が駆ける。

破壊された土岐の壁、その向こうに――全身から噴き上がる蒸気とともに、炎を纏った男の姿が見えた。柏木大牙。

そして今――その男を、氷室の元へ向かわせてはならない。


「――チッ! あの火男を氷室に行かせるのは危険すぎるッ!」


焦りが、雷堂 虎の表情を鋭く歪めた。

だがその一歩先。

駆け込む軌道を遮るように、別の光が走る。


「……止まれ、雷堂!」


闇を切り裂く閃光。

正面から飛び込んできたのは、結城燐――。


その体から発せられるリビドーの粒子は、すでに限界に近い。

光の粒が散り、空間を焦がすように震えていた。


「てめぇ……もう一回、来やがったかよ」


雷堂が拳を構える。咄嗟にステップを切り、全身に電流を纏った。《雷迅強化》――最大出力。


粉塵の中、雷堂の瞳は燃えていた。


「……勝つために、ここは無理やりにでも通らせて貰う。――」


白銀の髪、澄んだ瞳で言った少女の言葉。


『……みんなで、3人で一緒に、勝ちたい』


ましろの声。まっすぐだった。臆病なくせに、仲間を守ると言い切ったその姿が、燐の背後に現れる。


(……3人で勝つ未来のために)


「時間がねぇんだよ……!」


雷堂の右拳に、紫電が集中する。

地面を震わせるほどの帯電音。

拳にまとわりつくのは、ただの電気じゃない。

彼の全神経を研ぎ澄ませた、“必中の雷”。


「くらいやがれ――《電拳砲(バースト・ナックル)》ッ!!」


炸裂音とともに、雷拳が走った。

雷堂虎、渾身の放電拳。

当たる直前にエネルギーを一気に放出するその一撃は、受け身を許さず、筋肉の痙攣を引き起こす“麻痺の雷槌”だ。


そして――


「燐くん!!」


風を裂く声。

背後から、白い影が走る。

天音真白。


(私だって……!)


心の叫びと共に、両手を広げた。

彼女のリビドーが、空間に共鳴して振動する。


「今度こそ、守る――ッ!」


世界に響き渡るような意志を込め、真白は詠唱する。


「《響盾律壁(きょうじゅん・りつへき)》――!!」


黄金の光が展開された。

いつもより遥かに大きな防御フィールドが、燐と真白を包み込む。

空間を揺らすほどの光波が、ドーム状に展開された。


直後、雷の拳が炸裂する――!


「――ッッッ!」


圧倒的な衝撃が防壁にぶつかり、バチッと激しい放電が広がる。

火花と雷光、波紋のように広がる金の障壁が、雷堂の《電拳砲》を真正面から受け止めた。


真白の足元が揺れ、膝が震える。

だが、彼女は倒れなかった。


(燐くんは……絶対に、倒させない!)


防ぎきった。


雷堂の全力の一撃を――

真白の《響盾律壁》が、仲間の未来を護った。



燐は、黙っていた。

いや、呼吸ひとつ乱さず、ただ両手の剣を握りしめ――静かに、覚悟を燃やしていた。


(あと……1秒)


藤宮との修行が頭をよぎる。


――“使ったら最後、倒れる前に敵をぶっ倒せ”


《叛逆・光纏装》。

その出力を――全て剣に集約する。


燐の片手の剣が、まばゆい光の渦とともに変化していく。

柄のない、十字に輝く刃。

質量を持つ光そのものが、燐の意志と共鳴して砲撃のように収束していく。


「《叛逆ノ煌刃(はんぎゃくのこうじん)》――ッ!」


燐の足元が砕ける。

加速。

踏み込みと同時、光が一点に収束し、轟音と共に雷堂へと突き刺さる!


雷堂が拳を構え迎え撃つ――雷の拳と光の剣、瞬間、閃光が炸裂した。

電流が爆ぜ、熱気とともに舞い上がる爆風。

地面が削れ、ステージの床が軋む。


「なッ――!?」


雷堂の身体が後方へ吹き飛ぶ。壁に激突し、激しい衝撃音とともに崩れ落ちた。


燐はその場に膝をついた。

光の剣が霧散する。

リビドーは、限界を超えていた――。


------


静寂が落ちた。

雷光も、炎も、氷の風も止み、空気がやっと「日常」に戻っていく。


スピーカーから低く響く声――それは、生徒たちには聞き慣れた、コードクラス担任・真田九郎の声だった。


「演習、終了」


張り詰めていた空気が、一気に緩む。

その一言が、戦場にいた全員に「終わり」を告げた。


「勝者――Fチーム」


静かだが、確かな口調。

そこに嘘はない。


どこか遠くで、観戦していた生徒たちのどよめきが広がっていく。


氷が砕け、地面の罠が沈黙し、雷鳴が消える。

その中で、燐は呼吸を整えながら空を仰いだ。

真白は膝をつきながら、微笑みを浮かべていた。

柏木は燃え残る拳を見つめ、小さくガッツポーズを作る。


戦いの幕が、静かに――確かに、閉じた。

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