ガリバー手記

平山キャラメ

ガリバー手記

「家庭は学校より狭い社会」とはよく言ったものだ。シルバニアファミリーを並べただけで家族が生まれ、大きなお家を沢山置けば社会になる。無垢で無知な子どもが通う施設も、学校という名前が付く。


 第二関節程度の赤ちゃんリスは、人差し指くらいの母リスに育てられる。(ただの微笑ましい図だ)が、普通を知らない子リスは自分がプラスチック製のおもちゃと知らないまま成長し続ける。人間では無いと解るには、他の人から言われる他ない。個人の好みや学力が個性として受け取られる義務教育を超えたあたりで、その「幻覚」は現れた。


 人混みの中で「私はちっぽけな存在だ」と思う時が有るだろう。スーツ姿の彼やスマホに目を下す彼女も過ぎ去り、誰も振り返らない。(≒ああそうだ、これは孤独という感情に近い)しかし、問題はこの現象が「物理的に発生した」と脳が錯覚を感じる点だ。多分何かしらの精神病だと予想が立てられるのは、現代医療の進歩と言える。


 スマホの字が大きく歪む。時に揺れ動き、それを掴む手も遠近法で怪物へと変貌する。浴槽に浸かり続けるように浅く湿った息を吐きながら、掛け布団に身を隠して必死に毛布を掴む。外の車が走り去る音に時計の長針が轢き伸ばされ、イヤホンに手を伸ばそうと枕の周りをまさぐる。流すとしたらサカナのやつが最適だ。


 ちなみに、イヤホンが無いまま眠りにつけば打率八割の悪夢がバットを持ってエンドへ振りかぶるのだ。12年近くこいつと居れば金曜ロードショーの再放送を見る感覚になるので悪夢くらい別に良いのだが、やはり幻覚はいつみても異質な世界だと感じさせてくるのだ。


社会の中で生きる私たちは、学校で和気藹々わきあいあいと談笑していたクラスメイトのその後を、物置部屋に置いた人形を知らない。


この文章を読んで実感が湧かないなら、私は嬉しいし他の人に起きて欲しくないと切に願う。

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