File.4 流れる血はレッド

流れる血の色はレッド


ここはどこだ? 暗闇の中、俺は目覚めた。足元がおぼつかない。停電でもしたのか?

 

「ロゼッタ? ロゼッタ!」


何度呼んでも、何処を見ても、ロゼッタはいない。何処に行ったんだ?


「いいよな、ロゼッタは殺さないなんて。僕達の事は見殺しにしたくせに」


聞き覚えのある、神経質な声に俺の体は強張る。暗闇の中から、ホレイショが現れた。切り離された首を脇に抱えながら、血走った両目で俺を睨んでいる。


「ホレイショ……」


「お前みたいな奴がのうのうと生きているなんてね。スコットさんの代わりに、お前が死ねばよかったんだ」


皮肉めいた口調のホレイショ。切断された首の断面からは血が溢れていた。血の足跡をつけながら、ホレイショは俺に向かってくる。


「デビット先輩ぃ、助けてくださぁい」


ベラが何処からか現れる。口ではなく、首に空いた穴からベラの声が漏れた。恨めし気な声を上げながら、ベラは俺に近づく。その後ろから植人達が寄って来た。どれも体の一部が欠損している。毛の代わりに茎が生えた植人、眼窩にベリーが生っている植人。忘れもしない。俺が撃ち殺してきた奴らだ。俺は全身を削ぎ落とされるような感覚に陥り、暗闇の中を逃げ出す。息を切らしながら走ると、暗闇の先に一抹の光が見えてきた。俺は縋るように、光の中へと駆けた。


「デビット君、デビット君!」


誰かに揺さぶられ、俺は目を覚ます。目の前には、スコットさんがいた。腹の出た健康体のスコットさんが。辺りを見回すと、いつもの光景があった。いつもの交番。書類仕事をするホレイショ。誘導棒を点検しているベラ。


「スコット……さん?」


「寝不足かい? ひどくうなされていたぞ」


俺は目を擦る。夢……? 今までの出来事は夢だったのか? 俺は深呼吸をし、ゆっくり胸を撫で下ろす。なあんだ、夢にしては冗談がキツいぞ。俺は苦笑する。


「さあ、パトロールに行くぞ」


スコットさんが笑顔で一歩踏み出す。次の一歩はなかった。俺の目の前にあるのは、スコットさんの足一本だ。俺は暗闇の中に再び閉じ込められる。物言わぬスコットさんの片足を、俺は見ていることしかできなかった。胸に穴が空いたようにキリキリと痛む。


「安心して、デビット。私がいるじゃない」


立ち尽くす俺の肩に、ジュニファーの手が触れる。振り向くといつものように微笑むジュニファーがいた。俺は暗闇の中にいる事も忘れ、ジュニファーの手を取る。


「本当にジュニファー……なのか?」


「そうよ、あなたが殺したジュニファーよ」


笑顔が歪み、額に亀裂が走るジュニファー。ガラスが割れるように、ジュニファーの顔は砕け散り、巨大な薔薇が現れた。ジュニファーだった肉片が、俺の頬にへばりつく。めしべの代わりに茨を生やした真っ赤な薔薇は、俺を噛み砕こうと襲いかかった。


「うわあぁぁぁぁ!」


 顔を上げると、鈍い痛みが走った。ハッとして目を凝らすと、俺の前には額を抑えるロゼッタがいる。薔薇はどこだ? ジュニファーは? 交番の奴らは? 動悸が止まらず、荒い呼吸を吐く。これも夢か? 冷や汗が身体中にどっと溢れる。全てが信じられない。これも夢なら、早く覚めてくれ。おぼつかない手つきで、俺は額に拳銃を当てた。


「やめ……て! デビット!」


額を押さえながら、ロゼッタは拳銃を弾く。力の入らない俺の手からは、拳銃は簡単にすり抜ける。ロゼッタに肩を揺さぶられ、俺は小刻み呼吸をした。ロゼッタの冷たい感触が、これが夢ではないことを実感させる。俺は徐々に呼吸を整えた。ロゼッタは心配そうに俺を見る。


「デビット、すごく苦しそう……だった」


ロゼッタは俺の額の汗を拭う。手首には、痛々しいチェーンの跡が残っていた。引きちぎれちまったのか。そんなに俺が心配だったのか? 相当もがいたのか、足首も緑色の血がべっとり付いていた。


「心配すんな。ちょっと悪い夢を見ていただけだ」


「デビッド、これ、自分向けてた。これ、危ない」


ロゼッタは俺に拳銃を返す。引き金を引いていたら永遠に夢の世界に閉じ込められるところだったよ。


「安心しろ。もう自分には向けねぇよ」


俺は腰に拳銃を戻し、ロゼッタの腫れた頭を撫でる。ロゼッタは心地良さそうに、俺の手にすり寄った。今まで、チェーンを千切ろうと思えば千切れたのか。どうして千切らなかったんだ。考えれば考える程、雨音は強くなった。


 何時間経ったのだろう。俺の側には相変わらず、ロゼッタが彷徨いていた。鎖を千切っても、一向に俺を襲おうとしない。興味津々に俺に近づくか、水をがぶ飲みするだけだ。


「なあ、お前はどこから来たんだ?」


俺の言葉に、ロゼッタは首を傾げる。さっきの言葉の意味も分かっていなかった時とは違う、明らかに記憶を辿っているような表情だ。


「……分かんない。雨の中歩いてたら、ここ、来た」


曖昧気に口を動かすロゼッタ。やっぱり記憶はまだ完全には戻っていないのか。何にせよ、口を聞けるなら、その辺の植人よりはご飯の誘いくらいならできそうだ。


「お前は人を食わないのか?」


「ヒト……?」


俺はロゼッタの目の前に腕を出す。袖を捲り、腰からサバイバルナイフを取り出した。ナイフの光る刃を見て、ロゼッタは小さな悲鳴を上げる。なるべく軽く済む場所にしないとな。俺は二の腕にナイフを当て、軽く刃を当てた。赤い血が線を引き、小さな血溜まりを作る。ナイフを片手に握ったまま、俺はロゼッタの様子を見る。どうだ、もしお前が最悪の選択肢を取ったら、俺はこのナイフをお前に突き立てるしか無い。ジュニファーにやったように。ロゼッタは呆然した様子で血の溢れる腕を見ていた。


「どうだ? 噛んでみろよ」


俺はロゼッタの口元に血塗れの腕を近づける。ロゼッタの瞳孔が開く。肉食動物のような、爬虫類のような、野生的な瞳孔に変わった。俺はナイフを握り締める。やっぱり、植人は植人か。もうコイツらは人間じゃないんだ。


「やだ! デビッド、ケガしてる」


ロゼッタはけたたましい声を上げ、俺の腕を押し除けた。あまりの馬鹿力に、俺は後ろに転げる。ロゼッタは自分の服の袖を千切り、俺の腕に押し当てた。俺は驚いて、ロゼッタを見る。ロゼッタは震える瞳で俺の傷口を見ていた。その目は餌を見る目なんかじゃない。人間のそれだった。俺はナイフをしまい、袖の切れ端を巻く。


「悪かったな。お前を試すような真似をしちまった」


「デビッド、自分を傷付ける、ダメ!」


抗議するように、ロゼッタは首を振った。なんだか悪いことをしちまったな。俺はロゼッタを安心させるように、頭を撫でた。反応こそは人間らしいが、蔦のような感触の髪を撫でると彼女が植物の紛いものだということを嫌でも思い知らされる。


「お前を疑ったりして悪かったよ」


ロゼッタは俺の頬に手を当てる。顔は無邪気そのものだが、当てられている俺にとっては恥ずかしい。なんせジュニファーにそっくりなもんだからな。


「デビッド、あったかい」


植人にとって人間の頬は暖かいのか、ロゼッタの顔が緩む。俺の体温はそれに比例して急上昇した。ジュニファーでもいきなりこんな大胆なことはしなかったぞ。俺は慌ててロゼッタの手を下ろさせる。


「お、おい。あんまりベタベタ触るな」


俺の温もりが消えると、ロゼッタは不満気に頬を膨らませる。こいつは化け物なんだということを時々忘れちまうよ。調子が狂う。でも、もう俺にはこの化け物を鎖で縛りつける気にはならなかった。もうコイツをただの化け物と見なすことはできない。向こうも俺を餌とみなせないのか、俺に寄り添い続けていた。この雨が止むまでは、しばらくコイツといてもいいような気がした。

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