ダッシュツ

「だ、だいじょうぶ?ショウちゃん」

「…お、おう、俺はなんとか大丈夫だ。お前は、どうだ?」

「僕も、大丈夫。なんとか…ね」


 僕は空いている右腕で、ポケットからさっき取り出そうとした懐中電灯を引っ張り出した。

 そして、それをショウちゃんの方に差し出した。


「ショウちゃん、僕の懐中電灯受け取って」


 ショウちゃんは空いている左手でそれを受け取ると、スイッチを入れた。


 周りが頼りない白い光でぼうっと照らし出される。そのおかげで辛うじて現在の状態を把握することができた。


 なんと僕らは崖っぷちにぶら下がる形になっていたのだ。


 どうやらこの墓地は少し小高い丘の上に作られていたようで、墓地の敷地から一歩でも外れれば、鋭い斜面を転がり落ちるという地形だった。墓地の周りに背の高い木々が生えているせいで、気がつかなかったらしい。


 多分そんなに高い崖でもないだろうが、落ちたら無事では済まないことだけはわかる。


 僕の懐中電灯の明かりが弱いせいで崖下が全く照らされておらず、深い暗闇が口を開けているだけだ。



 まさか、墓地の周りがこんな崖だったなんて…。


 崖の途中に足場があったようで、ショウちゃんがぶら下がっている状態ではあるが、僕の負担はさほど大きくない。流石のショウちゃんも驚いたのか、ショックなのか、崖下を見つめて呆然としている。



 とりあえず無事であることに安堵した途端、気味の悪い気配が近づいてきたのを感じた。もちろん、それに加えて不気味なうめき声も聞こえてきた。


「ち、ち、ちちちちちち」


 ショウちゃんが一瞬で顔を青くしたのが分かった。きっと僕も同じ顔をしている。

 そのまま僕の後ろを照らそうとライトを振り回す。


「お、おい、ハル。う、後ろから…!」


 ショウちゃんに言われなくても、そんな事はわかっていた。

 何をすべきか、どうしたらよいのか、必死で頭を働かせる。

 後ろから容赦なくアイツが近づいてくる。



「ち、ち、ちが、ほ、しいぃぃぃぃ!」



 急に後ろのアイツが「ち」という言葉以外を叫びだした。喉の奥から絞り出すような、耳障りな悲鳴のような叫びだった。


 だが、その瞬間、ある考えが浮かんだ。一か八かの閃きが。


 僕は口で右腕に巻き付けられているハンカチの結び目を引っ張った。簡単に解けるはずもなく、顎が痛くなる。後ろからの悲鳴が徐々に大きくなる。

 後ろのアイツに追いつかれるよりはマシだ、と負けじと歯を食いしばって引っ張った。


 すると、ビリビリッと裂ける音がして、ハンカチが腕から解けた。僕はハンカチを咥えたまま、助走をつけて、崖下に向けてハンカチを放り投げた。ハンカチがヒラヒラと崖下に落ちていくのがスローモーションで見える。


 と、次の瞬間。

 僕の脇をものすごいスピードで何かが通り抜けていった。そして、ハンカチを追うように崖の下の暗闇に落ちていった。



「今だ!ハル、引き上げろ!」

「う、うん!」


 ショウちゃんの声に急かされるように、僕は両手でショウちゃんの腕を掴み、全力で引き上げた。ショウちゃんも崖の窪みやらなにやらに器用に足をかけてくれて、ショウちゃんの体はあっという間に崖上に上がってきた。


 ショウちゃんは、僕の腕を掴んだまま、崖とは反対の方向へ走り出す。僕は半ば引きずられるようにしてショウちゃんの背中を追いかけた。




 しばらくそのまま走り続ける。


 崖の下に姿を消したとはいえ、ナニかもわからないアイツがまた追いかけてくるかもしれない。あんな恐怖に取りつかれるのは、もうコリゴリだ。


「おい、ハル、出口だ!明かりが見える!」


 小さな電灯が見えた。それは森の入り口の看板を照らしていた、あの小さな電灯だった。

 いつの間にか僕たちは墓地を抜けて、森の入り口まで来ていたらしかった。



 僕たちは電灯の真下まで来ると、二人してその場に倒れこんだ。

 息をするのも辛いくらいだ。喉の奥が焼けるように痛い。ショウちゃんも荒い息を吐いている。

 さっき打ち付けた膝も、擦って血が滲む腕も、何もかもが痛い。


 振り返って森の奥、墓地がある方向を見る。もうアレは追ってきてはいないようだった。あの禍々しい気配も、不気味な声も、耳障りな悲鳴も聞こえない。


 体はボロボロで、痛いけれど、もう危険が去ったことが直感で感じられた。

 安堵のせいか、じわっと涙が滲んだ。ショウちゃんの方を見ると、ショウちゃんは笑顔を浮かべていた。



 ショウちゃんの笑顔のおかげで、僕はやっとあの脅威から逃げられたのだと安心することができた。

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