拝啓 チョコミントの頃

しぼりたて柑橘類

🍨

 三日間にわたる期末テストが終わり、今日は昼で放課だった。私はコンビニの前で呆然と青い空を眺めつつ、日差しが落ち着くのを待っていた。


 見上げた空は青く澄んでいて雲ひとつ無い。視界の四隅が雑居ビルで見切れているけど、きっと向こう側まで晴れ渡っているのだろう。6月だと言うのに、時候の挨拶は『炎暑』になりそうだ。


 まだ折り目のくせが抜けない夏服は、二の腕と背中にべっとり張り付いている。時折横の自動ドアからサラリーマンが出入りして、心地よい冷気が通り抜けた。

 中に入って涼むのもいいと思ったけど、私は自動ドアの前でやる気が燃え尽きていたのだ。私は今、真っ白な灰のようになって、車止めの上に座っている。


 初の期末テストという、勝手も何も分からない難題からの開放。連日の一夜漬けによる疲労。そして登下校のカンカン照りの日差しで、私はくたびれていた。

 もっとテスト後の時間って、開放感によるワクワクとかがあるもんだと思っていたのに。やりたいゲームも見たい漫画も沢山我慢してリストアップしていたのに。手元には途轍も無い脱力感だけ。


 本当は午前中で学校が終わるから、コンビニでご飯を買おうとしてここまで来たのに。もう何もしたくないし、何も見たくない。暑いし、お腹すいたし、頭ぼーっとするし、眠いけど帰るのもめんどくさい。


 私が正気に戻るには、明確にリフレッシュが必要だった。切り替えをしつつ元気を補充できるタイプの都合のいい何か。ああ、こんな時に先輩がいてくれたら、からかいがいがあるのだけれど。先輩のクラスは、私たちより一時間遅く終わるはずだった。


 一時間も待っていては、間違いなく干からびてしまう。しかし疲れきった私の心の泉は、とっくのとうに干からびている。

 俗っぽい言い方をするならMP切れ、HP残りわずかって感じ。でも、あとほんの少しならば待てそうな気もしている。先輩は下校途中、このコンビニによく寄るのだ。

 しかし、一段と強い虚脱感に取りつかれた乙女心は複雑に揺れ動いていた。


 時刻は13時、気温は体感で33℃ってところ。地面からの蒸し返しが強くなってきた。汗が体表をじっとり濡らす。


 いい加減ぼーっとするのにも飽きてきたし、熱中症にもなりたくはないし。諦めてお昼ご飯を買おうとした矢先だった。


「何ぼーっとしてんだ? 熱中症かー?」

 

 私と青空との間に、厚みのある手が割り込んできた。少し首の角度を変えると、先輩が私の顔を覗き込もうとしていることがわかった。

 少し驚いて目を見開いてしまったが、努めて何事も無かったかのように空を見上げ直した。

 

「考えごとですよ。それと、空がきれいだなぁって」

「嘘つけよ、一瞬白目むいてたぞ?」


 にやけながら、先輩はそんなことを言った。

 私の懸命なリカバーに、なんだその言い草は。立ち上がって、少し先輩に詰め寄る。どこからか、ミント系の制汗剤が香った。


「瞬きの瞬間だけ切り取って偏向報道しないで貰えます? 先輩だってその刈り上げ、髪かきあげたらただのスポーツ刈りじゃないですか」

「これはツーブロだって、前から言ってんだろ。なぜ良さがわからん」

「分からないものは分かりません。中途半端じゃないですか。いっそ刈るか伸ばすか、どっちかにした方がいいです」

「お前はいつものほほんとしてる癖に、白黒つかないのだけは嫌いだもんな。ほんとめんどくせえ」

「何を言いますか、これが乙女心なのです。というか先輩、なんでこんな所に居るんですか? テストはどうしたんです?」


 私が問いかけると、なんてことない顔で先輩は答えた。


「んなもん、サクッと終わらせてきたに決まってるだろ。開始30分後は自由退出可のテストだったんだよ」


 意外だ。先輩は万年赤点スレスレだったはずなのに。勉強を頑張ったのだろうか。少しだけ感心してしまう。


「へえ、相当自信があるんですね」

「あるわけねえだろ。解ける問題が少ねぇと30分経つ頃にはやること無くなるんだよ」

「へっ?」


 耳と自分の常識を疑う。知らない感覚で知らないことが為されていた。やること無くなるって何?解ける問題が少なすぎて30分以上残すって、それ何問解いたの?

 呆然とする私を取り残し、先輩は自動ドアに目を向ける。


「そうだ、コンビニの前に居たってことはなんか食うんだろ。奢ってやるよ」

「へ、へっ?」

「お前さっきから『へ』しか言ってねえけど大丈夫か? 熱中症じゃねえだろうな」

「へ……あ、いや。大丈夫です。先輩の奢りとあらば、食べます。食い倒れる勢いでね」

「おう、食い気があってよろしい。頼むから俺の財布事情は考えてくれよ?」


***


 自動ドアを超えた先は、まるで天国だった。蛍光灯によって照らされた白色の店内。キンキンに効いた冷房。何より、自分のポケットマネーが消費されないコンビニほどいいものは無い。


 先輩の後ろをついて行き、レジ前をぬけておにぎりコーナーに着いた。さっきまで暑いところにいたから、冷蔵庫の冷気も今は心地がいい。

 冷蔵庫に一歩近寄って、物色するフリをしつつ顔に冷気を浴びる。はしたないが、日焼けしたのか少し熱を持っていたのだ。仕方ない仕方ない。


「お前、今めちゃくちゃ高いもの買ってやろうとか考えてなかったか?」


 そう言い、先輩が振り返った。サイドの髪が揺れて刈り込みの跡が見える。なるほどそういう髪なのか、と変な納得をしてしまった。なんだか見てはいけないものを見ている気がして、目を逸らす。


「全然。普段は買わない良いパッケージのおにぎりなんて、買おうとしてませんよ」

「一個三百円くらいするやつだろそれ。本当にお前それが食べたいのか? 値段だけで見てないか?!」

「ははは、そんなことないですよ……あっ」


 ふと振り返った私は、背面のアイス売り場に気がついた。お腹がすきすぎて、ご飯って気分じゃないこともついでに思い出す。


「アイスとか、良いですよね。今の時期は特に」

「確かにな、蒸し暑いしピッタリだ」


 私が言うと、先輩も食い付いてきた。

 先輩は何味が好きなんだろう。清涼感のあるバニラに、爽やかなラムネ味。濃厚なチョコ系もいい。どうせなら違う味にして分け合っちゃうのもありだろうか。

 さすがに、そんなことをしたら意識してくれるだろうか。いや、馬鹿だし気づかないか。、


 目当ての商品を探すふりをしながら、先輩の手の先を目で追う。

 分けやすいのがいいかな。あえて1本をシェアする棒アイス? それともカップって手も……。


「それに6月だしそろそろあるかもな。……お、あったあった」


 そう言って先輩が出したカップに、私は目を疑った。鮮烈なほどのターコイズブルー、まだらに入った黒。

 紛うことなき『チョコミント味』であった。


 反射的に1歩退く。思い出した、この時期はチョコミント味のお菓子やらアイスやらがいっぱい出回るのだ。


 何を隠そう、白黒付いていないと気が済まない私が毛嫌いしている味。それがチョコミント味である。ミントが効いて爽やかかと思えば、なんだか全体的にまったり甘い。食べれば食べるほど、よく分からないで頭がいっぱいになる。

 どこに踏み込んでくるんだが、何をしたいんだか、ハッキリしないじゃないかこの味は。なんとも、私には理解し難い味なのだ。


 そんな味を、先輩が手にとっていた。あの味の機微を、先輩が理解できると? 確かに特徴が掴めない感じは似てるけど、本質的にちょっと違う気がする。え、本当に買うの? チョコミント味? 買っちゃうの、先輩?


 私が呆気に取られていると、先輩と目が合った。


「ははっ、さてはお前もチョコミント嫌いなタチかー?」

「……割と」


 正直に言った。こういう時に嘘をついてはいけない。先輩は気前が良すぎるので、好きだと言ったら口にねじ込んでくる。


「そうかー。結構いるよな、苦手なヤツ」


 そして「まあ好き好きだし、仕方無い」と笑ったが、その声はどこか下がり調子。好き嫌いの問題だし仕方ないとはいえ、罪悪感が少し湧いてくる。

 それに、先輩の好みは知っておきたい。チョコミントの何が、先輩を惹きつけるのだろう。

 

 ちょうど、チョコミントのカップアイスをカゴに入れた先輩に問いかける。


「……先輩はなんで、チョコミントが好きなんですか?」

「なんでって、美味いからだが」


 話が平行線に飛びそうな返し方をされた。全盛期のイチローだって、こんな投げ方は出来まい。会話はキャッチボールだと言うのに。

 

「その、きっかけとかないんですか? 好きなところとか。私……その、気分を害したら申し訳ないんですけど、変に爽やかだったり甘かったりするところが苦手で」

「へぇ、俺はそこが好きなんだけどな。甘いし、爽やかだし」

「なるほど、なんか氷解した気がします」


 変に納得がいった。元々議論は平行線だったのかもしれない。どんなに知りたがったとて、感覚とは相容れないものだ。

 ここは大人しく、私の気分だけで美味しいものでも選んで食べてやろう。どうせならいつも食べない高いやつを、腹いせに。


 私が高いバニラアイスに手を伸ばしたその瞬間だった。


「なんか、お前っぽくないか? チョコミントって」

「えっ? どこが?」


 あと少しで、高いアイスを床に落とすところであった。慌てた私が振り返って先輩の目を見ると、きまり悪そうに頬をかいていた。


「なんつーかさあ。普段はしっかりしてるくせ、話し始めると急にヘロヘロすんじゃんお前。今日も空見てる時は凛としてたのに、俺のこと見た瞬間おふざけモードになったじゃねえか」

「へ? どんなふうに違うんです?」

「表情がな。緩くなる、全体的に。それにお前も、甘いとこあるしなぁ。かと思えば冷たくなるし」

「へ、へっ?」

「なんかギャップがあるんだよな。コロコロ変わって面白いから好きだぜそういうところ」

「へぇっ?」


 思わず変な声が出てしまって、自分の口をおさえる。私そんなに顔に出てたの?それに、そんなチョコミントが好きだなんて。そんなことをおくびもなく言ってしまうだなんて。 

 冷凍庫のそばはキンキンに冷えているにもかかわらず、内側から燃え上がるように熱くなった。


「だ、大丈夫か? 顔真っ赤だぞお前。やっぱり熱中症なんじゃ……」

「大丈夫です」

「本当に大丈夫か? スポーツドリンクとか買った方が」

「大丈夫、です」


 全然大丈夫じゃないけど、そう言った。もっと欲しいから、そう言った。


「それに、チョコミントもちょっと食べてみたいかもしれません」

「食い意地張ってんな。でも無理はしない方いいぞ?」

「本当ですって。だから、先輩の一口下さい」

「えっ」


 言ってしまった、我ながら思い切って。頭の芯までのぼせきってしまった勢いで。先輩は目を丸くした先輩は、うわ言のように口先を動かしている。


「そ、そ……」

 

 ちょっとはしたないけど、通じたなら私はそれでいいのだ。

 精一杯の微笑みを向けると、先輩の目が急に光った。


「そうまでして食いたいのか?! じゃあお前の分も買ってやるよ!」

「えっ」


***


 拝啓 私へ


 『チョコミントの頃』となりましたが、満喫しておいででしょうか。


 バカな先輩は相変わらず、私をチョコミントだと思ってます。私はずっとチョコ100パーセントのつもりだったのに。照れ隠しの清涼感すら、美味しく食べてしまうのが彼です。


 結局、チョコミントアイスは1カップ食べました。やっぱりすごい味でした。でも、不思議と嫌いでは無いです。先輩曰く、これが私らしいので。

 

 あの日のチョコミントのように、先輩に選んでもらえる日を願い。取り急ぎお礼まで。


 かしこ 

 

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拝啓 チョコミントの頃 しぼりたて柑橘類 @siboritate-kankitsurui

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