03:02

@kyanchomedx

ISS

その夜、橋本はふいに目が覚めた。転職活動中の今、眠りは浅く、夢も見ない。前の仕事に追われていた頃には、夜中に起きることもなければ、夜空を見上げる心の余裕さえなかった。


カーテンをめくり、静まり返った空を何となく見上げる。いつもと違う生活のせいか、妙に頭が冴えている。その時、空を横切るひとすじの光が目に入った。飛行機とは違う、不思議な動き。


気になってスマホで調べはじめる。「夜空 光る点」「動く星のようなもの」。検索の中に「ISS」の文字があった。昔から名前は知っていたけれど、実際に肉眼で見られるとは思っていなかった。


その夜、衝動的にダウンロードしたISS観測アプリ。数日後にもまた見られることを初めて知り、「ISSって結構しょっちゅう通るんだな」と素直に驚いた。会社員だった頃は、夜空のことなんて考えるヒマもなかった。転職活動中の今、こんな夜更かしも自由だ。


数日後――夜、なんとなくスマホを触っていたら、高校の同級生で今もたまに連絡を取っているBの名前が目に入った。Bも最近仕事をしてないらしい、程度は知っているが、それ以上のことは知らない。特に目的があったわけでもなく、ただ何となく、そのままメッセージを送った。


「今夜、ISSってやつが見えるっぽい。暇だったら河川敷で星でも見ない?」


Bは「星って流れ星じゃないよな?まあヒマだから行くわ」と軽い調子で返してきた。


深夜、家の近くの河川敷。コンビニで買った缶コーヒー片手に川風に吹かれる。Bも遅れて到着し、昔から変わらない調子でおどけてみせる。たいした話でもないことをぽつぽつと喋る。


午前2時

アプリを開くと、観測予定者の人数は「1人」。やっぱり自分らだけか、と苦笑する。

Bはせっかくだから星でも眺めてみるか、と言いながら、草むらにどっかと座り込んでいた。


「誰も見てないんだな、ISS」と橋本がつぶやくと、Bは「ほんとだな」と笑った。

だけど、自分ひとりのためだけに用意された空――そんな感じも悪くなかった。

あの会社で働いていたころは、こうして夜の世界にひとりでいることもなかったし、誰に必要とされていない時間すら、今は少し心地よい。


スマホで何度もアプリを開くたび、"1人"の表示は変わらない。

寂しさはなかった。ただ、自分ひとりでも十分に満ちているような静けさが、心の中にゆっくり広がっていた。


やがて、3時が近づいてくる。issが通る位置を確認しようとアプリをもう一度見た橋本は目を丸くした。


「おいB、これ見てみろよ」


Bがスマホをのぞきこむと、観測者のカウントが“2人”、“5人”、“12人”、“21人”とどんどん増えていた。


ふたりは顔を見合わせ、思わず笑った。人数が増えていくたび、妙な連帯感のようなものが生まれていく。


気づけば、立ち上がっていた。スマホを握ったまま、夜空に集中する。

川の流れる音も、虫の声も消えたように感じる。

「もうすぐだな」

「あと1分」

気持ちがひとつの方向に向きはじめる感覚が、なんとなく、懐かしい。


03:02、その瞬間、ISSが東京の空に現れて静かに横切っていく。

ふたりは黙って、小さな光が消えていくまで、じっと見送り続けた。

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