第26話
帝のお言葉を受け私たちは顔を上げた。
御簾の奥に座す帝のお姿ははっきりと見えない。
けれどその圧倒的な存在感はひしひしと伝わってくる。
「そなたが伊吹の咲耶か」
「は。……にございます」
緊張で声が上ずってしまった。
「噂は聞いている。枯れた大地を蘇らせ民に希望を与えた春の女神と」
そのお言葉には感情がこもっていない。
帝が私をどう見ているのか全く分からなかった。
「その奇跡の力、まことであるか」
「……はい。私一人の力ではございません。夫である景久と民皆の心が一つになった時、大地は応えてくれるのでございます」
私は精一杯の勇気を振り絞って答えた。
隣で景久様が力強く頷いてくれるのが心強い。
「ほう。夫と民の力とな」
帝は面白そうに呟いた。
その時だった。
「帝。その女子の申すこと鵜呑みにはなりませぬぞ」
甲高い声が広間に響いた。
声の主は蘆屋道満。
彼はねっとりとした笑みを浮かべながら立ち上がった。
「その力、あるいは人を惑わす邪な術やもしれませぬ。古き文献にもございます。伊吹の巫女の中にはその力を悪用し国を乱した者もおったと」
その言葉は明らかに呉葉のことを指していた。
そして私を貶めようとする悪意に満ちている。
「道満。そなたは何を申すか」
藤原為時が咎めるように言った。
「これは失礼。ですが帝の御身の安全を考えれば慎重になるべきかと。その力の真偽、この道満が確かめさせていただきましょう」
そう言うと道満は懐から一枚の黒い札を取り出した。
そして何やら呪文を唱え始める。
広間の空気が一変した。
ひんやりとした邪悪な気が満ちていく。
私の懐の青い宝玉がさらに熱を増した。
「やめろ道満!」
景久様が叫び私の前に立ちはだかろうとする。
けれどそれより早く。
道満が投げつけた黒い札は目にも留まらぬ速さで私の胸元へと飛んできた。
「咲耶!」
景久様の悲痛な声が響く。
もう避けられない。
そう思った瞬間。
私の懐から飛び出した青い宝玉が眩いほどの光を放った。
光は水の龍の姿となり黒い札を一瞬で飲み込んでしまう。
「な、何!?」
道満が驚愕の声を上げた。
水の龍は役目を終えると再び宝玉の姿に戻り私の手の中へと収まった。
広間は騒然となった。
公家たちは目の前で起こった出来事に言葉を失っている。
「……おのれ伊吹の小娘。そのようなものを隠し持っていたか」
道満は悔しそうに顔を歪ませた。
「道満、今のはどういうことだ。説明せよ」
帝の厳しい声が響く。
「は、はは。これは失礼。少々手荒な真似をいたしました。ですがこれで分かりました。この女子やはりただ者ではございません。その力、あるいは帝やこの国にとって災いとなるやもしれませぬ」
道満はまだ諦めていない。
何とかして私を危険な存在に仕立て上げようとしている。
その時、景久様が一歩前に出た。
「帝。我が妻咲耶は決して災いなどではございません。彼女はこの国に春をもたらす慈悲の女神。その証をお目にかけましょう」
そう言うと彼は懐からあの巨大な絵巻物を取り出した。
永井様がその絵巻物を受け取り帝の御前でゆっくりと広げていく。
そこに描かれていたのは私たちの領地の物語。
荒れ果てた大地が緑の楽園へと変わっていく奇跡の記録。
民たちの喜びの笑顔。
そしてその中心で優しく微笑む私の姿。
広間にどよめきが起こった。
絵巻物から放たれる温かく清らかな気に誰もが圧倒されている。
それはただの絵ではない。
私と景久様の愛と民の感謝の心が込められた生きた物語なのだ。
「……見事なものだ」
御簾の奥から帝の感嘆の声が漏れた。
「帝、騙されてはなりませぬ!それこそ幻術やもしれませぬぞ!」
道満が必死に叫ぶ。
けれどその言葉はもう誰の心にも響かなかった。
絵巻物が放つ真実の光の前では彼の邪な言葉など何の力も持たない。
「……もうよい道満。下がりなさい」
帝の冷たい声に道満はぐっと言葉に詰まった。
彼は悔しさに拳を握りしめながらも、すごすごとその場に座る。
「秋月景久、伊吹の咲耶。そなたたちの申すこと信じよう」
帝の言葉に私と景久様は顔を見合わせた。
「そなたたちのその力、まことこの国を救う希望の光やもしれん。……だが」
帝はそこで言葉を切った。
「その力はあまりに強大すぎる。使い方を誤れば国を滅ぼす刃ともなりかねん」
広間の空気が再び緊張する。
「よってそなたたちには試練を与える。その力が真にこの国を豊かにする祝福であるかどうか。それを見極めるための試練をだ」
「……試練にございますか」
景久様が尋ねる。
「うむ。都の外れに古くから『嘆きの森』と呼ばれる場所がある。そこはかつて豊かな森であったが、ある時を境に木々は枯れ動物たちは姿を消し、今では誰も近づかぬ呪われた森となっている」
嘆きの森……。
「そなたたち二人でその嘆きの森を蘇らせてみせよ。もしそれができたならそなたたちの力を認め、伊吹の咲耶をこの国の正式な守り神として迎えよう。だがもしできなんだ時は……」
帝はそれ以上言わなかった。
けれどその意味は痛いほど分かった。
失敗すれば私たちは都に囚われ二度と故郷の土を踏むことはできないだろう。
あまりに過酷な試練。
けれど私たちに否と言う選択肢はなかった。
「……かしこまりました。帝の御命令、謹んでお受けいたします」
景久様が深々と頭を下げた。
私もそれに倣う。
こうして私たちの運命は決まった。
嘆きの森。
その呪われた森を蘇らせること。
それが私たちに課せられた最後の試練。
そして景久様の呪いを完全に解き放つための最後の戦いの始まりでもあった。
広間を退出する私たちを蘆屋道満が冷たい笑みを浮かべて見送っていた。
その瞳はこう語っているようだった。
『嘆きの森から生きて帰れると思うなよ』と。
私は彼の邪悪な視線を背中に感じながら景久様の手を強く握りしめた。
負けない。
絶対に。
あなたと一緒なら。
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