第四章

第二十七話

 予想外の報告に、夕霧の頭を撫でていた鉄の手がピタリと止まる。その手をやんわり頭上から外し、夕霧は改めて鉄と向き合った。


 先ほどの男は喜三郎と面識があり、今回はさよを狙って押し入っている。「見られたら困る」との供述もあった。喜三郎の死因が阿片中毒だったことに加え、「亡くなった瞬間を目撃されていては困る」状況だったと仮定するなら、辻褄が合う選択肢も限られてくる。


 最も想像しやすい仮定はすなわち、喜三郎に無理やり過剰量の阿片を摂取させて殺害した、というものだ。


「……何か情報を掴んだようだね。先の男が喜三郎を手にかけた、ということかな?」

「そこまでは断言できかねます。ただ、その答えは、恐らくさよ様が握っていらっしゃるのではないかと」

「さよが……?」


 男が直接手を下したのかは定かでないものの、何らかの形で係わっている可能性は高い。そして、その現場を同居人たるさよが目撃していた可能性も。だからこそ、さよの口を封じるために今回の襲撃事件が起きたと考えることもできる。全ては憶測に過ぎないが、否定も肯定も、できるのは彼女だけだ。


「皆、まだ下にいるはずだから、少し話をしてみようか。ただし、さよの心を労るのが最優先だよ」

「承知しております」


 鉄に手を引かれながら、夕霧は部屋を後にする。


【無論、君も無理をしないようにね】


 そんな優しい念押しには、手を握り返すことで応えた。




 一階の座敷、本来は患者を寝かせる際に使用していると思われる部屋へ入ると、そこには数名の邏卒らそつと源蔵、そしてさよがいた。不審な男の姿はない。すでに連行されたのだろう。


 さよは目元をこすりながら肩を震わせており、源蔵がそんな彼女の体を優しくさすっている。まだ気持ちの整理がついていないようだ。


 襖を閉め、さよの元へ歩み寄って名前を呼ぶと、さよは夕霧の顔を見るなり飛び付いてきた。


【怖かった……! 夕霧さん、無事で良かった。あのまま何かされていたら、私……っ】


 自身の恐怖もることながら、夕霧を心配する気持ちも溢れているらしい。優しい子だと心底思う。鉄が夕霧にしてくれたように、夕霧もさよの体を包み込み、頭を撫でた。


「恐ろしい思いをしましたね。もう大丈夫ですよ」


 さよの抱き付く力が強くなる。声にならない声が、彼女の喉でザラザラと音を立てていた。本当は高く愛らしい声をしていることを、夕霧は知っている。いつか、口から発せられるそれを聞いてみたいと思った。


「もし、そちらの御婦人。今回の一件の当事者とお見受け致します。詳しい話をお聞かせ願えますかな?」


 邏卒の一人が話しかけてきた。今回の件の当事者と言えば、この場には夕霧とさよの二人だけである。まだ若く、声も出せないさよに詳細を吐かせるのは困難だろう。夕霧は首を縦に振り、診療所へ来てからのことを語っていった。


 話が進むにつれ、横で聞いている鉄の表情がみるみる険しくなってゆく。最後には額に青筋まで浮かべていたが、口を挟んでくることはなかったので、夕霧も淡々と説明しきった。己の言葉で語っておきながら、真偽を疑うような体験であったと改めて思う。


「……なるほど。概要は把握しました。男との面識や、襲われる心当たりなどはございますかな?」

「私めには、ございません」

「左様ですか。そちらのお嬢さんは?」

「……っ」


 夕霧が説明している間に、さよは少しばかり落ち着きを取り戻したのか、体を離して座り込んでいた。けれども、邏卒に話を振られると、彼女は夕霧の後ろに隠れてしまった。着物の帯をギュッと掴まれている感覚がある。


 どうしたものか考えていた時、頭の中にさよの声が響いてきた。


【あの男は、あの日……兄上を……っ】


(……!)


 夕霧は思わずさよを見詰める。小さな手が頼りなく震えていた。


【突然、兄上が「押し入れに隠れていろ」って……そうしたら、あの男が家に上がり込んできて、兄上と言い争っていて、それで…………兄上の口に、器具を押し込んで……!】


 思い出していると言うよりは、意思に反して心的外傷が蘇ってしまっているのだろう。震えが大きく、呼吸が浅くなってゆく。夕霧は再び彼女の体を包み込んだ。


「どうかなさいましたか?」

「い、いえ……この子は、その……」


 たとえ今、筆と紙を渡したところで文字を綴ることなど、きっとできない。かく言う、口に出していない彼女の意思を夕霧が代弁するのもおかしな話である。どう答えるべきなのか思案する夕霧。


 すると、夕霧が答えを出すより先に、鉄が一歩前へ出た。


「あまりの出来事に、未だ混乱している様子だ。落ち着くまで時間をやってはくれないだろうか。申し訳ない」


 武士然とした彼が深く頭を下げると、邏卒はそれ以上の追及をやめた。代わりに、別の話を持ちかけてくる。


「とんでもございません。それでは、今後の話を致しましょう。防犯的な観点で見ても、この建物は安全とは言えませぬ。ほとぼりが冷めるまで、皆様を我々の元で保護することもできますが、如何でしょうか?」

「そうしてくれたほうが、僕は安心できる。……先生、如何ですか?」

「……はあ。職場を離れるとなると、懐事情が何とも……」

「何を仰いますやら。医療知識の豊富な御方であれば、我々の元でもすぐにご活躍いただけますよ」

「僕も可能な限りの支援をさせていただきます。さよも、先生と一緒なら大丈夫そうかな?」

「…………」


 さよが小さく、小さく頷く。新しい環境へ飛び込むにも勇気が要るが、ここで生活を続けるよりかは幾分落ち着けるはずだ。


 源蔵とさよの意思を確認した邏卒が、最後に夕霧へ視線を向けた。


「承知しました。御婦人は、どうなさいますかな?」

「え……」


 返答に詰まった。自分も被害者であり、保護対象に含まれるのだという事実が、何故だかすっかり抜け落ちていたのだ。今後のことを考えた場合、果たしてどう動くのが最善なのだろう。

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