第二十話
「喜三郎様の件について、お伺いしたいことがございます」
翌朝。自室で朝食を摂っていた鉄に、夕霧はそう切り出した。昨日聞きそびれてしまった、彼の持つ情報を共有してもらうためである。口に入れた麦飯をしっかり
「ようやく、か。調査に乗り出すと息巻いておきながら、何故目の前の僕には何も尋ねてくれないのかと、やきもきしていたところだ。僕だって君の役に立ちたくて堪らないというのに」
「……私めが貴方様のお役に立つ、という契約であったと記憶しておりますが」
「契約上はそうなのだけれどね。僕個人の気持ちとは別の話だろう? 遠慮などせず、いつでも頼ってくれて構わないよ」
「はあ……」
相も変わらず、彼の言うことは理解できない。夕霧としてはすでに至れり尽くせりの環境を用意してもらっているつもりだが、この上でまだ何かを与えたいと
話が逸れてしまわないよう、夕霧は咳払いを一つ挟んで聴取を開始した。
「それでは、早速。昨日、私めは二名の方々にお話を伺いました。その結果、喜三郎様はこちらのお屋敷に通いでお勤めになっており、阿片煙膏が発見されたのもご自宅であったのだと認識致しましたが、こちらは事実と相違ないでしょうか?」
「ああ、正しいよ。……君の情報収集能力が信頼できるものであることは分かったが、そもそも僕が最初に説明しておくべきだったね。手間をかけさせて申し訳ない」
「お気になさらず。喜三郎様は外のご自宅にお一人で住まわれていたのでございますか?」
「いや。彼には妹がいて、二人で暮らしていたよ。早くに両親を亡くし、病弱な妹を医者へ通わせるため、一所懸命に働いてくれていたんだ。妹も屋敷で面倒を看ようかと幾度も話したが、最後まで『それには及ばない』の一点張りだったなあ」
「左様にございましたか。その妹
「僕の伝手で医者の所へ預けている。時折、僕も顔を見に行くのだけれど、今は深く気を落としてしまっている様子だね」
「……痛ましいお話にございますね」
鉄が静かに箸を置く。膳にはまだ食事が残っていたが、喉を通る心境ではなくなってしまったのかもしれない。申し訳ないと思いつつ、他に確認しておきたかったことを口にした。
「もう一点のみ、ご質問を重ねる無礼をお許しいただきたく存じます」
「構わないよ。何かな?」
「遊女屋にて本件のお話を伺った際、鉄様は喜三郎様が阿片を常用していた可能性があると仰いましたが、何故そう思われたのでございますか?」
書物によれば、慢性中毒の場合は特徴的な異常行動が表れることも多いらしい。鉄が管理する蔵書室に収められていた書物なのだから、彼も内容は把握しているはずだ。生前に何かそれらしい兆候でも見かけていたのだろうか。
「……あくまでも可能性の話だよ。そうでない可能性も十分にある。その前提の上での話になるけれども、喜三郎の遺体が発見された日、僕も報せを聞いてすぐに彼の家へ向かったんだ。すでに数名の
「左様で……」
西洋では遺体を検死して正確な死因を特定する技術が広まっていると聞くが、日本ではその制度や技術が確立されていないため、状況証拠から推測するしかない。そして阿片による中毒死事件が相次ぐ昨今、その現場を目の当たりにすることも多いだろう邏卒はそう考えた。これから聞く予定の奉公人たちの話と併せて、夕霧も自分なりの推測を組み立ててみようと心に決める。
畳に手を付き、伸ばしていた背筋を折り曲げて辞儀の姿勢を取った。
「……ご質問は以上にございます。多大な感謝を申し上げると共に、ご不快な思いをさせてしまったことを深くお詫び申し上げます」
「僕が構わないと言ったのだから、気にすることはないよ。……ただ、申し訳ないが、
「畏まりました」
夕霧が近付くと、入れ違うように鉄が立ち上がり、文机の前で腰を落とした。普段通り書類仕事を始める姿勢にも見えるが、肝心の手は足の上に乗せられたまま動かない。
その様子を見て、夕霧はようやく気付く。心根の優しい彼が、身近な人間の訃報を受けて気に病まないはずなどないのだと。しかも、その死因がよりにもよって薬物中毒なのだ。自身の管理不行き届きを悔いる気持ちすら抱いていそうである。
何か声をかけたかったけれど、夕霧の口は動いてくれなかった。こんな時、どのような言葉を渡すのが適切なのか分からない。これまで他人と深く関わることを避けていた報いを受けているような気分になる。逡巡の末、夕霧は恐る恐る鉄の元へと歩み寄り、着流しの
「! ……夕霧さん?」
「鉄様、その……ええと……」
自ら行動を起こしたくせにまごつく夕霧を見て、鉄が少しだけ目元を和らげた。
「……一緒にいてくれるのかい?」
夕霧はこくりと頷く。何ができるわけでもないが、せめて何かしたいと思っていることだけは伝わってほしい。そんな、勝手なことを願った。
「……そうか。ありがとう。君は、温かいなあ」
衣服に触れているだけなので、鉄の心は読めないし、鉄にも夕霧の手の温度など計れないだろうと思う。それでも、鉄はもう一度、「温かいなあ」と呟いた。僅かに声が震えていたような気がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます