第26話 代償

 伏せていたおもてを上げれば、着物をアレンジしたような真紅のドレスを身に纏い、緩く結い上げた髪には蝶をかたどったかんざしを挿しているレイラの姿が視界に映る。


「――シュウ。今回の件、あなたはどう見る?」


 今回の件とは、本来棲息していないはずの場所にヒュドラが多数出現し、危うくサラが命を落とすところだった事態を指しているに違いない。

 シュウを見下ろすレイラを負けじと見つめ返し、自分の考えを口に出す。


「……おそらく、ヴィクトリア・エーヴァが本格的に動き出したんだろ。そもそも、月影一族を殺して回ったのも、シャノンを戦闘不能の状態に追い込んだのも……俺たちがサラを戦いの場に引きずり出さざるを得ない状況に仕立て上げたかったからだ」


 シャノンの身に降りかかったことを口にするなり、シュウの右隣で片膝をついているレオが奥歯を食いしばる音が聞こえた気がした。


「何のために?」


「おそらく……サラを殺害するために」


 眉根を寄せたレイラにそう答えた直後、シュウもまた、怒りから歯軋はぎしりをする。


「アンナの供述きょうじゅつによると、初代殺め姫のクローンを産むことになったのは、ヴィクトリアの接触を受けて、クローンを産む代理母にならなければ殺すと、脅されたからみたいだけれど?」


「……あの女は、殺すために命を生み出すことに何の抵抗もない女だ」


 オリジナルのシュウの記憶にも、何度かヴィクトリアに肉薄した時にも、そうやって使い捨てられていく命を、嫌になるほど目の当たりにしてきた。

 だから、かつて自分の手で殺めた女性の命を再び奪うためだけに、わざわざクローン体を創り出すことも厭わないはずだ。


「そうね……歴代の庇護姫が残した記録を見た限りでも、ヴィクトリアに常識が通用しないことはわかるわ。それで、あの女が自分から大きな動きを見せた時には大抵、規模の大きい戦いが繰り広げられたらしいけれど……あの女を何度も殺してきたあなたの見解を聞かせてくれるかしら、シュウ?」


「間違いなく、今回も戦争に匹敵する戦いになるだろうな。それから……あの女は、俺やサラの前にいつか必ず現れるはずだ」


 シュウがそう断言してみせると、その場に緊張が走った。

 レイラは溜息を落とし、頭痛を覚えたかのように左手でこめかみを揉む。


「……ヴィクトリアは自らの記憶と人格を引き継いだクローンも作り上げて、この五百年間、ずっと生き続けてきたわけだけれど……何度も自分を殺してきた男の前に性懲しょうこりもなく現れるつもりなんて、どういう神経をしてるのかしら?」


「それは本人に直接聞いてくれ」


 シュウだって、ヴィクトリアが考えていることなんて、露ほどにも理解できない。


 亡き最愛の夫に見た目がそっくりだったからという理由だけで、オリジナルのシュウを他のイヴとは隔離するだけでは飽き足らずに監禁し、脳や身体を弄繰いじくり回してそう簡単には死ねないように仕立て上げ、自分を愛させようとした女の思考など、理解したくもない。


 かつて、甘ったるい声でシュウを亡き夫の名で呼び、尊厳を蹂躙じゅうりんした女の姿が脳裏を掠め、ぞっと背筋に悪寒めいた震えが走る。


「まぁ、いいわ。それで、今後の方針だけれど――」


 レイラの藤色の双眸が、シュウをひたと見据える。


「シュウ――あなたは、サラを失うという最悪の事態を回避してくれた。その点に関しては、これ以上ないくらい感謝してるわ。でも、サラの命をこの世に無理矢理繋ぎ止めた代償は、あまりにも大きいわ」


 それはそうだろう。今のサラの生は、ほとんどシュウに依存している。

 シュウが死ねば、サラの仮初めの心臓も動かなくなる上、二人ともどんなに長くてもあと三十年ほどしか生きられない身体になってしまったのだから。


 昔、殺め姫と蘇生させられた騎士がそうだったと記録に残されているから、十中八九シュウたちも似たような運命を辿るに違いない。


「だから、その責任を取るためにも、シュウ――サラとの婚姻を、庇護姫の名の下に命じます」


「――拝命した」


 シュウが再度頭を垂れると、上品で妖艶な声が言葉を続けた。


「まったく……本当に、あなたにとって都合よく物事が進んでいくわね」


 サラの縁談は、本人のあずかり知らないところで進められそうになっていたものの、早い段階で難航していた。

 月影家への婿入りを自ら望む男は、ことごとく無知な殺め姫を狡猾こうかつに利用し、家の利益のために搾取しようと企む輩ばかりだったからだ。


 そして、庇護姫の名の下にレイラがサラとの結婚を打診された男は、レオを始め、歴代のどの殺め姫よりも手厚くサポートしなければならない相手に婿入りという、あまりにも条件が悪い縁談に早々に断りを入れた。


 レオの場合は、シャノンという許嫁がいるのに、別の女性を宛がおうとするレイラへの反発もあったのだろう。


 シュウは風見家の当主を継がなければならない立場である上、そもそも家庭を築くことを許されておらず、立候補することさえ叶わなかった。

 だから、歯噛みする思いでサラの婚姻事情を聞かされていたのだが、ここに来て花婿として抜擢ばってきされる事態になるとは思ってもみなかった。


「ただし、戦況を鑑みるに、今が正念場だから、子供を作ることはまだ許可できないわ。もちろん、月影一族の血を絶やすわけにはいかないから、いずれは子供のことを考えなければいけないけれど……今、サラを戦力に外すわけにはいかない」


 生々しい話だが、これは誰かが明言しなければならないことだ。それから、庇護姫は代々、ラカージュの番人としてこういった役回りを引き受けなければならない。

 庇護姫も、つくづく貧乏くじを引いていると思う。


「だから、シュウ。もし二、三年経っても、戦況が変わらないようだったら、その時はサラとの子を可能な限り、産み育てる努力をなさい。もっとも……オリジナルのあなたたちは子宝に恵まれたそうだから、あまりその辺の心配はしてないのだけれど」


 レイラの言う通り、オリジナルのシュウとサラの間には、五人の子供が生まれた。

 あの蘇生法を試みたかつての殺め姫と騎士も、そしてシュウも高熱を発しても生殖能力は失われなかったから、おそらくサラも問題ないはずだ。


 だが、体質の問題はなくても、サラの気持ちの面はどうなのだろう。

 サラは今までずっと、地上でのびのびと生きてきたのだ。

 結婚はもちろんのこと、子供のことなんてまだ考えもしていなかったのではないか。


 シュウがそんなことを考えている間にも、話は進んでいく。


「そういうわけだから、シュウは月影家に婿入りしなさい。風見家の当主はレオ、あなたが当主代行を務めなさい。いいわね?」


「……拝命した」


 続けて下された命に、レオは素直に従う姿勢を見せた。

 ちらりと横目に見遣れば、頭を下げたレオの表情は安堵にほんの少しだけ緩んでいるように見えた。


 レオが風見家の当主代行になるのであれば、きっと殺め姫の座を退いたシャノンを花嫁として迎え入れられるに違いない。


 結果的に、シュウにとってもレオにとっても、望ましい婚姻を結ぶことができそうな状況が出来上がったものだから、うっかり奇跡というものを信じそうになってしまう。


「それで、レオ。あなたは、サラを新たな殺め姫として認めるのかしら?」


 どこかからかうような口調でレイラに問われたレオは、もう一度ゆっくりと面を上げた。


「……命がけで弟を救ってもらったんだ。これで認めないと言い張るほど、恩知らずじゃねぇよ。これまでの非礼を詫び、これからはその恩に報いるためにも誠心誠意仕えていく所存だ」


「相変わらず潔くて、義理堅いわね」


 レオの返事に耳を傾けながら、血の繋がりがなくても、この人にとってシュウは正真正銘、弟なのだと、改めて思い知らされた。

 正直、こういう時はどういう感情を抱くべきなのか、シュウにはよくわからない。


「わたくしからは以上よ……ケント、ごめんなさいね。情報を共有するためだけに、わざわざ呼び出してしまって」


「いえ。庇護姫の命とあれば、いつでもどこでも駆けつけますよ」


 それからレオとは対照的に、ケントがどういう人なのか、シュウは未だに掴めていない。

 レオとは違い、家族として過ごした時間が少ないからなのか、何を考えているのかよくわからない、捉えどころのない兄だ。


 そろそろ解散という空気が流れ始めたため、三人の騎士が顔を上げて立ち上がったところ、レイラにしては珍しく、口に出すか否か悩む素振りを見せた。


「レイラ?」


 ケントが怪訝そうにそう遠くない未来に妻となる女性の名を呼ぶと、レイラは意を決したように口を開いた。


「……わたくしは、自分たちのことを人間だと信じて疑わない地上のイヴよりも、あなたたちの方が大事よ。できることなら、わたくしたちの代で全ての因縁を断ち切りたいけれど……地上のイヴ次第では、地上がどうなろうともラカージュの住人――あなたたちを、わたくしは優先して守るわ」


 そう――この地球上に今、人類は既に存在していない。

 第三次世界大戦の際、地下シェルターの奪い合いでほとんど絶滅し、辛うじて生き残った人類はヴィクトリアに捕獲され、人体実験に耐えられずに命を落としたか、ヒト型のアヤカシに作り替えられたからだ。


 それなのに、地上のイヴが自分たちは人間だと思い込んでいるのは、ヴィクトリアにそう洗脳された上で野放しにされたからだ。

 その上、イヴは命の危機に晒されなければ、本来の力が覚醒せず、ごく一般的な人間とさほど変わらない。


 そのため、自分がイヴであると正体を知っているのは、軍人くらいのものだ。

 軍の上層部が真実を秘匿しているのは、昔、真相を世界的に公開したところ、各地で暴動が起き、それに乗じたヴィクトリアが地上のイヴを間引こうとした結果、一度は絶滅したためだ。


 その際、後天的に重力を操る能力を得ていた当時の庇護姫が、まだ地上にあったラカージュを空へと逃がし、空中浮遊都市にしたのだ。

 ――庇護姫自身の自由を代償にして。


 それ以降の庇護姫もその能力を所有していたため、今日に至るまでラカージュは空に君臨し続けてきた。


 そして、再びあの時と同じようなことが起きるようであれば――当時の庇護姫同様、レイラもまたラカージュの住人を守るため、地上のイヴを見捨てることを辞さないと、たった今、宣言したのだ。


 あの時、地上に残って混乱の坩堝るつぼに叩き込まれたイヴを戦火から守ろうとした末、自分たちの正体がアヤカシだと認めたくなかった自称人間に化け物とののしられ、大勢の手によって殺害されたシュウも、今度は救いの手を差し伸べようとは思わない。


 しかし――これまで人間として生きてきたサラは、果たして地上のイヴを見捨てられるだろうか。

 あの時のシュウと同じように助けるべきだと判断し、似たような結末を辿ってしまうのではないか。


(まぁ……そうなる前に、俺が無理矢理にでも戦線離脱させるが)


 たとえサラに恨まれることになったとしても、そこだけはどうしても譲れない。


「その言葉……覚えておく」


 シュウはそれだけ告げると、誰よりも早く玉座の間を後にした。

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