第4話

 車が走り去っていく。追いかけようとも思ったが、無理だ。

 脚を失った。痛みが蔓延するようだ。

 倅を失った。痛みが神経に張り付く。

 妻を失った。痛みが脳を刺激する。

 部下を失った。絶望に打ちひしがれる。

「大丈夫かい?」

 あぁ……ヤツが来た。薄気味悪い笑みを貼り付けたような女。中性的で、性を明かさなかったが、そう判断する。今も、俺の巣が燃え、趣味の悪い車が次々に消えていくのに対し、ヤツは不変を貫いた。いつも何を考えているか分からない。はっきりと分かるのは、心の奥底、不死から来る諦観と達観。そして爆笑だ。

「何か、守れたのかね? 爽坊は何処へ行ったのかな? 咲さんは何処に行ったのかな? そこに転がっている男は誰かな? 転がっている君は誰かな? 何も守れなかったのは誰かな?」

 不死の女性に、憎しみよりも、憧れや嫉妬を抱いた。

 咲がシジマなら──考えたくも無いが──俺の前からは消えなかっただろうに。

 何が悔しいって。


 その笑顔が、咲と重なるって事だろうが。


 連絡隊が鼻水を垂らして報告してきたのは、つい一時間前だった。

 薬部組の抗争の後処理の援助。死体や負傷者の始末には手を焼いて、夜明けから行き、昼飯前には戻ると云ったのにもかかわらず、全く予想を外れて夜まで経過していた。

 死にたてほやほやの人間を見ると吐き気がほんの少し沸き立つが、それでも食欲は無くならないようで、半日何も運ばれなかった胃もぐぅの音を出した。

 手短に握り飯を食べている途中に、重傷を負った鮫組の組員が、車を運転してやってきた。作業現場の壁に見事に突っ込んで、車からは黒煙が立ち上っている。中から這い出てきた組員は護衛を任せた者のうちの一人で、頭から血を被ったような大怪我をしていた。

「組長……!」

「鮫組だな? 大鰭亜門だ、何が起きた?」

「山田のところだ……本部のカムフラージュを破ってきて、組長のご自宅に直接殴り込んで……。火ぃまで着けやがった……咲さん、シジマさんはまだあン中だ! 組長……今すぐに……」

 そこで彼は力尽きた。がくりを意識を失うと、薬部組の数人が、車から引っ張り出して、治療を開始せんとしていた。

(咲──!)

 最初に出てきたのは妻の名前、そして子守を任せていた理事長のシジマ、愛する息子の爽太の名前だった。後者の女はかなり前に出会い、不死であることは理解していたが、前者の最愛を表現するものは不滅ではない。いつかは分たれる存在であるとどこか哀愁を感じていたが、こんなにも、妻の危険が早くに迫るなどとは思いもしなかった。

「あの……組長」

「レイはここに残れ、現場指揮を十分に済ませたのちに、夜背に連絡を入れて向かえ。

 阿片と俺は先に行く」

「……了解です」

 恩人の身内の危険に関与できないオーバーレイの顔は、山田華之助の恐ろしさを目の当たりにしていたからか、そこにいた誰よりも絶望に満ちていた。

「安心しろ、これでも組長だ。やれるだけのことはやって、咲と爽太を救う。シジマは……どうとでもなるだろうが」

 と、急ぎで車を借り、助手席に阿片を乗せたのち、東京の方へと向かった。


「酷い有様だな」

 シジマが、火に囲まれた食卓を見て、食器から家電、何から何まで荒らして回る、鬼のような男に余裕しゃくしゃくで語りかけた。

「情報屋、一人取られたことがそんなに悔しくてたまらないか」

「ああ悔しいとも、お前ら如きに何だかんだベテランの『限界鳥』を引き抜かれるなど。屈辱で腹でも裂いてしまいたくなったよ」

「でも、そうはしなかった」

「するべきことがあったからな」

 ……。

 二人の間に、ちょっとした沈黙と、苦笑が漏れる。

「もう好き勝手やっただろう。あの子の大切なものなんざ、消えて無くなった。さっさと帰ってこの問題の鎮火に勤しむか、腹を切っていまえばいいだろうに」

「……お前のことはますます分からん、漣寒会……シジマともあろう者が、なぜこんなところに身を置く。気でも触れたのか、何か企んでいるのか」

「半分正解。半分不正解だよ。今は正真正銘鮫組だし、気が触れたのは否定できない。でも……ここにいると、少しだけ安らぎを得ることができる。太陽のような明るさに燃されてしまいそうだよ」

「その安らぎと、娯楽の対象であるここが今まさに崩れようとしている。止めないのか?」

「止めるほどの腕力と実力があれば、とっくにやっている」

「厭世的だな。それとも、もうこの組のことなど、お前からすればどうでも良かったんじゃないか? “これ“も」

 そういうと、華之助は、シジマに向けて、手に持ったそれを前面に押し出してやった。すると「うぅ」と、“それ“はうめき声を上げた。

「……ノーコメント」

 再生しない足から出血が止まらない。意識が朦朧とする中で、シジマはすっかり会話をする気が無くなった。

 ……遠くから、車の音が聞こえる。こんな時間にここらへんのマフィアは動かないハズだったが……あぁ、なるほど大鰭か。

 シジマが勝手に一人で納得していると、パァンと、彼の頭を弾丸がブチ抜いた。……いや、その頭部はもはや『粉砕』の状態に近かった。

「はは……」

「来やがったな、鳥誑しが」

 鎖の薙ぎが、辺りに肉片を形造りながら、裏社会中に響いたであろう。


「随分おっそい帰還じゃねぇか、ひよっ子。──さて」

「咲はどこだァ!」

 右に愛刀(?)、左に銃を携えた大鰭亜門の顔には、穏やかさなど微塵も残されていないで、これまた鬼のような形相をしていた。

「まァ待て待て。そんなに怖い目で見られたら、居場所教えるにもちびってできねぇ。まずは着替えが必要になる」

 華之助がわざとらしく、腕時計を確認すると、それが巻きつけられたゴツゴツの手には、血塗られた女性が握られていた。

「貴様……」大鰭のこめかみには怒りが蓄積されていた。後ろで残党を殺していた阿片が背中を見ていても、どんな顔をしているのかは想像に難くなかった。

「落ち着け鬼面。俺は限界鳥を取られたことに対してキレているんであって、お前ら家族を狙ってるわけじゃあない。これがお前にとって、一番効果的だからこの行動に取って出ただけだ。中にいた不死身野郎はしばらく動けないかもしれんが……この女はもう永遠に目覚めないかもしれんぞ?」

「ならば、早くこちらにそいつらを渡せ。爽太もだ」

「そういうわけにもいかない。なんでこいつら痛めつけたんだ、ンなら」

 取引のコマに決まってるだろうが──華之助は鼻につくような、ふざけた口調でそう云った。と同時、最後の一人を殺害しようとしていた阿片に向けて、華之助は手にあった、明らかに人間が扱えるとは思えない黄金の銃で阿片の腕の付け根を躊躇いなく撃った。

「うがァあぁ!」

 雄叫びを上げる阿片の声は悲痛そのもので、飛んでいった左腕からは、わずかな火薬の匂いが立ち上っていた。

 要するに、たった一発で、三十代男性の腕が身体と完全に分断されたのだ。

「うるさいぞ植物男。枯れ木の分際で、喚くな」

 と、吐き捨てると、生き残った部下が、阿片の心臓部をナイフで刺すと、そのまま車に乗って立ち去って行った。

「やれやれ──そう、俺はこいつらを人質に、鮫古大鰭亜門に一つの要求をしたい」

「……なんだ」

「健康な人間を一人、性別と美醜と運動神経、労働力は問わない。組の中から一人だけ抜き出し、ここに呼び出し、献上しろ」

 ……たったそれだけ。裏社会では命の価値は一万円札よりも軽く扱われる。だが、健康な内臓や労働力は、生半可な金額では買えないものであり、奴隷を一人買うだけでも組織の損になりかねないほどに高値で取引される。

「亜人でも良い、俺も鬼畜じゃない」

 しかし、この大鰭亜門という男は、組員を犠牲にすることに大きな抵抗があった。

(……組員たちは)

(組員たちは身を粉にし、この俺を信じてくれている。この人にならついていく。あんたなら信頼できると! 彼らには相応の覚悟があることくらい、俺にも分かる。しかし……決断できない)

 信頼してくれる故。

 覚悟を表明してくれている故。

 一人を取引のコマとして扱って、彼らは以降、完全に心地よい眠りに浸れるだろうか。

 組員を使ってまで助かった咲は、この俺をどう思うだろうか……。

「何もないなら、この女か、倅をもらって行くぞ。健康なら別になんでも良いしな」

 ああ……クソ、分からない! 組員、咲、爽太。組員、咲、爽太……!

 ……爽太か、やはり。

 そんなゲスな考えを、大鰭は半ば決断していて、それを口に出そうとしていた。しかし、できない。咲の頭から血が一滴、二滴と火に垂れる度、この夜が終わった後のことを想像してしまうのだ。咲には、どれほど罵られるだろう。俺は、それからの毎日に睡眠を含められるだろうか。

 

 ──遠くからサイレンが聞こえる。これは……東京の方から、つまり裏取(裏社会取締局)の連中がやってくるのだ。

「組長!」

「おう、どうした!」

 援軍だろうか。燃え盛る鮫古宅から、組員が数名、華之助に敬礼をした。

「シジマの死亡から二〇秒経過、再生し、意識を取り戻りましたので急いで刺殺しました!」

「鮫古爽太の行方は分からず! 更に一キロ先に、裏取の存在を確認、撤退命令を要請します!」

「裏取だと? そろそろここを出ないとまずそうだ。奴らは意外と面倒くさい…………ガキは放置、コイツを連れて帰る。油を撒いて、せいぜいこんなところ灰にでもしちまえ!」

「はッ」

 華之助は鮫古宅から立ち退き、汗水とを涙を垂らした大鰭をよそに、車に乗り込もうとした。

 決断できないままサイレンから逃げようとするのを阻止するために、銃で先制を仕掛けてから愛刀をしならせて華之助だけ斬る! 今は取引の内容や真意には全くに興味を示すことが無くなり、ただ最愛の人間を守ることだけに執着していた。燃える家に息子がいるにも関わらず!

「逃すかゲス野郎……」

「止められるかバカ野郎」

 その瞬間、大鰭の身体には無数の傷が現れた。彼の後ろには華之助がおり、両手にはナイフが握られていた。

 大鰭亜門の出血が始まるのは刹那、その〇・四秒後だった。

「あ」

「ああ」

「あああ」

「あああああああああああああああああああああああ」

「ああああああああああ!」

 そして、大鰭亜門、いや、鮫古●●は叫んだ。彼が斬った先は、もちろん華之助では無かった。しかし、虚空でも無かった。彼が斬った先は……。

「──咲」

 無理やりに車に立てかけられた、気絶していた鮫古咲の肩には、深く鎖に繋がれた短刀がのめり込んでいた。そして響き渡る絶叫。それは愛妻を斬ってしまった哀れな男の悲痛な叫びなのか、痛みに耐えかねたその愛妻の叫びなのかは分からない。華之助の移動した先で首を絞められていた薬部阿片は、それを確かに聞いたのだった。



 本庁、裏社会取締局の記録には、以下の事象が書かれている。

 某日、東京と裏社会の境に住む一般住民(二四)が、裏社会の方で火事が起きていると午前〇時過ぎに通報をした。

 取締局はその二〇分後、消防班を重点的に招集した布陣で、現場に向かった。

 火元となった鮫古大鰭亜門(鮫組初代組長)宅は全焼。近隣に火は移らなかった。

 この火事による怪我人は記録時現在においても発見されていないが、その玄関前には多数の打撲遺体と、切り傷、欠損で搬送された重症患者一名が、出動班全員が確認。この火事とはまた別の、殺人事件として処理する。


 この殺人事件による死亡者は全員『山田組』組織員であり、発見場所が本部と大きくかけ離れていることから、前述の火事にも関係があると見て捜査は継続している。

 怪我人が二名で火事に見舞われた家の主人の鮫古大鰭亜門。またその友人で、薬部組組長の薬部阿片。鮫古は多数の切り傷と出血多量による失神。都心の病院に特殊交通路を駆使して搬送。応急措置を終了する頃には意識を取り戻していた。薬部は当初、扼殺死体と判定されたが、消火活動をしている途中で意識を取り戻し、状況を語った。

(薬部の語った内容について、詳しくは「重要書類」ファイルを確認してください)

 行方不明者は鮫古大鰭亜門の妻と子、鮫古咲と爽太。咲の方は山田組に誘拐されたと見て捜査を継続する。爽太は足取りが掴めず、断念。目撃情報もある程度存在しているが、信ぴょう性に欠ける。


 以上。



 和田塵芥と名乗る女から送られてきた文書に目を通すと、吐き気を催した。マウスとカチカチと鳴らし、ぼおっと行方不明者という単語を眺めていると、心拍数が上がり、息が上がった。

「組長! 大丈夫ですか?」

 台所から、咳き込む俺を心配する声がする。

「う、うん。大丈夫だ。最近はいつもこうでな。薬は飲んでいる。何も云うな」

「そう、ですか……」

 今日は嫌なものを見て、思い出してしまった。

 あの手に伝う、柔らかい肉の感触は今日も俺を……。


 今日は眠ることにした。

 午後二時、カンカン照りの夏のことである。

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M ふかひれソーダ @fukahiresoda

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