第23話 白い羊カイン

 黒犬アベルは母さんになついたようでぴたりと横を歩いている。それもそうだろう。

 僕たちが警戒するなか、母さんだけがアベルの苦しみを理解して手を差し伸べた。

 とりあえずアベルが母さんに危害を加えることは無さそうだ。


 僕たちら先を進むことにした。すでに第三十七階層にいる。後少しで次のエリアマスターがいるところに到達できる。

「この先毒蜂ポイズンビーの群れがいる」

 鼻を低低させながらアベルが母さんに注意をうながす。

「また虫か。やり過ごそうよ」

 また母さんが顔を青くしている。

 アベルの言葉を信じるか信じないか迷っていたら瑠璃が手を引く。

 僕たちは曲がり角に身を隠す。

 アベルの言ったとおり、毒蜂ポイズンビーの群れが通り過ぎている。

「ありがとうなアベル君」

 母さんがアベルに抱きつき、頭を撫でる。

 黒犬アベルはうれしそうだ。

 この後もアベルの察知能力のお陰で第三十七階層を踏破し、僕たちは第三十八階層に登る。


「こちらです。兄のカインの匂いがします」

 アベルがくんくんと石の床を嗅ぐ。

「わかったわ、そこまで一緒にいくわ」

 母さんは乗り気だ。

 ここは乗りかかった船だ。僕たちもついていこう。願わくば泥舟でないように。


 アベルの危機察知能力のお陰で僕たちは無駄な戦闘をすることなく塔内を進む。

 やがてある扉の前でアベルは止まる。鼻を扉につけて匂いを嗅いでいる。

 どうやらこの扉の向こうにアベルの兄カインがいるようだ。


 僕は慎重に木の扉を開ける。

 何が待ち受けているかわからない。

 扉の向こうは広い部屋であった。ざっとした目測だがテニスコートぐらいはありそうだ。

 その石造りの部屋の中央に一匹の白い羊がいた。

 そうただの羊だ。

 今まで奇怪で不気味なモンスターばかり相手していたからその普通さに驚く。

 そのまるまると太った純白の羊はこちらに近づいてくる。

 うんっ何かおかしいぞ。

 遠近感がバグっているのか。

 近づいてくる羊が大きい気がする。

「あの羊大きすぎじゃないかしら」

 玲奈が羊を指さす。

「いや、でかすぎるって」

 瑠璃が僕に抱きつく。ふむっよく肉のつまった胸は良い弾力だな。

 おっとHなことを考えている場合ではない。

 あの羊は第十階層のエリアマスターケルノスを上回っている。

 あの羊はこちらに一歩近づいくにつれ大きく太ってきている。

「もう嫌だ。もうたべたくない……」

 羊はくぐもった声でそう言った。


「カインは私を殺した罪で永遠にものを食べさせられているのです」

 淡々とした口調でアベルは言う。

 その間にも羊は大きくなり、像ほどの大きさになる。頭が天井につきそうだ。

「聖母様、ほんのわずかな時間でしたがあなたといれてたのしかったです」

 アベルがこくりと母さんに頭を下げる。

「あんた何するの」

 母さんはアベルの顔を両手で包む。

 アベルはうっとりとした顔をしている。


「お兄ちゃん、これはまずいわ」

 ぐいぐいと瑠璃が僕の腕を引く。

「広瀬川さん、これでは先に進めませんわ」

 玲奈がごくりと生唾を飲む。

 僕たちの目の前にまで達した白い羊は口をくちゃくちゃさせている。

 何かを食べているようだ。

 その大きさは頭は天井に達して肩は壁、足と腹は床を覆っている。

 白い羊は壁となって僕たちの進行を防いでいる。


 くうんっとアベルは一鳴きし、母さんの頰を舐める。その後彼は駆け出した。

 白い羊の腹に噛みつくと、引きちぎり食べだしたのだ。猛烈な勢いで羊を食べていく。

 羊が肥大化するよりも早く、アベルlは羊を食べる。どうにか人一人が通れる隙間ができる。

 アベルは通過できるスペースをつくってくれたのだ。


 今しかない。

「行くよ」

 僕は短く皆に言い、駆け出す。

 アベルが作りあげた隙間を通り抜ける。

「ありがとうアベル」

 通り抜ける瞬間、僕はアベルに言う。

 アベルは答えることなく肥大化する羊の肉を咀嚼している。

 僕のあとに瑠璃が続く。

「いやや、アベルちゃんを置いて行かれへん」

 先に進むのを拒否する母さんを玲奈は抱え、隙間を通り抜ける。そのすぐ後にアリエルが続く。

 眼の前に上に登る階段が見える。

 僕たちは振り向くことなく階段を駆け上る。

 

 第三十九階層に到着した。

 階段の下の方は白い羊の毛で埋もれている。

「アベルちゃんを助けにいかな」

 母さんは階段を降りようとする。

 それを玲奈と瑠璃が止める。


「母さん、それは駄目だ。アベルとカインの間には僕たちの知らない因縁のようなものがあったんだよ。アベルはそれに決着をつけたんだ。僕たちが戻っても何も出来ない」

 ここは先に行くように言ったアベルの意志を尊重しよう。

 母さんはぼろぼろと泣いていた。


「あの白い羊カインは満腹で苦しんでいた。アベルは空腹で苦しんでいた。それぞれ責め苦を受けている。どうしてか知っているか?」

 ずれてもいない眼鏡をなおしながら、玲奈はアリエルに尋ねる。

 アリエルなら何かを知っているかも知れない。

「カインは虚偽の報告で女神を裏切りアベルを殺害しました。女神と勇者を裏切り幻魔王についたのです。勇者に味方したアベルに嫉妬したとも言われています。あくまで聞いた話なのでその真相は分かりかねますが」

 アリエルはすまなそうに目をふせる。

 どうやらそれ以上のことは知らないようだ。

 アベルとカインの関係はよくわからないが、下に戻れないのは間違いない。

 上に行き、エリアマスターを撃破して転移魔法陣で戻るしか帰還方法は無いということだ。


「ボクたちって上に行ってボスを倒すしか帰られないのよね」

 瑠璃が僕にそう訊く。

 僕はああっそうだと答える。

「それなら上に行きましょう。どのみちエリアマスターは倒さないと行けないのですからね」

 玲奈が賛同する。

 泣き崩れている母さんを玲奈は無理矢理立たせる。母さんは玲奈に抱きかかえられながら立ち上がる。

 そう、僕たちは先に進むしかないのだ。

 僕たちは第四十階層への階段を登るのであった。

 

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