Section_1_4c「もっと積極的になってみたら?」

## 5


昼休みが終わって、木下くんが部活に向かった後、図書室は静かになった。


午後の授業までまだ少し時間があるので、返却本の整理をしながら考え事をする。


木下くんの言葉が頭から離れない。


「もっと積極的になってみたら?」


積極的。


私には一番苦手なことだ。


でも、航が本当に私のことを「特別」だと思ってくれているとしたら——


少しくらい、頑張ってみてもいいのかもしれない。


「あの……」


声をかけられて振り返ると、彩乃が立っていた。


「彩乃! どうしたの?」


「ちょっと時間あるから、様子見に来た」


彩乃がカウンターに肘をつく。


「様子って?」


「昨日のこと、もう学校中の噂になってるじゃん」


学校中の噂。


やっぱりそうなのか。


「何か変なことになってない?」


「変なことって?」


「ほら、憶測で色々言われたりとか」


確かに、今日は何人かの生徒に「昨日は大変だったね」と声をかけられた。


「今のところは大丈夫」


「そっか。でも気をつけなよ? 噂って、だんだん大げさになっていくから」


大げさになる。


確かに、そういうこともありそうだ。


「ところで」


彩乃が声を落とした。


「中村くんとの進展は?」


進展。


「べつに、進展って言うほどのことは……」


「嘘つけ。絶対何かあったでしょ」


彩乃の目がきらきら光っている。この人も木下くんと同じで、恋バナが大好きだ。


「昨日の閉じ込められ事件、詳しく聞かせて」


「詳しくって……」


「何話したの? どんな雰囲気だった? ドキドキした?」


質問攻めだ。


「落ち着いてよ」


「落ち着いてられないよ! これ、完全にラブコメの展開じゃん」


ラブコメの展開。


確かに、漫画や小説でよくあるシチュエーションだった。


「でも現実は、そんなに都合よくいかないよ」


「え? 何それ、弱気すぎない?」


彩乃が呆れたような顔をする。


「せっかくのチャンスなのに」


チャンス。


「チャンスって?」


「二人きりで過ごす時間があったんでしょ? それって、めったにないことじゃん」


確かに、あんな状況になることは滅多にない。


「それで、何か変化はあった?」


変化。


木下くんも似たようなことを言っていた。


「んー、前より話しやすくなったかも」


「それじゃ物足りない」


物足りない?


「もっと積極的にいかなきゃ」


また積極的という言葉だ。


「積極的って、具体的にどうすればいいの?」


「例えば……」


彩乃が考え込む。


「今度、二人きりで会う機会を作るとか」


二人きりで会う機会。


「そんなの、どうやって?」


「うーん、図書委員の仕事を利用するとか」


図書委員の仕事。


「でも、変に思われない?」


「思われないよ。委員長として、委員と話し合いをするのは普通でしょ?」


確かに、そう言われれば自然かもしれない。


「何について話し合うの?」


「新刊選定とか、イベント企画とか……いくらでもあるじゃん」


新刊選定。


そういえば、航が相談があると言っていた。


「あ……」


「どうしたの?」


「航くんが、新刊選定について相談があるって言ってた」


「え、それっていつ?」


「この前の委員会の後」


「それよ!」


彩乃が勢い込んで言う。


「それが絶好のチャンス!」


絶好のチャンス。


でも、仕事の相談なのに、恋愛的な期待をしてもいいものだろうか。


「でも、本当に仕事の話かもしれないし……」


「奏ちゃん、甘いよ」


甘い?


「男子が『相談がある』って言うときは、たいてい口実」


口実。


「そうなの?」


「そうよ。本当に仕事だけの相談なら、委員会の席で済ませるでしょ?」


言われてみれば、確かにそうかもしれない。


「つまり、中村くんも奏ちゃんと二人で話したいってことよ」


二人で話したい。


その可能性を考えただけで、胸がドキドキする。


## 6


「でも、期待しすぎるのは危険じゃない?」


「期待しなきゃ、何も始まらないよ」


彩乃が力強く言う。


「奏ちゃんは、自分のことを過小評価しすぎ。もっと自信を持って」


自信を持って。


木下くんも似たようなことを言っていた。


「でも……」


「でもじゃない。奏ちゃんはすごく魅力的なの。それに気づいてないのは、奏ちゃんだけ」


魅力的。


本当にそうなのだろうか。


「第一、中村くんの態度だって変わってきてるじゃない」


「変わってるって?」


「この前だって、わざわざ奏ちゃんのおすすめの本を借りに来たでしょ?」


確かに、『また、同じ夢を見ていた』を借りに来た。


「あれは、奏ちゃんと同じ本を読みたいからよ」


同じ本を読みたい。


「そうかな……」


「そうよ。間違いない」


彩乃が断言する。


「だから、次に相談を持ちかけられたときは、ちゃんと応じること」


ちゃんと応じる。


「それで、話が弾んだら——」


「弾んだら?」


「今度は奏ちゃんから誘ってみる」


私から誘う。


考えただけで、胃が痛くなりそうだ。


「無理だよ、そんなの」


「無理じゃない。一歩ずつでいいから」


一歩ずつ。


「まずは、相談に乗ることから始めよう」


相談に乗る。


それなら、なんとかできそうな気がする。


「奏ちゃん、きっと大丈夫よ」


彩乃が励ますように言ってくれる。


「本当?」


「本当。奏ちゃんが思ってるより、中村くんは奏ちゃんに興味を持ってるから」


興味を持ってる。


その言葉に、また胸が暖かくなる。


「ありがとう、彩乃」


「どういたしまして。応援してるからね」


彩乃が人懐っこい笑顔を向けてくれる。


でも、その笑顔の奥に、ほんの少しだけ寂しそうな色があるような気がした。


「彩乃は?」


「え?」


「彩乃こそ、誰か気になる人いないの?」


そう聞いた瞬間、彩乃の表情がわずかに変わった。


「あー、私はいいの。今は奏ちゃんの恋を応援することに集中してるから」


応援することに集中。


なんだか、少し無理をしているような気がした。


でも、それ以上聞くのは野暮な気がして、やめておいた。


午後の授業が始まる時間が近づいてきて、彩乃は「じゃあね」と手を振って出て行く。


一人になった図書室で、私は今日聞いた色々な言葉を思い返していた。


木下くんの「もっと積極的に」。


彩乃の「自信を持って」。


そして、航が私のことを心配して連絡をくれたという話。


みんなが背中を押してくれている。


だったら、私も少しだけ——


勇気を出してみようかな。


そう思った時、図書室の扉が開いて、また誰かが入ってきた。


振り返ると、航だった。


「あの……」


航が少し迷うような表情で立っている。


「どうしました?」


「この前お話しした、相談なんですが……」


相談。


いよいよ、その時が来た。

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