Section_3_2a「なんか、疲れてない? 目の下にクマできてるよ」

## 1


翌日の水曜日、私は朝から妙にそわそわしていた。


今日こそは航と普通に話せるだろうか。それとも、昨日みたいにぎこちない感じが続くのだろうか。


「おはよう、奏」


教室で彩乃が声をかけてくる。


「あ、おはよう」


「なんか、疲れてない? 目の下にクマできてるよ」


クマ。


やっぱり、昨夜はあまり眠れなかった。


「ちょっと寝不足で……」


「恋の悩み?」


彩乃がにやりと笑う。


恋の悩み。


確かに、そうかもしれない。


でも、悩みというより——混乱、という方が正しい気がする。


「まあ、そんなところかな」


「やっぱり。中村くんのこと?」


「声が大きい」


慌てて彩乃の口を押さえる。


周りに聞かれたら困る。


「わかった、わかった」


彩乃が手を上げて降参のポーズ。


「でも、そんなに思い詰めないでよ。男の子って、結構単純なんだから」


単純。


航が単純だとは、とても思えない。


あの複雑そうな表情や、言いかけてやめる言葉を見ていると——彼の心の中は、きっと私以上に複雑なんじゃないだろうか。


## 2


昼休み、図書室に向かう途中、私は木下くんと会った。


「やあ、奏っち」


「お疲れさま」


「今日は航も来るのかな?」


木下くんも、昨日の様子を気にしているらしい。


「どうだろうね……」


「あいつ、最近なんか変だよな」


変。


やっぱり、木下くんもそう思っているんだ。


「どんな風に?」


「なんていうか……考え事してる時間が増えたっていうか」


考え事。


何を考えているんだろう。


もしかして、私のこと?


それとも、全然関係ないこと?


「まあ、そのうち元に戻るでしょ」


木下くんが楽観的に言う。


そのうち元に戻る。


本当にそうだといいのだけれど。


図書室に着くと、案の定、航の姿はなかった。


「中村くんは?」


曽我さんが聞いてくる。


「まだ来てないです」


「そうですか……」


曽我さんも、最近の航の欠席を気にしているようだった。


「体調でも崩されたのでしょうか」


体調。


本当に体調が悪いのか、それとも——


私から逃げているだけなのか。


## 3


返却本の処理をしながら、私は一冊の本に目を止めた。


『夜のピクニック』。


昨日、航が返却した本だった。


なぜか、もう一度誰かが借りて返したらしい。


バーコードを読み取ろうとして——本を開いた瞬間、小さな紙切れがひらりと落ちた。


「あれ?」


拾い上げて見ると、それは図書館の貸出票を小さく切ったような紙だった。


そこには、丁寧な字でこう書かれていた。


『時は流れ、季節は巡る。でも、この一歩一歩は二度と歩めない——この言葉、とても印象的でした』


この文章。


私が見覚えがあった。


これは、文化祭の展示で航が書いたポップの一部だ。


でも、これを書いたのは航じゃない。


字が違う。


もっと丸っこくて、女の子らしい字だった。


「どうしたの?」


木下くんが覗き込んでくる。


「あ……何でもない」


慌てて紙を隠す。


でも、心臓がドキドキしていた。


この本を借りた人が、航の言葉に感動してメモを残したんだ。


航の文章が、誰かの心に届いている。


なんだか、すごく嬉しくなった。


でも、同時に——少し複雑な気持ちにもなった。


私以外の誰かが、航の言葉に心を動かされている。


それが、なんだかちょっと寂しい。


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