第39話 けじめを付けろとルネが言い

 書き物机に座って羽ペンにインクを吸わせ、さて最初の文言はどうしようか――と迷っていたら、侍女が来客を知らせてきた。


 もしかしてザフィル!? と華やいだ心だが、しかしそれはすぐに萎んだ。尋ねてきたのがルネだったからだ。


 彼はにこやかに部屋に入ってくると、礼儀正しく一礼した。


「リュシア、久しぶり。元気だったかい?」


 レターセットを片付けながら、リュシアはルネの姿をちらりと見やる。


 相変わらずの青と白の騎士服である。肩甲骨辺りまで伸びたプラチナブロンドは後ろでくくられ、銀色の瞳はいつもどおり涼しげだ。


 あの騎士服をザフィルも着ているのか……と思うと、なんだか心が踊った。きっと、褐色のムキムキ筋肉にあのデザインはよく似合っているだろう。


「ザフィルは?」


「……今日は騎士団が休みでね」


 リュシアの前触れのない不躾な質問に、ルネは貼り付けた微笑みを崩さず話を逸らした。


「だから、君の顔を見に来たんだ。会えて嬉しいよ」


「ザフィルも休みなの?」


 リュシアは取り合わず質問を被せる。

 少し目を見開いてから、ルネは苦笑した。


「……そうだね。だが彼は騎士団に入ってすぐだ、忙しいだろう」


「それは知ってるわよ」


 聞きたいことは沢山あった。

 騎士団でのザフィルの様子とか、他の騎士たちにちゃんと受け入れられているかとか、筋肉は衰えていないかとか……。


 ルネはそんなリュシアの気持ちを察してか察していないのか、微笑みを浮かべながらリュシアの前のソファーに腰を掛けた。いま、リュシアとルネの間には届けられた封書の山がある。


「……これ、全部婚約申込書かい? 君は大人気なんだね、リュシア」


「あなたの分もあるわよ」


 リュシアは書き物机を立つと、ルネの正面に座って封書の山から一通を取り出した。


 差出人をルネに見せる。――『ルネ・ロッシュ』とある。


「まったく、あなたも懲りないわね」


 国王陛下から婚姻相手を選ぶ権利を与えられたリュシアは、すぐにルネとの婚約を白紙に戻させた。


 なのに彼はまた婚約申し込み書を送ってきたのである。しつこいったらない。


「私はもう自分で結婚相手を選べるのよ? これは国王陛下からいただいた権利だから、おいそれと覆すことはできないわ。あなたでもね、ルネ」


「だからこそ、私は今日ここに来たんだ」


 ルネは真剣な顔になると、騎士服の胸にそっと手を添えた。


「君はけじめをつけるべきだと思う。それが権利を与えられたものの果たすべき責任だ」


「けじめ? なんのけじめよ」


「決まってるじゃないか、君の権利――結婚相手を選ぶっていうけじめだよ」


 ルネはそう言うと、ソファーに座ったまま膝をせり出す。


「私は本気だ。婚約申込書なんかではこの心は届かないと思い、今日、ここに馳せ参じた。リュシア、私は、君のことが……」


「失礼します」


 ルネの言葉は侍女の声によって遮られた。


 リュシアは思わずホッと胸をなで下ろした。指先もじっとりと汗ばんでいる。ルネから視線を逸らし、心の逃げ場を探していたのだ。

 ルネからのああいう言葉は、落ち着かない。


「お嬢様にお客様でございます」


 また客か。こういうのは続くわね……。そう思うリュシアの目が、侍女の向こうに吸い付く。


 褐色の影がぬっと立っていたのだ。


「……っ!」


 リュシアは思わず息を呑んで立ち上がった。きたる歓喜にそなえるように、顔が熱くなっていく。


「ザフィルっ」


 侍女が退き、廊下から入ってきたのは、漆黒の髪に深緑のターバンを巻いた筋肉モリモリの背の高い男――ザフィルだった。


 ちゃんとサイズを合わせて作っており、彼の着る青と白の王立蒼刃そうじん騎士団の制服はどこも無理したところがなかった。

 詰め襟の胸板は大きく盛り上がっており、肩幅はがっしりとしている。太ももなどはリュシアの腰くらいある。華麗な騎士服のデザインはルネとまったく同じなのに、ザフィルは何倍にも大きく見えた。


 ザフィルはルネをちらりと見て、少し苦い顔をした。


「お取り込み中だったか」


「そんなことないわよ。ルネとは何にもないんだから。ねっルネ!」


「……そういうことにしておこうか」


 とりわけて明るくルネに問うと、幼なじみの騎士はやれやれという風に両手を広げてソファーに背中を預けた。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る