第30話 舞踏会の始まり

 その日の夜から丸1日をかけて続いたリュシアの帰還パーティーも無事終わり、それから8日間は、飛ぶように過ぎていった。


 本格的にリュシアの令嬢教育が再開されたのだ。


 半年間冒険者として過ごしていたことで曇ってきていたテーブルマナーやダンスの技術は一気に磨き込まれ、この半年における社交界の噂の総括も頭に詰め込まさる。

 やれ社交界の有名人が誰と誰をくっつけたとか、どんな恋の事件があったとか、そういう類いのものである。


 リュシアとしては、挑戦しそこねた氷龍との戦闘を妄想するほうが楽しいのだが……国王主催の舞踏会に出席する以上、貴族としてはぬかりなくしなくてはならないから、我慢して覚えていった。


 ふと青い空を見上げて思うのはザフィルのことだ。いま、彼はどうしているだろうか。

 当たり前のように隣を占有していた逞しい筋肉がいないのは、空間自体がなくなってしまったような虚無感があった。


 ロッシュ家で、ザフィルも同じように恋の噂話を覚えさせられているのだろうか? あの無骨な筋肉男が。そう思うと、なんだか笑えてくる。


(それとも、私のことを思い出してくれているのかな……?)


 そんなことを考えて、頬が赤らむ。


 姉の発言のせいで、リュシアはどうしてもザフィルのことを意識してしまっていた。

 ザフィルのことは好きだ。一緒に旅をしていて楽しい。戦闘でも頼りになるし、一緒にいると安心する。リュシアにとってザフィルは、心強いバディだ。

 でもそれは「好き」の一言で現せる関係ではない気がした。彼と一緒にいるときの安心感や高揚感は、たぶん恋愛感情とは異なるものだ。


 でもそれが恋じゃないとしたら、恋ってなんだろうか。

 リュシアはまだ、誰かを好きになったことがないから、よく分からない。


 いや自分のことはいいんだ、自分のことは、と無理矢理思考をねじ曲げる。


 問題は姉だ。姉は本気なのだろうか。本当に、姉はザフィルのことを『狙っちゃう』のか!?


 そんなことに悶々としながらも日々は進み、ついに国王主催の舞踏会の日となった。


 ――早めに軽い夕餉を済ませたウォルレイン家の面々が王城へ着くと、すでに会場にはたくさんの貴族たちが集まっていた。


 父母はさっそく親交のある貴族たちに捕まって、長い立ち話へと入った。

 姉は、目に付いた貴公子に片っ端から話しかけに行っている。


 一人残されたリュシアは、キョロキョロと周囲の人々の顔を確認しながら移動していった。とりあえず、ザフィルを探さなければならない。なにせこれから王位簒奪を阻止し、最後に特大の花火を上げなくてはならないのだ。そのためには頼れるバディは必須である。


 探しながら、リュシアの耳は貴族たちの噂話を捕らえていた。貴族たちは、口々にこっそり……だが隠す気もなく、楽しそうに噂話に興じている。この舞踏会で王太子を発表するという噂だ。


(ついに、ここまで来たんだ)


 リュシアは、瞳の色と合わせた淡い翠のドレスの裾を、汗ばむ手のひらでぎゅっと握った。

 さきほど、第二王子ユリシス王子が会場入りしたとのアナウンスが先ほどあった。人混みに紛れてその姿は見えないが、婚約者であるミレイナも、ミレイナの父であるコーネル男爵もこの会場にいるのだろう。いまごろあの三人で、『霞の涙』を使う打ち合わせでもしているのだろうか。


 あちらが事を起こす前に、一刻も早くザフィルと合流しなければ、と焦る。


 それに――。

 心は、ささやかな希望にも浮き立っていた。

 久しぶりにザフィルに会えるのだ。しかもこんな、ドレスアップした姿で。


(なんていうかな、ザフィル。『馬子にも衣装だ』なんていったら即落とし穴に落としてやろうかしら)


 リュシアは事件への緊張と久しぶりに会えるバディへのワクワクを、胸いっぱいに抱き締めていた。


 そのリュシアを呼ぶ男性の声があった。


「リュシア」


 ザフィルほど低くもなく、魅力的でもない声。


 ザフィルじゃない……。


 落胆を隠しながら、それでも失礼にならないように張りつかせた笑顔で振り返ると、そこには青と白の騎士服に肩帯をまとって柔らかな笑みを浮かべるルネがいた。



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