第21話 好条件と交換条件

 積もる話に立ち話もなんだということで、リュシア、ザフィル、それにおまけのルネの3人は、冒険者ギルドの真向かいにある酒場『円卓の杯』亭に移動した。


 昼前で閑散としている店内には、『円卓の杯』という屋号とは反対に角張ったテーブルばかりが並んでいる。そこには冒険者らしき姿をした人々や近所の酒飲み、旅装姿の旅人がぽつぽつとたむろしていた。


 見知った顔の酒場マスターに挨拶すると、リュシアたちは空いている奥の席に座った。リュシアとザフィルが横に並び、前にルネが陣取る。


「こいつのいうことは本当なのか、リセ」


 席に座るなり、低い声が慎重に確認してきた。


「あんたは本当はリュシアという名で、ウォルレインという公爵家の……令嬢?」


「う」


 リュシアは喉のつまりを感じ、慌ててごくんとハーブ入り蜂蜜水を飲み込んだ。薄い甘みと豊かな薬草の風味が喉を通っていって、幾分か気分がスッとする。


「……ま、まあそういう感じよ、うん」


「そうか。あんたは公爵家の娘……」


「でもさ、元貴族ってことはもういってあったでしょ。そんなに驚くこともないんじゃない?」


 取り繕うように呟く声が震えてしまう。ザフィルはため息をついて、筋肉が張り詰める背中を椅子の背もたれに預けた。


「てっきり男爵あたりかと思っていたんだ。まさか公爵家とはな……」


 公爵は貴族位の最高峰である。そんな家門の娘が、まさか出奔して冒険者になるとは想像も付かなかったのだろう。


 と同時に、公爵令嬢であるリュシアが彼を王立騎士団に推薦したら、100%入団させられる――そんな存在でもあった。


「別に騙そうとしてたわけじゃないの。それに、そのうち自分からいうつもりだったから……」


「君は、本当になにも知らなかったんだな」


 少し哀れそうにいうと、ルネは手に持った赤ワインをくゆらせて瞳を閉じた。


「……うん、悪くない香りだ。派手ではないが、葡萄を摘んだ農夫の実直さがでている」


 なんて蘊蓄を語ってから一口呑んで、グラスをテーブルに置いて続ける。


「ザフィル、君を咎めることはしない。君はリュシアがついた嘘の被害者だ。であるにもかかわらず、リュシアを守ってくれた恩人でもある」


 そして、彼は懐から一通の封筒を取り出し、褐色の剣士に差し出した。


「エルネスト殿下から預かったものだ。受け取ってくれ」


 ザフィルはその封筒を一目見て怪訝そうな顔をし、ルネを見返した。


「エルネスト殿下とは?」


「私が仕える第一王子殿下だよ」


 リュシアは、隣からその手紙を確認した。


 表には流麗な筆致で『ザフィルへ』と書いてある。

 ザフィルが封筒を裏返したとき、リュシアの口から小さなうめき声が漏れてしまった。差出人は確かに、『エルネスト・ラグナリード』で、封蝋に押された印も王家のものだったのだ。この手紙、本物だ。


 興奮を抑えながら、低い声でリュシアは説明した。


「ラグナリード国王陛下には二人のご子息がいらっしゃって、エルネスト殿下は第一王子殿下よ。お身体が丈夫ではないんだけど、補ってあまりあるくらいの傑物として知られているわ」


 エルネストは一年の大半をベッドの上で過ごすとさえいわれるほど、常に体調がよくない人物である。


 だがその分、王立騎士団の自分付きの騎士たちを上手く使って情報を集める天才でもあった。たとえば、王都の用水路の水漏れが多発しているという情報を騎士を使って得た彼は、それが水の魔物が王都に侵入しようとしているからだとすみやかに突き止めてしまう。

 そこに手持ちの騎士を投入して魔物を退治し、民の不安を収めてエルネストへの敬愛を厚くするのも怠らない。だからエルネストは、病弱でめったに人前に立つことがないわりに、かなり評判のいい王子でもあった。


 目の前のルネも、そういったエルネスト付きの騎士の一人である。


「そのエルネスト殿下があなたに手紙を出すだなんて、何かしらね」


 言いながら、リュシアはワクワクしていた。

 そんなの決まってるじゃないか。……情報に耳ざといエルネストが凄腕の剣豪であるザフィルに手紙を出してきたのである。

 つまり、ザフィルが自分の専属騎士として相応しいかどうか、そもそも騎士になるつもりがあるのかどうかを知りたくなった、ということだ。


「殿下は君に大変ご興味を持たれていたよ。落とし穴を掘りまくる女魔術師とコンビを組んで敵を屠る異国の剣士の噂は、遠く王都でも有名だからね」


(ちょっと重力使うの、自重したほうがよかったかな)


 とリュシアは苦く思う。噂が王都まで行ってしまったから、冒険者リセの存在がルネにバレたのだ。落とし穴を掘りまくる女冒険者とくれば、それとリュシアを繋げるのにそう時間は掛かるまい。


 とはいえ重力属性を広めるのが目的だったのだから、そうも言っていられない。痛し痒しである。


 あと、自分では魔術師ではなくあくまでも剣士のつもりなのだが……。


「とにかく、開けてなかを確認してくれ。私からも話があるんだが、内容を把握してもらってからの方がいいだろう」


 ルネに促され、ザフィルは封筒をあけて内容を改めた。


 さっと目を通し、それから彼はルネに用心深く顎を引いた。


「俺に呑める条件ならいいんだが」


「なに? なんて?」


 身を乗り出して尋ねたら手紙を寄こされ、さっと視線を走らせて中身を確認する。

 その文言に、リュシアは内心ガッツポーズを決めた。


 それは、ザフィルの活躍の噂を聞いたエルネストが、是非ザフィルに会ってみたい、と望んでいる――という内容だった。リュシアの予想通りである。が、王立騎士団への推薦は明文化されてはいない。用心深いことだ。


 面会の日時も指定してある。本日から約20日後に予定されている、国王主催の舞踏会。そこにてお会いしたい、だそうだ。当然のように舞踏会の招待状も同封されていた。


「……条件って?」


 リュシアは顔を上げて、ザフィルの引き締まった顔を見る。

 条件に値する文言は、手紙には特になかったが。


 彼の暗い琥珀色の瞳が、いまは鋭くルネの様子を見ている。


「第一王子が一介の冒険者である俺に直接会いたいといってきているんだ。どうせ、なにか取り引きがあるんだろう」


「鋭いね」


 そう言ったルネの唇に、仄かな笑みが浮かんだ。いかにも貴族らしい上品な笑みだ。

 ザフィルはそれに、微かな翳りを混ぜた声で応じた。


「昔、それで人に裏切られたことがあってな」


「それは残念だったね。いや、裏切られた君の頭がその分よくなったことが残念って意味だが」


 毒を吐くルネは笑顔だった。だが整ったその顔の上半分に張りつかせた表情は笑っておらず、言葉の裏を悟らせようとする影がちらついている。


「ザフィル、君は我が主であるエルネスト殿下に目を掛けられた。まことに遺憾ではあるが、仕える主が決められたことならそれに従うまでだ。だがその前に君はやるべきみそぎがある……それは分かるね」


「……それは、エルネスト殿下のご意向か、それともあんたの個人的な意思か、どっちだ」


「両方、と思っておけば遠からずといったところだ」


 ルネはザフィルを銀色の瞳で見つめたまま、ゆっくりと唇の端を持ち上げた。


「君が我が主にお会いするまえに成すべき仕事を説明しよう。なに、簡単なことさ。リュシアを正しい場所に帰してあげてほしい。公爵令嬢リュシアをウォルレイン公爵家のご両親の元に送り届けるんだ」


「なっ……!」


 リュシアの口から声が漏れる。同時に指先から力が抜け、取り落とした封筒と手紙がテーブルに落ちる乾いた音が、やけに大きく響いた。



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