第10話 落とし穴で勝つ
なにか巨大なものが落下する轟音が響き渡り、ザフィルに向かって棍棒を振り下ろそうとしていたゴブリンが消えた――足下に開いた穴に落ちたのだ。
(よし!)
リュシアは心の中でガッツポーズを決めた。ゴブリンは穴に落ちた。作戦は成功した! やっぱりこの落とし穴は役に立つ!
「リセ、あんた――」
ザフィルの言葉は最後まで続かなかった。突然地面に開いた穴に動きを止めたゴブリンの群だったが、すぐに穴を飛び越えてザフィルの頭に棍棒を振り下ろそうとする輩が出てきたのだ。
ザフィルはそれをヒョイと軽いステップで避け、避けついでに横に薙いで切り伏せた。
それを期に、落とし穴を避けてゴブリンたちが次々にザフィルに殴りかかってくる。
「次!」
リュシアは叫ぶと、こんどはザフィルを取り囲む複数のゴブリンに向かって同時に二つの落とし穴を穿った。
轟音が同時に起こり、土埃が立つ。その瞬間、リュシアは立っていられないほどのふらつきを感じ、馬車の扉の上に膝をついた。
……落とし穴を同時にいくつも作るのは、想像以上に負担がかかるということらしい。
だがしかし! ここでやめたらザフィルにまた迷惑をかけてしまう。せっかく勝機が見えてきたのだから、いまが踏ん張りどころだ。
リュシアは膝立ちで手を突き出し、魔力を集中させた。きゅうっ、と手のひらの前に強い歪みが発生する。まるで全てを吸い込む渦巻きのようだ。
さすがに3つ以上を同時に空けるのはキツいから、2つずつの穴を、ボン、ボン、ボン、ボン、と4回、ザフィルの近くの群れのなかにあけていく。
突然足下に開いた穴になすすべもなく落ちていくゴブリンたちの悲鳴が、ギャッギャッと連続で響いた。同時に、土埃とともに、抉れた新鮮な土の湿っぽい香りがリュシアの鼻に届いた。
「魔術というのは役に立つものだな!」
ザフィルが喜色の声を上げながら、地表に取り残されたゴブリンを斬りつける。
「私は特別よ!」
張り合いながら、リュシアは振り返って馬車の背後の地面に穴を空けた。
続いて、リュシアは左右に突っ張るように手を開いて馬車を取り囲むように同時に穴を作っていった。ザフィルが戦っている場所以外に深い穴を開け、馬車を孤立させたのだ。
これで、ゴブリンはおいそれとは馬車上に上がってこれなくなった。あとはザフィルが頑張ってくれるのを期待するだけだ。
目を前に戻すと、ザフィルの動きが目に見えて良くなっていた。
ゴブリンは棍棒をぶんぶんと振り回してザフィルに殴りかかってくるのだが、ザフィルはそのすべてを踊るように避け、剣を閃かせてはゴブリンたちを切りつけていた。
極めつけは、穴から這い上がろうとしているゴブリンの首を、まるで水でも掬うかのように的確に刎ねていく動きだった。
そのたびに、肩の筋肉がしなやかに波打って、それがこんな時だというのにリュシアの目を引いてしまう……。
なんて美しいんだ。やはり育った筋肉は芸術だ。
おっと、見とれている場合ではない。
リュシアはふらつく足下に気合いを入れ、膝立ちの太ももに力を入れると、突き出した手に集中した。そうしながら、2つ同時にを、何セットも何セットも馬車に群がってくるゴブリンたちに叩き込んだ。
そして……ようやく。
圧倒的な不利を悟ったのか、ゴブリンたちは森の中へ逃げ帰っていった。
あとに残ったのは、積み上がった数十体の屍と、ゴロンと無造作に転がる数十個のゴブリンの頭と、それから一面にボコボコに穿たれた落とし穴――。
「終わった……」
リュシアは馬車の上にヘナヘナと尻を落とした。身体が、鉛のドレスでも着たかのように重い。冷や汗でべっとりと濡れた背中が気持ち悪かった。
それにしても、錆くさい臭いだ。それに獣臭い臭いも酷い。
戦いには勝ったが、あとに残ったのはかなり劣悪な環境だった。
落とし穴とザフィルの剣技でなんとか生き延びることができたが、落とし穴を思い出すのがあと一秒でも遅れていたら死んでいた。
「――リセ」
ザフィルの安堵した声が、リュシアを呼んだ。ザフィルは馬車の下からリュシアを見上げているが、背の高い彼なので、ほぼ目線は若干リュシアの方が上なくらいだった。
さすがに疲れたのだろう、ザフィルも分厚い胸板をさかんに上下させている。
改めて見てみれば、あれだけゴブリンを殺したのに砂色の長衣には返り血の一つも浴びていなかった。踊るような動きには返り血を避ける意味もあったのだろうと、今なら分かる。
ザフィルは眩しそうに目を細めてリュシアを見上げていた。
「助かった。あんた、凄いな」
もともと私が招いたことだし……と心の中で反省を述べつつ、口では違うことを言っていた。
「疲れた」
素直な感想だった。
こんなにも落とし穴を作りまくったのは、生まれて初めてのことである。
(でも、落とし穴が役に立った)
そりゃ公爵令嬢としてはハズレ属性もいいところだ。だってこの属性はゴブリンの群れ相手に抜群の効力を発揮するのだから。普通の公爵令嬢は、ゴブリンの群れを相手どって戦ったりなどしない。
要は適材適所ってやつね。私はこっちのほうが向いてるんだわ。
「……穴ぼこだらけにしちゃったけどね」
馬車の上から見る地面は、そこらじゅうに穴が穿たれるわ死体が転がるわ、血だまりもそこかしこにあるわの、まるで地獄のような光景だ。
ザフィルはあたりを見回して、それから真面目な顔で頷いた。
「埋葬するのに丁度いい」
「埋葬……?」
ぼんやりする頭で言葉を繰り返す。ゴブリンを埋葬する……。
ゴブリンを、埋葬する? ただの魔物なのに。まあ、死体をこのままにしておくのもどうかと思うし、埋めてしまうのはいい案なのか。
「その前に、馬車のなかを確認してみよう。もっと穴を増やさなくちゃならないかもしれないぞ」
「穴を増やす……?」
その意味が疲れた頭に染み込んでくるのに、しばらく時間がかかった。
馬車のなかに死体があって、それを埋葬するかもしれない、という意味だ。
「いやなこと言わないでよ」
呟くと、リュシアは「よいしょ」と声をかけて立ち上がり、馬車のドアに手をやった。
今度はしっかりと取っ手を掴むと、ドアを真上に跳ね上げる。
はたして、馬車のなかには人がいるのか。いたとして、生きているのかどうなのか……。ドキドキしながら、リュシアは馬車のなかをのぞき込んだ。
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