大丈夫
あべせい
大丈夫
「荒川河川敷はきょうも快晴だ。さァ、やるか。後輩」
「先輩、きょうも漫才の練習ですか。あまり評判はよくないようですが……」
「なにをくだらないことを気にしている。おれたちにはこれしかないンだ」
「先輩、きょうはミーぼうがどこかで見守ってくれているはずです」
「アゥ!? ミーぼうってなんだ」
「この前、ここで漫才の練習をしたとき、駐車違反の切符を切りに来たミニパトの美女ですよ」
「あのハナタレか」
「ハナタレってなんですか。ハナ水なんか垂らしてないですよ。結局、違反を見逃してくれたのに」
「おれから見れば、20才そこそこの女はみんなハナタレ小僧だ、いやハナタレ小娘か。まァ、いい。それでおまえ、もうお近付きになったのか」
「当たり前でしょう。あのあと、赤塚署に行って、ごちょごちょやってきました」
「ごちょごちょって、なんだ?」
「先輩、この河川敷に来る途中の右折信号が短すぎるってぼやいていたでしょう」
「あそこには青い矢印の右折専用の信号がついているが、きっかり2秒で赤信号に変わる。ちょっと手間取っていると、先頭にいても右折できやしない。うまく右折できても、2台が限度だ」
「そうでしょう。もっとも先輩の運転がトロいせいもあるンだけれど」
「トロい!? おれの運転が下手だっていうのか。おれは伊達に免停を4回もやってンじゃねえぞ」
「免停、4回ですか。それでよく免許取り消しにならないですね」
「いろいろ、仕掛けがあるンだ。その話はこんどにして、ミーぼうとごちょごちょやったってなんのことだ」
「だから、赤塚署の交通課に行って、ミーぼうを見つけて『河川敷前の右折信号は間違っていますよ。あれでは右折できない。もう少し長くしないと』って言ったンです」
「ミーぼうはどうした」
「ミーぼうは、『あれで大丈夫なんです』って言うンです」
「おまえは何と返事したンだ」
「だから、『大丈夫じゃないよ。ぼくの先輩なんか、右折するのに何度も信号待ちして、あの交差点を通過するのに、20分もかかったことがある』って言ってやりました」
「で、ミーぼうは?」
「いくら言っても、『あれで大丈夫なの。あれで大丈夫なの』って。だから、ぼくも『大丈夫じゃない、大丈夫じゃない』って、言い合いになって」
「おまえら、小学生のガキか。大丈夫なの、大丈夫じゃない、って。ほかの言葉を知らないのか。おれは前々から感じているンだが、近頃の若いやつは、『大丈夫』という言葉をやたら使っていないか」
「どういうことです?」
「おれがこの前、『この道をまっすぐ行くと、駅に出ますか?』と通りかかった若い男に聞いたら、何と答えたと思う」
「間違っていなかったら、『大丈夫です』と答えるでしょう」
「おまえも正しい日本語がわかっていない。この場合、間違っていないのなら、『はい、その通りです』だろう」
「ダジャレですか。つきあってらンない」
「例えを変える。おまえが役所に行って住民票を請求したとする。係の者がおまえの前に、おまえの住民票を差し出して、『住所、氏名を確認してください』と言った。内容に間違いがなかったら、おまえは何と言うンだ?」
「そりゃ、『大丈夫です』と言います」
「だから、その大丈夫はおかしいだろう。住民票の内容に間違いがなければ、「はい、間違いありません」とか『これで、けっこうです』と言うべきだろうが」
「先輩は細かいですね。日本人は言葉を簡略にするのが好きなんです。1つの言葉にいろんな意味を持たせて、簡潔にするンです。会社の同僚に津軽出身の男がいますが、青森ではなんでも『どうも』の一言ですますそうです。『どうもありがとうございます』が『どうも』、『どうもご無沙汰しています』も『どうも』、『どうも、天気がよくなさそうです』も『どうも』、『どうも、腹具合いがよくない』も『どうも』、まだ、続けますか?」
「津軽は冬、寒すぎるから、短い言葉ですまそうとする」
「先輩の生まれた大阪だって、そうでしょう。難波の商人は、やたら『まいど』って言うじゃないですか。『まいど、おおきに』も『まいど』の一言、『まいど、いらっしゃいませ』も『まいど』の一言ですましているでしょう」
「関西人はしぶちんが多いから、ことばをしぶッているんだ」
「テッちゃんだって、言いますよ」
「テッちゃんって、だれだ。また、おまえの新しい女か」
「郵便局の角にあるコンビニの夢野ていけい、縮めてテッちゃんです」
「あの笑窪のカワイイ子か。名前のていけいってのは妙だな。ていけい、ってどういう意味だ」
「なんでも父親が堅物の郵便局員だったらしく、娘には、外にはみ出さない、正しく決まった生き方をして欲しいということで、定形郵便物からとって、ていけい、と名付けたそうです」
「ていけい、って名前は漢字でどう書くンだ」
「定めるの『定』に、恵むの『恵』」
「それだつたら、名前は『さだえ』って読むンだろう」
「でも、みんな名前の由来を知っているから『ていけい』や『テッちゃん』と呼んでいますよ」
「もォいい。そのテッちゃんがどうした」
「例えば、先輩がテッちゃんのコンビニで買った品物の代金が、15円としますね」
「だれがコンビニで、15円の品物を買うんだ。だいいち、いまどき、15円の品物って、何があるんだ」
「あるじゃないですか。先輩だったら、たばこのバラ売り」
「確かに、おれは貧しいとき、ともだちから、たばこの1本買いをしたことはある」
「いまでも貧しい」
「やかましい。いまどき、どこでたばこのバラ売りをやつている?」
「やっていたら?」
「助かる」
「そうでしょう」
「しかし、いまどき15円の勘定は少なすぎる。こどもでも、もっと金を使う」
「それじゃ、先輩の買った品物の代金が、990円としますね。先輩はどうします」
「おれは、千円札を出す」
「テッちゃんは、千円札を受け取り、『ありがとうございました』って、言います」
「それだけか。おつりは?」
「おつり? 10円ですよ。とるんですか?」
「当たり前だ。10円だろうが、10万円だろうが、もらえるものはもらう」
「10万円のおつりなんてないですよ。10円のおつりなんかもらっていたら、テッちゃんにシミブタなんて陰口をたたかれますよ」
「シミブタ!?」
「しみったれのブタだから」
「テッちゃんが本当にそんなことを言っているのか」「それはぼくが考えました」
「いいかげんにしろ!」
「とにかく、テッちゃんは先輩から千円札をもらうと、『千円から、お預かりします』って、いって、千円札をレジに入れて、10円玉を取り出し、レシートと一緒に『10円とレシートのお返しです』といいますね」
「それだ。その最初の『千円から、お預かりします』って、日本語は何だ」
「おかしいですか」
「おかしいだろう。おれが990円、ちょうど出したら、どういう?」
「990円、ちょうどお預かりします」
「ヘンだろう。預かるという日本語は、どういう意味だ。いいか。ここに、こんなもの」
ポケットから辞書を取り出す。
「がある。預かるの項目を見ると。よく聞け、預かるとは『頼まれて、人のものなどを、一定期間、責任をもって保管すること』とある。よく、見ろ、ここだ」
「なるほど、そうですね。これは、いい辞書ですね。小さくて、軽いし、チョー便利だ。では、次の話題」
「待て。そのチョー便利というのも気に入らねェ。何にでも、チョーチョーと言うやつは」
「先輩、長生きしてください。超は超で、ちょうどいいンです」
「話を元に戻す。だから、『ちょうど、990円を預かる』ってのは、おかしいだろう。預かるというからには、あとで返さなければならない。銀行にお金を預けて、降ろせなかったら、どうする。おれはいままでコンビニで何度も、ちょうど預かってもらっているが、いまだに返してもらったことがない。預かったのなら。いますぐ返せ!」
「こういうお客は、チョー嫌われる。先輩は、テッちゃんとデートしたことがないでしょう」
「ない。だから、余計に腹が立つ!」
「どういえば、いいんですか」
「だから、『千円から頂戴します』。ちょうどの勘定なら『千円、ちょうどいただきます』。レシートを渡すときだって、そうだ。スーパーのレジ係は、『レシートのお返しです」って、いうだろう。返すには、その前に預けるなり、貸すなりしていて、初めて返す、ってことになるんだ。預けてもいないレシートを返すバカがいるか。お返し、じゃなくて『これがレシートです』それでいいんだ」
「先輩。そんな難しいこといっているから、いつまでも結婚してくれる女性が見つからないんです。テッちゃんだって、絶対結婚は拒否しますよ。時代の流れに乗らなきゃ。スーイ、スイ、と」
「何がスイスイだ。レストランの女だって、そうだ」
「先輩! レストランに行くンですか」
「驚くな! おれが行ったら、おかしいか」
「いやー、和食大好きの先輩がレストランに行ったら、何をお食べになるのかと気になりまして。やっぱり、その、フルコースですか?」
「古いソースはよくない。ソースは新しいほうがいいな」
「古いソース?」
「古ソースだろう」
「違います。フルコースです。わかんないかな。最初にスープが出てきて、前菜、メインディッシュと続く料理です。先輩は、レストランでいつも、何を注文するんですか」
「さば焼き定食か、給料が出た日は、てんぷら定食だな」
「先輩。それは、ファミレスでしょう」
「いいから、聞け。おれは、いつものさば焼き定食を注文した。すると20分も待たせてようやく持って来たと思ったら、若いウエイトレスが何といったと思う」
「そりァ、『お待たせしました。こちらが、さば焼き定食に、なります』でしょう」
「バカもの!『なります』とは、何事か。なりますは、おれの住んでる住所地だ」
「先輩の住所は、確か、東京都板橋区成増でしたね」
「なんで、あの土地が、成増か、わかるか」
「東京都と埼玉県の境にありますね」
「昔は、遠くから東京をめざして、たくさんの人が歩いてきた。その人たちが、やっと成増に着いて、ホッとするんだな。成増から東京都だから、思わず、出るんだ『あァ、ここから、東京になります』って」
「いい加減にしてください。さばテイは、どうなったんですか」
「だから、ウエイトレスが、料理を持ってきて、『これが、さば焼き定食に、なります』って、おかしいだろう」
「なにが」
「おまえ、成増の由来を聞いていなかったのか。ここから東京になります、っていうんだ。これが、さば焼き定食に、なります、って、いったいどういう料理だ。持ってきたものは、どう見たって、さば焼き定食だ。もう、さば焼き定食になっている料理をつかまえて、なります、はないだろうが。手品師が、何もない皿を見せて、さば焼き定食に、なります、というのなら、わかる」
「ウエイトレスは全員手品師なんでしょう。先輩のところには、皿だけ持っていって、これが、さばテイになります、っていえばいいんだ」
「それで、さば焼き定食になるのか。じっと見ているだけで、さば焼き定食になれば、レストランはもうかってしょうがない。お歳暮のときだって、そうだ」
「まだ、あるんですか。中年のぼやきは嫌われる」
「この前、スーパーに行って、お歳暮を送ろうとしたら、係の女の子がきて、注文用紙を差し出し、何といったか。『ここに、お届け先の住所と名前、電話番号を、書いてもらって、いいですか』だ」
「すばらしい。それだけ正しい言葉遣いができる人は、滅多にいません」
「何が正しい、だッ! いいか。『書いてもらっていいですか』は、おかしいだろう」
「何がですか?」
「用紙に書いてもらうのは、スーパーの店員だ。書くのは、お客だ」
「そうですよ」
「書いてもらう人間が、相手に向かって、いいですか?、はないだろうが」
「じゃ、よろしゅうございますか、ですか?」
「書いてもらって、よろしゅうございますか、だ? おまえ、日本人か。わからないのなら、話を変えてやる。おれがおまえと居酒屋に行くとする。勘定するときになって、おまえが、おれに向かって『おごってもらっていいですか?』って、いうのか」
「いいません。そんな無理なことは絶対に、いいません」
「そういうことじゃない。例えを変える。おまえが、知らない町を歩いていて、落とし穴に落ちたとする。ひとりでは出られない深さだ。そこに、おれが通りかかった。おまえは、何という?」
「そりゃ、決まってますよ。先輩! こんなところに、何の用ですか?」
「おまえ、穴に落ちているんだゾ。早く出ないと、飯も食えない。うかうかすると、トラックが飛び込んでくるかもしれない。ほかにもっと、言うことがあるだろうが」
「知らない町でしょう。ぼくは、そんなところに、先輩がいることを、まず怪しみますね。若い女とイチャイチャできる秘密基地があるとか。ぼろい金儲けの話に乗せられて、のこのこ這い出てきたとか。ただ酒を飲もうと、気前のいい後輩の家を訪ねるところとか」
「気前のいい後輩って、だれのことだ。おまえのつもりか」
「ピンポーン!」
「話を変える。通りかかったのは、おれじゃない。知らない人だ。親切そうな、見知らぬ人が、たまたまそこを通りかかった。さァ、何という?」
「そんなの決まっているじゃないですか。なに、突っ立って見ているんですか。早く、警察なり、レスキュー隊を呼びなさい」
「そうじゃない。助けて欲しいんだろう。だったら、『助けてもらっていいですか』って、いうンじゃないのか」
「そんなの言えないですよ。もし、その人に助けられでもしたら、あとがたいへんでしょう。恩に着せられて、お礼をがっぽりとられる」
「そんなことをする人じゃない。安心して、『助けてもらっていいですか』といえ! どうだ。言えないだろう」
「そりゃ、……」
「こういうときは、『助けてください』が、正しい日本語だ。助けてもらうのに、いいですか、よろしいですか、なんて相手の気持ちをいちいち尋ねている余裕があるか」
「いわれてみれば。そうですかね」
「そうだ。助けてもらうのだから、相手にすべてを任せて、結果を待てばいい。例えば、お金がほしいとき、何という」
「お金、ちょうだい」
「おまえ、年はいくつだ」
「25」
「25にもなって。こんなこともいえないのか」
「お金をください!」
「言えるじゃないか。じゃ、おまえがふだん言うように、同じことを『もらう』を使って、いってみろ」
「お金を、もらっても、いいですか」
「そうだろう。そんな風にいうと、おかしいだろう」
「難しいンですね。じゃ、正しい日本語に言い換える練習をさせてもらってもいいですか」
「そうじゃないだろう」
「そうか。正しい日本語に言い換える練習をさせてください。いきますよ。お給料をあげてもらっても、いいですか、は?」
「お給料をあげてください、だ」
「お家賃を待ってもらっても、いいですか、は?」
「お家賃を待ってください」
「お金を貸してもらっても、いいですか、は?」
「お金を貸してください」
「逃げた女房を探してもらっても、いいですか、は?」
「逃げた女房を探してください!」
「もっと割のいい仕事を寄越してもらっても、いいですか、は?」
「もっと割のいい仕事を寄越してください。オイ、いい加減にしろ! 全部、おれがふだんいっていることじゃないか」
「やってる、やってる」
「ミーぼう! いつからそこにいたの?」
「土手の下のほうで、ずーっと聞いていたわ」
「きょうは制服じゃないのか。ずいぶん、見違えるな」
「先輩、惚れちゃダメですよ」
「奈良くん、紹介してよ」
「この方はぼくと同じ会社の先輩で、志賀丸尾さん、通称マルちゃん。先輩、こちらの女性は赤塚署交通課の紅一点、桜民都(ミント)、通称ミーぼうです」
「奈良くん、『大丈夫』の続きやろうか」
「やりますか。あの右折信号じゃ、ヘタなドライバーじゃ、通過できないよ」
「大丈夫よ。あの右折信号の秒数は警察庁で決めた標準なの。だから、大丈夫」
「大丈夫じゃない」
「大丈夫よ」
「待て待て。大丈夫という言葉は、本来、人の体について、心配がない、とか、危険がない状態を指して使うものだ。ケガをして倒れている人に向かって『大丈夫ですか?』と言うのならわかる。おまえら、大丈夫をそんな風に使っていて、頭がおかしくならないか」
「大丈夫です。ねェ、奈良くん」
「大丈夫だよ、ミーぼう」
(了)
大丈夫 あべせい @abesei
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