32
函崎が駅を通りかかるのは、大抵平日の夕方の時間帯。
ルリ子は、函崎に迫って玉砕した男娼から、その情報を仕入れてきてくれた。
「待ってごらん。会えるわよ。」
軽やかにそう言って、彼女は夕方、観音通りに出勤がてら、滉青を駅まで送ってくれた。ひとりでは、多分駅まで行けない滉青は、心底彼女に感謝しつつ、改札が見渡せる駅前広場のベンチに腰掛けた。
平日の夕方、駅を利用する人は多い。観音通りの反対側には大学もあるし、飲み屋街もある。函崎を見落とすことだって十分あり得た。それでも滉青にはなぜだか、自分が彼を見落とさないという自信があった。あのひとが、望みもせずにまとったあの色気。見落としはしない。
初日、二日目と、函崎は駅に来なかった。
ルリ子の部屋から駅に向かう途中に、美雨が立つ街灯はある。彼女は、ルリ子と歩いている滉青を見ると、軽く片手を上げた。気安い挨拶だ。それ以上話しかけるでもない。
やっぱり、一緒に暮らしたあの日々の美雨は、いなくなってしまった。
滉青は、手を振りかえしながら、そう思った。そして、美雨は随分やつれたな、とも。もともと痩せて色白のひとだったけれど、明らかに体重を減らし、青い顔をして美雨は路上に立っていた。
身体が資本の商売なのだから、しっかり食べて、眠って、元気をつけてほしい。
滉青はそう彼女に伝えたかったのだけれど、話しかけることができなかった。あまりにあの頃の美雨とかけ離れてしまっていて、話しかけずらくて。
傷つきたくないのだ、と思う。確かに大切なひとだと情を寄せた美雨が、全く変わってしまったなんて。思い知りたくはなくて。
「美雨ちゃん、痩せたね。」
小声でルリ子が囁く。軽く頷き返しながら、滉青は唇を噛んだ。結局、自分が傷つきたくないだけ。そんな弱さが、嫌いだった。
「ほら、元気出して。」
駅前の広場まで来ると、ルリ子はじゃれるみたいに滉青の肩に自分の肩をぶつけ、じゃあね、と笑って観音通りの方へ戻って行った。
元気出して、か。
滉青はベンチに腰掛け、ぼんやりルリ子の言葉を口の中でなぞる。これまで自分が元気だったことなんか、ないような気もした。
昼から夜へ、街が色を変えていく。通り過ぎていく学生たちは、いつも滉青の目にまぶしかった。自分は、なれなかったもの。どうしても、なれなかったもの。
なんだか悲しくなってきて、滉青は太腿の上に頬杖を突き、深くため息をついた。
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