24
「いいのよ、滉青。」
ぐったりと座り込んでいた美雨が、不意に口を開き、俯いたまま低く呟くように言った。
「いいのよ。」
「でも、」
「いいの。」
それでもさらに食い下がろうとした滉青に、美雨が首を振って、子供をなだめるみたいに同じ言葉を繰り返す。そんなふたりを見ていた函崎は、小さく肩をすくめると、滑るような動作でそのまま部屋を出て行った。かちゃん、と、玄関のドアの開閉音がする。
帰ってしまった。あのひとは、妻がいる家に。
滉青は、なんだか呆然としてしまって、またベッドに倒れ込みそうになったが、なんとかこらえて、床に放置してあったシャツに腕を通した。
ごめんなさい、と、美雨に謝りたい気持ちがあったけれど、それがただの自己満足だとは自分でもちゃんと分かっていた。だって、どうして、なにを、美雨に謝りたいのかすら、滉青は分かっていない。函崎さんと寝てしまってごめんなさい、なんていうのは、あまりにも勝手すぎる。
黙り込んだ滉青の前で、抱えていた膝を崩した美雨は、ぽろりと一粒、涙を流した。打ち捨てられた人形のようなその姿に、滉青はかける言葉がなかった。
「……昔はね、大人になったら、きれいな服を着て、ハイヒールを履いて、あのひとと歩きたかったの。……なのにね、私、こんなになっちゃった。」
繊細に削げた頬を笑みに歪め、美雨は纏う白いワンピースの裾を軽く指先で持ち上げてみせた。滉青は、その表情や仕草を見て、好きなのだな、と思った。美雨は函崎を、とても好きなのだな、と。
俯いた美雨は、細く長い息を吐いた。
「おかしいと思ってるでしょ。私とあのひとのこと。……滉青を、巻き込んじゃったね。なにもかも忘れてよ。」
「……出ていけって、こと?」
巻き込んだ。そう、結局滉青は、あくまでも部外者なのだ。
滉青が、胸を押さえるみたいにして訊くと、美雨は微笑んだまま頷いた。
「ごめんね。」
「美雨さんが謝ること、ないよ。俺、ヒモだもん。」
そう、滉青はヒモだ。好きな時に飼いはじめ、好きなときに捨てることができる。それがヒモの、ペットとは違う唯一にして最大の利点のはずだ。
本気でそう思って言った滉青の前で、美雨は、ごめん、と繰り返し、さらに涙を流した。右の頬も、左の頬も、透明な雫で濡れる。
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