第13話 練習試合にて

『おはようございます!!』


校門の前に立つバスケ部の顧問に晴馬達は元気よく挨拶をする。彼らが身につけるジャージには「SEKIO BASKETBALL TEAM」の文字があった。


遂に練習試合の日が訪れた。会場は同じく惜しくも県大会出場を逃したライバル校「淀住台高等学校」の体育館。そして晴馬達三年生は高校チームに加入して初めての他校との試合だ。故に皆、緊張で顔が強張っている。


「大谷先生おはようございます。今日はよろしくお願いします」


晴馬達の挨拶に会釈を返した後、淀住台バスケ部の顧問は大谷にも挨拶をする。


「こちらこそよろしくお願いします。...それにしても随分と涼しいですね?」


「実は今朝、校庭のスプリンクラーが突然壊れてしまって水が出っぱなしなんです...。申し訳ありませんがアップは玄関前の広場でお願いします。びしょびしょになってしまいますから」


「分かりました。おい聞いたなお前ら。荷物置いて着替えたらアップ始めろ」


『はい』


皆の返事を受けた大谷は引き続き向こうの顧問と話しながら体育館へと消えて行った。それに倣い、生徒達も体育館の横に併設された更衣室へと入る。


「杉内、隈ひどいけど大丈夫?」


着替えている途中、チームのエースである平先輩が晴馬の様子を心配してくれた。彼の言う通り、晴馬の目の下にはくっきりとした隈が出来ている。


「ありがとうございます、平先輩。実は最近よく眠れなくて」


練習着から頭を出した晴馬は本当に眠たそうに両目を瞬かせた。


「おいおいしっかりしろよ~。最近杉内マジで調子いいんだから、今回で結果残せば大谷からの評価爆上がりだぞ」


無邪気な笑顔で平先輩は晴馬を激励する。大谷の影響か後輩に厳しく当たる先輩が多い中で平先輩は唯一、後輩にフラットに接してくれる。それでいて部内で一番のプレイヤーなのだから、後輩達からの慕われ様は他の先輩たちの比では無い。


「はい、気合入れます!」


着替え終わった晴馬は軍事パレードの兵隊のように、わざとらしく姿勢を正した。それを見た平先輩は「おう頑張れ」と満足げに微笑むと自分の水筒とタオルを持って更衣室を出て行った。


(はぁ...)


だがその威勢の良さとは裏腹に、晴馬の心は暗く澱んでいた。それは寝不足のせいでミスをして、先輩や大谷に怒られたらどうしよう、という不安だけでは無かった。




ここ最近ずっと、晴馬はあの悪夢の続きに苦しんでいたのだ。夜になり目を瞑れば必ず、晴馬は荒れた参道のような、あの果て無き石畳を歩いている。


薄気味悪い以外は特に変化も無ければ、化け物や悪霊の類が出て来る訳でも無い。でも、それはひたすらに息苦しく窮屈で、進めば進むほどに「このままでは不味い」という焦燥感が晴馬の心を強く縛る。


そしてその緊縛が限界まで晴馬を締め上げた瞬間に目覚めるのだ。お陰でこの数日晴馬は満足に眠れずにいた。


(でもまあ、やるっきゃない)


それでもここまで来た以上ボールを触らないという選択肢は無い。体を動かせば眠気はある程度誤魔化せる。それに平先輩の言う通りここで爪痕を残せれば誰よりも早く高校チームのユニフォームを着れるかもしれないのだ。


晴馬は更衣室を出る前に何気なく更衣室の窓を眺める。外からは室内の埃によって浮かび上がった日光の筋と、スプリンクラーらしきさらさらとした音が注ぎ込んでいた。




屋外での準備体操と軽いランニング、そしてコート内でのシューティングでアップを終えた両チームはベンチにて互いの顧問を囲っていた。いよいよ第一試合が始まろうとしている。


「スタメンは平、佐藤、平野、近藤、杉内だ」


自分の名を呼ばれた途端、晴馬の鼓動が激しく跳ねた。ここ最近の大谷や先輩達の言動からこの結果は何となく予想がついていたが、それでも全身に走る緊張は、まるで雷に打たれたかのようだ。


「一足早い高校バスケデビューだ。杉内、喰らいついていけ」


ビブスを被ったその時、大谷が晴馬の背を軽く叩いた。先輩達に完璧についていくことは難しいだろうが、それでもお前の出来る限りをぶつけて来い。そんな期待が、晴馬を見る大谷の目にはあった。


「晴馬頑張れよ。ほら、挨拶前に飲んでけ」


大谷に続いて今度は優悟が、スポーツドリンクの入った、部で所有しているスクイズボトルを差し出して来た。


「サンキュ」


それを受け取った晴馬は栓を開け、ボトルの腹を絞って中身を喉に流し込んだ。緊張でカラカラになっていた晴馬の口内を、爽やかなスポーツドリンクが潤す...


(うぐッ...!?ま、まただ...!)


だが晴馬の舌が感じたのはスポーツドリンクの甘みではなく、以前手水舎で味わったものと同じ、凄まじい生臭さであった。


まるでドブに顔をつっこんだかのような悪臭に晴馬はそれを噴き出しそうになるが、ここが他校の体育館であることを思い出し何とか踏みとどまると、喉を大きく鳴らして飲み込んだ。


「ゲホッ...!あ、ありがと...。それじゃ行って来る...」


「相変わらず滝飲み下手だなお前。行って来い!」


飲み込んだ際に体を大きく揺らした上に咳き込んだことで気管に誤って流したと勘違いしたのだろう。優悟は仕方なさそうに笑いながら晴馬を送り出してくれた。




『よろしくお願いします!』




両チームのスタメンが挨拶を済ませ、ジャンプボールが始まる。担うのはチームのセンター、近藤先輩だ。ディフェンスする相手の番号をチームメイトに伝え、晴馬はコートの中心で審判が持つボールを睨む。


ボールが審判の手を離れ、上空に浮き上がる。そして上昇を止めたボールが重力に引かれ始めた瞬間に近藤先輩が跳び上がる。


パンッ、という小気味良い音が響き、弾かれたボールが相手のポイントガードに素早く渡った。残念ながらジャンプボールは相手の勝ちだ。


『ディーフェンス!ディーフェンス!』


ベンチからの掛け声に合わせるように晴馬達はゴールを守るべく後ろに下がる。


ところが後ろ走りでコートを移動し始めた瞬間、晴馬に再び異常が生じた。足を後ろに下げる度、視界がどんどんと狭く暗くなってゆくのだ。そしてその代わりに動くもの全てが次第にゆっくり且つ鮮明に映り始める。


と、その時晴馬のディフェンスを外した相手がボールを受けるべくパスの指示を出した。相手のポイントガードも彼がフリーであることを確かめ、素早くボールをパスする。


だがその一連の動作全てが、晴馬にはまるでスローモーションをかけられた映像のように、滑稽な程遅く見える。


(あ、これパスカット行ける)


そう考えた晴馬はボールの軌道上に手を伸ばす。すると計算通り、ボールは晴馬の手に弾かれた。


「ナイスカット!!」


大谷の声がくぐもって聞こえる。どうやら視覚だけでは無く聴覚までもが鈍くなっているようだ。しかしそんなこと気にも留めず、晴馬は弾かれたボールを誰よりも早く拾い上げ、相手のゴール目掛けて全力で駆ける。


相手ゴールのスリーポイントラインまで辿り着いた時、相手チームの一人が晴馬に追いついて来た。晴馬のほうが遥かにリードしていた筈なのに恐ろしく足の速い選手だ。


だがここまで来て攻め手を緩める訳には行かない!晴馬は歯を喰いしばってゴール目掛けて更に踏み込んだ。それを遮るべく相手も晴馬に並ぶ。


晴馬は身体を半身にして跳び上がり、ゴールへと思いっきり手を伸ばす。動いていないゴールはボールや選手と違ってひどくぼやけて見えた。


手からボールが離れる...とその瞬間、晴馬は下腹辺りに強い衝撃を受け空中で体勢を崩してしまった。跳び上がった直後に相手に押されたのだ。


「がはッ!」


足が宙に浮いている以上踏ん張って体勢を整えることも出来ない。ジャンプの勢いを残したまま、晴馬はコートに全身を激しく打ち付けた。息が詰まるような衝撃と痛みで、狭まっていた視界が一気に晴れた。それと同時にファールを知らせる笛の音が、転がった姿勢で体育館の天井を見つめる晴馬の耳を抜ける。聴覚も元通りになっていた。


「晴馬!!」


「杉内大丈夫か!?」


試合が一時中断され、大谷や優悟が晴馬の元へと駆け寄る。そんな仲間達よりも早く、晴馬を押してしまった相手選手が晴馬の顔を心配そうに覗き込む。


「ごめんなさい!怪我は...」


「えっと...多分大丈夫です...」


差し伸べられた手を支えに晴馬はゆっくりと立ち上がる。そうしていると皆が晴馬の周りに集まって来た。


「杉内大丈夫か...?」


大谷が珍しく遠慮がちな様子で晴馬の大事を聞く。


「はい、ありがとうございます...。すみません、危ない動きをしてしまって」


「い、いや、いいんだ。さっきのカットも合わせて良い動きだったぞ。だが...」


そこで晴馬は奇妙な事に気付く。晴馬を見つめる者は皆、心配だけでなく困惑や驚きが入り混じったような表情をしていたのだ。確かに少々強引なプレーではあったが、そこまで驚くようなことだっただろうか。


「な、なあ晴馬。お前いつの間にあんなジャンプ力身に着けたんだ?」


「......?」


きょとんとした顔の晴馬を見て、優悟達はより一層困惑を募らせる。


「お前、自分で気付かなかったのか?さっきの晴馬、ダンク出来る位高く跳んでたぞ...?ほら、バックボード見てみろよ...お前の汗、付いてるから...」


そう言われて視線を上げた晴馬はぎょっとした。優悟の言う通り、リングと同じ高さの位置のバックボードに、拳大の濡れた跡があった。それに言われてみれば、確かに押された直後右手首辺りに痛みを感じた気がする。


「う、嘘つけよ...。身長も180無いのに、俺があんなに跳べる訳ないじゃん」


それは晴馬の言う通りだった。高校プレイヤー且つ日本人で、そんな高さまで飛び上がれる選手などそうそういない。


「嘘じゃねぇって...こんな時にそんなつまんねえ冗談言うかよ...」


言いようのない沈黙が辺りを包む。そのせいか体育館まで届いてきているスプリンクラーの音が、一層大きくなった気がした。

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