二章 蝕み

第9話 一夜目

(何だ、ここ...?)


ただひたすらに真っすぐと続く、冷たく鈍い輝きを放つ石畳の上を晴馬は歩いていた。時刻は夜のようで、木々の隙間から見える夜空には星はおろか、月すら浮かんでいない。にもかかわらず石畳の隙間まではっきりと見える程、周囲はいやに明るかった。


(夢だこれ...もしかして俺が歩いてるのは、秋山神社の参道...?)


不思議と冷静を保っている晴馬はこれが夢であると気付くと共に、自分が歩いているこの場所が秋山神社であると予測した。あれ程強烈な体験をした日の夜ならば、神社が夢に出てくるのも不自然ではない。


(でも、なんか変だ...)


しかし晴馬は直ぐにその違和感に気付く。まず自分が立つ石畳。その幅は現実の秋山神社の半分位の横幅しかない。その上、手入れが全くなされていないのか、凸凹と傷だらけで中には殆ど苔で覆われてしまっている敷石すら見受けられた。


そして頭上に広がる枝葉も伸び放題で、まるで参道をトンネルのように覆い隠している。


それらに気付いたせいか、晴馬は閉塞感と圧迫感を感じ始めた。


(このまま進んだらヤバイ...!起きないと...!)


本能がそう告げたかのように、不意に晴馬は強い緊張と恐怖を覚える。だがそんな晴馬の意志に反し、彼の両足は振り子時計のように一定のリズムで進み続ける。まるで、何かに引かれ、呼ばれているかのように...。




「晴く~ん、起きなさ~い。今日も朝練でしょ~?」


「...ハッ!!」


母の声で晴馬は飛び起きる。覚醒出来たようだ。


現実に戻った晴馬は全身にじとっとした嫌な感触を覚える。背中に手を回し、手に伝わった冷たい感触に晴馬は息を飲んだ。ぞっとするほど多量の寝汗を、晴馬はかいていたのだ。


「晴起きてるんでしょ?返事くらいしなさい...ってちょっとどうしたのその汗!?」


部屋の戸を勢い良く開けた晴馬の母、千恵は汗だくになっている晴馬を見て、息子と同じくらい顔を引き攣らせると、直ぐに晴馬の額に手を当てた。


「熱がある訳じゃないわね...。あんなびしょびしょになって帰ったんだから風邪でも引いたのかと思ったけど...。でもそうじゃなくてもこの汗の量は異常だわ...。晴、体調は大丈夫...?」


「うん、大丈夫。怠いとかも無いよ」


こんなに身体の水分を出したのに、身体の調子はすこぶる良かった。寝起きもかなり良い。


「本当に大丈夫なの...?無理しないで、今日は学校休んだら...」


「ホントのホントに大丈夫だって...って時間ヤバッ!!朝練間に合わないじゃん!!何で起こしてくれなかったのさ!?」


何気なく部屋の壁掛け時計を見た晴馬はそれが示す時間を見て、別の意味で顔を青くした。


今週末はライバル校との練習試合が控えており、それに備えて普段は任意参加の朝練が、今週だけ強制参加になっていたのだ。それを無断でさぼれば勿論、顧問と高校の先輩達による、鬼の説教が待っている。


「仕方ないでしょ。今朝は父さんも母さんも寝坊しちゃったんだから。それよりも、本当に学校行くの?」


「行く」


晴馬はのそりと身体をベッドから起き上がらせた。これが以前までの、彼女という存在が居ない状態の彼ならば有無を言わさずに母の言葉に従っていただろう。学校に行けば大好きな渚に会える。その揺らがない事実が、これから地獄が待ち受けていることが分かっていても尚、晴馬を動かしていたのだ。


「そう、分かったわ...。じゃ、朝ごはんもうできてるから食べていきなさいね。それと寝坊したせいでお弁当無いから、今日は学食でお願い。あとでお金渡すから。もし学校で体調悪くなったら、無理せず早退しなさいよ」


それだけ伝えた千恵は、晴馬の部屋をそそくさと出て行った。晴馬は重い足取りでクローゼットの前に立ち、昨晩母が用意してくれた予備の制服に着替え始める。いつもと変わらない日常が、また始まろうとしていた。




「あ~あ...。朝から最悪の気分だ...」


朝のホームルームの前、晴馬は気怠そうに自分の机に突っ伏していた。結局朝練に大遅刻をかました晴馬は登校するや否や体育館に飛び込み、練習を終える直前だった顧問の大谷に平謝りした。だが鬼の大谷にそんなものが通用するはずも無く、晴馬はチームメイト達の哀れみの目を浴びながら、大谷の嫌味混じりの説教を受ける羽目になった。


「寝坊したお前が悪いんだろ...。お陰で3年生全員、今日の朝練で大谷と上野先輩に怒られたんだぜ?」


「マジかよ...。だったら中村とか絶対一日中機嫌悪いじゃん...。今日一緒にシューティングしたくね~...」


前に座る優悟がそんな晴馬を更に追い詰める事実を振りかけてきた。


「にしても大谷かなり怒ってたな~。これじゃ晴馬、三年チームのスタメン外されるかもだぜ?」


「全然あり得るよな、それ...。ようやくスタメンに顔出せるようになってきたのに...。元キャプテン、何とかしてくれよ...」


「い・や・だ・ね。人様を堕天使呼ばわりするような人間に手を貸す程、元キャプテンは寛容じゃねーんだよ」


懇願する晴馬に、優悟は絵にかいたような「アカンベェ」をして見せた。


大谷率いる関央バスケ部員が試合に出られるか否か。それは実力は勿論の事、バスケットボールに対する熱意と学校生活中の素行が多分に考慮される。そういう評価基準が敷かれている中、練習試合が間近に控えている状況で練習への遅刻...。スタメンから外されるという制裁があっても何ら不思議ではない。


「どうせ下川と夜通し電話でもしてたんだろ。やれやれ、リア充になってこんな目に合うなら、前川に振られて正解だったかもな」


「そんなんじゃねぇよ...。それにリア充ってもう殆ど死語だろ...」


わざとらしく肩を竦めた優悟に晴馬は気怠い視線とツッコミを送った。




そういえば、優悟の戦果については話していなかった。そう、彼の言う通り晴馬が無事渚と交際出来た一方、優悟は見事なまでに玉砕していたのだ。


後に晴馬が彼から聞いた話では、「気持ちは嬉しいけど、今は高校入学に向けて勉強と部活頑張りたいから、ごめんなさい」という振り文句を返されたらしい。清々しいまでのテンプレートな振られ方だ。脈ナシ丸わかりである。


しかしそこは中学チームのキャプテンを務めた男。振られた翌日の練習で、優悟は誰よりも多く走り、誰よりも大きな声を出していた。


(これが「昇華」ってやつか...)


部内で一番カットインが上手い先輩に喰らい付く優悟の姿を見ながら、晴馬は以前保健体育の授業で習った、人間のストレスに対する「防衛機制」の一つである、悲しみや怒りといったストレスをスポーツや芸術のような別の形に変換することで解消するという「昇華」を思い出したりもしていた。


「それで、昨日はどうだったのよ?」


渚を話題に出した優悟は途端に下世話な笑みを浮かべ、机に顎を付ける晴馬と視線を合わせた。


「いやそれがさ~」


だがその時、ホームルームの始まりを知らせる鐘が鳴り、「おはようございます」の挨拶と共に担任の寺田が教室に入って来た。


「悪い。一時間目終わった後に話すわ」


「りょうかい」


手早く会話を終わらせた二人は姿勢を正し、朝の挨拶に備えた。

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