1-6
数日後の4月26日。拓海兄さんの告別式が営まれた。遺体を抱くことが出来なかったが、せめて遺骨を胸に抱くことができて良かったと思った。父が連絡してきたときには拓海兄さんは即死状態だった。車外に出ていた携帯電話は奇跡的に小さな傷しか無くて、最後の通話履歴には圭一という表示があった。何でも俺のことを一番に考えてくれる人だったと知った。
拓海兄さんの遺体に対面したとき、瞳を見ることは出来た。片方が深い紺色をしており、片方が黒い瞳をしている。これがコンプレックスなのだと彼が言っていた。しかし、誰に会ってもすぐに覚えて貰えるからラッキーなのだと言っていた。俺が初めて会ったときには気が付かなかった。知らない男がいることに驚き、それどころではなかった。
拓海兄さんはいくつもの傷を抱えた人だと思う。黒崎製菓に就職し、仕事に励んできた。そして、黒崎家の跡取りとして役目を果たし、仕事をしてきた。恋人はいなかった。しかし、亡くなる数日前に会っていた人が告別式に来てくれていた。本当なら恋人だと紹介されていたのだと思うと、胸が痛い。
俺は今、38歳になっている。拓海兄さんが生きていたら53歳だ。今どこに居るのだろうか。兄さんは薄情者だ。夢の中でさえも会えに来てくれなかった。きっと俺が涙を流すだろうと思ってのことだろう。
「兄さん……」
拓海兄さんが使っていた部屋はそのままにしてある。整理はされてあるが、服は当時のままにとってある。彼の部屋に行き、クローゼットを開けると、彼の匂いがした。
「兄さん。十字架はここでいいのか?」
拓海兄さんが持っていた十字架は3つある。そのうちの二つは父が祭壇に飾ってある、残りの一つはクローゼットにしまわれていた。まるで誓いを隠すかのように。何を黙っていたのだろう。何か悩んでいたのか。俺が肩を貸せるまで待っていて欲しいと言った中学1年生の春、拓海兄さんは笑っていた。そんなに弱くないと言って。
すると、窓から風が吹き込んできた。庭の樹木は兄さんの生まれたときから植えられており、そこに生きていた。この家で起ったことを見守り続けている存在だ。その樹木の匂いとクローゼットの匂いが混ざり、兄さんに抱き上げられて木登りした日のことを思い出した。絶対に俺のことを落とさない、甘えて肩車してもらえる存在だった。
「兄さん……」
一滴の涙が頰を伝った。そして、その涙が部屋に飾られている白薔薇に落ちた。拓海兄さん。あなたが居る場所は平安に包まれていますか。俺はまだ行けません。あなたよりももっと長生きをしないといけないようです。孤独を感じていた俺は、今ではたくさんの人に囲まれ、愛されています。その姿をあなたに見て欲しかった。
ガタン。クローゼットを閉じた。そして、窓を閉めて、部屋から出た。外には家族が居る。あなたがいればきっと吹き出して笑いそうなほどにおかしい家族です。あなたと暮らしていなかったら、俺は温もりすら知らなかったでしょう。
「ん?兄さんか?」
するとその時だ。廊下に出た俺の肩に何かが触れた。そして、懐かしい匂いがした。さっきクローゼットで嗅いだばかりの匂いだ。俺は生涯忘れることは無いだろう。
「天国ってあるんですか……」
さっきの匂いは神からの計らいだと思った。その神に聞いて見たい。天国はあるのかと。そして、どんな場所なのかと。
そう思っていると、急に涙がこみ上げてきた。この姿を家族に見られたくない。自分も同じく黒崎製菓で秘書のバイトを始めた時に流したときの涙のように、胸をひっかいてでもそれを堪えるようにした。すると、家族が俺のことを見て走って来た。
「
「だって、泣いているんだもん」
俺は家族の夏樹に身体を支えられた。俺のパートナーだ。拓海兄さんと同じく、本音を吐けない俺が、強がってばかりいる。そんな自分が今日は涙を見せても良いと思えたのは、さっきの匂いのせいだ。そう思って、涙を流し、夏樹が戸惑った顔をした。そして、俺のことを抱きしめてくれた。
拓海兄さん。もう一度言う。ありがとう。温かい家庭が作れているのは、あなたと過ごした日々があるからです。俺は拓海兄さんの部屋を振り返り、夏樹が涙を拭き取ってくれた。
この手の温もりを大事にする。そう誓い、階段を下りていった。行き先は家族が集うリビングだ。それは温かな場所で、俺達のことを迎えてくれた。
貴方へ贈る白い薔薇~思い出の中で 夏目奈緖 @naonatsume0101
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます