第3話
メイルーサはいい街だった。
誰も彼もに門戸を開き、人間が問わず集い街をいつだって五月蝿く満たしている。
その中で誰も自分を知らない。
いい街だ。
青年はここに来る前にフェリシアンにも寄って来たのだが、あそこはアレンダール神教色が強く、街の片隅に座ってちょっと歌うだけでも、すぐに街の警邏隊が出庭って来て、街の景観を汚すんじゃないと野良犬のように追い払われた。
青年は、はいはいと素直に聞いたため何ともなかったが、何も知らない旅人などは本気で殴り合いのようになっていたりもした。
基本的に旅人には冷たい街のようで、よそ者というだけで冷たい応対をされるのが常らしい。
そういう街ほど美しいというのは何とも皮肉なのだが。
『どうして分かったの?』
青年は丘の上からメイルーサの街を見下ろした。
曇り空の下、人の起き出した街を。
街の向こうの空が灰色がかって来ている。一雨来そうだ。
青年は雨に濡れないよう手琴をローブの下に包んだ。
手に触れたペンダントをチャリ……と持ち上げてみる。
白き雷の獣【ライディーン】。
神の【美しき完全なる時間】を喰らった為に怒りを買い、地上に堕とされた神獣だ。
永住の地を求めて彷徨う性を持ち、そのためエデン南方では旅人の護符などによく描かれる。
司るは『無垢』『時間』そして『愚か』――――。
ライディーンの永住の地は神界にあるのに、地上を彷徨い、それを求め続ける。
魔術観では【ライディーン】は自己回帰の出来ない愚かな精霊だとされた。
青年はペンダントを下ろした。
分かったのではない。
無意識に選んでいた。
だがそれは偶然ではなかったのだ。
この世界に生きるものには、人にも花にも大地にも魔力が必ず宿る。
どんなにささやかなものだとしてもだ。
全く魔力のないものなどは自然界には存在しないのである。
『私の故郷の歌よ』
青年は思い出していた。
――――彼女からは南方の魔力の『気配』がしたのだ。
魔術は大っぴらには使わなくなった。
エデンは場所によっては魔術師の身分が低い所もある。
魔術という概念自体を拒む土地柄だって、決して珍しいということはない。
例えば山中で賊に襲われたとか、そういう止むに止まれぬ時のみ、
しかも自分の為にのみ。
青年は自分の魔術を戒めるようになっていた。
それは自分の魔力が魔術観においては【闇の属性】に分類されることを知っているからである。
【闇の術師】の魔術は、他者と自分を悪しき宿業に導くことが多いと言われている。
(こんなに戒めても魔術師の性は抜けきらないものだな)
無意識に自分は彼女の微弱な魔力を感じ取り、それに添うように謳を選んだのだ。
上げた翡翠の瞳に遠くの空を駆ける一瞬の稲光が映った。
土地をいくら隔ててもこの空で世界は一つに繋がっている。
遥か空の向こうの竜の大国を出て、三年が過ぎた。
それまでの魔術漬けの生活を考えれば、おおよそ魔術師とは言い難い生活を送っている。
吟遊詩人などというのは、むしろ随分自分を綺麗に言ったもので、どちらかといえば当分の金を求めて、各地の遺跡や洞窟に入り、その時だけは魔術を解禁して魔物や賊を退ける、都合のいいことにしか魔術を使っていない。
冒険者というほど意欲的でもなければ、
トレジャーハンターなどというほど欲深くもない。
もともと生活に金をかける性格をしていないので、必要最低限の所持金があればあとはただ、自分の脚で世界各地を行く当ても無く彷徨っている旅人に過ぎない。
戯れに時だけを貪っているだけだ。
各地で聞いた謳は自分の耳だけで覚えた。
だから青年にとっては、各地の全ての吟遊詩人が謳の師なのだった。
特別な人間は一人もいない。
必要だとも思わない。
【知恵の使徒】などという正統な魔術師としての生活からは、もう随分かけ離れてしまった。
街で得る知識はどれも下世話で他愛の無いものばかり。
そして、そういう知識だけが増えて行く。
堕ちたものだ、と思う。
――――でも自由だった。
果てしないほどに魂が自由だった。
あまり細かいことを気にしなくなった。
自分も含め誰かの為に悩むということがなくなった。
思うままに脚を動かし、
知らない土地に行って名も知らない湖、
知らない街の夕暮れ時の匂いと灯り、
冷たくない通り雨にただ打たれている時、
朝目覚めると朝霧の中に周囲の景色が見えて来て、
光に満ちて行くその時間の移り変わり……。
そういう中に自分の身体を置いていると、無性に幸せだと感じることがあった。
かつては流浪の宿命と、孤独に思ったこともあるけれど、
人間など孤独であることの方が多いのだと気づいたから、
今は流浪の宿命が、流浪の生を生きて、
自分に一番合った生を生きていると感じることが出来る。
穏やかにそう思える時、
苛む過去と照らし合わせて自分が今、幸せだと強く感じるのだった。
名前を教えて。
貴方の名前。
女は最後に尋ねて来た。
客に一度も尋ねたことが無いと、目を輝かせて聞いて来たので、
そういうことならばと答えた。
『メリク』
翡翠の瞳が曇天を見上げる。
ぽつりと鼻に雨粒が落ちた。
降って来たようだ。
緑の術衣のフードを被り、メリクは歩き出した。
足取りは緩やかに柔らかい草の上を、何に追われることも無くのんびりと歩き出す。
街道の方から荷馬車に乗った男が姿を見て、
これから大雨になるよと大声で報せてくれた。
それに手を上げて応えるとメイルーサの街には戻らず、目の前の深い山道へ続く街道を目指し、なだらかな丘を下りて行った。
雨なら降ればいい。
思う存分大地に降り注げばいい。
メリクは小さく笑った。
旅路は急がない。
彼は独りだった。
――――だが穏やかでもあった。
【終】
その翡翠き彷徨い【第47話 997年、春雷】 七海ポルカ @reeeeeen13
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