第16話 彼からのお誘い

「こんばんは」

「いらっしゃい、佐倉さん」

「お邪魔してます……(で、合ってる?)」


 愛寿園に到着した朱里は、前回同様に手指消毒と検温を済ませ、『面会者』のネームプレートを首から下げる。

 受付の人からマスクも貰って、それをつけ終わると、先日少し話をしたあのケアマネさん(水野さん)が事務所の奥から姿を現した。

 朱里は隣りにいる紫生に視線を向け、施設での挨拶に誤りがないか確認すると、『大丈夫。みんな優しい人ばかりだから』と返って来た。

 挨拶が正しいものなのか、いまいちよく分からない。


「ここは、紫生くんの家みたいなものだから、気軽に遊びに来てね~」


 水野さんは他のスタッフと共に事務所を後にした。


「この愛寿園はね、水野さんの伯母さんの会社で、系列の施設がもう一つあるんだけど、園長さん(水野さんの伯母)はいつもそっちにいるの。だから実質的には水野さんがここの園長さんみたいなものかな」

「そうなんだ~」

「それと、道挟んで向かい側のビルの三階にある弁護士事務所、水野さんの旦那さんがやってるんだ」

「えっ、水野さんの旦那さんは弁護士なの?」

「うん、そう。だから、相続関連とかも全部お任せしてる。ここの入所者さんの必要な手続きとかも水野さんの旦那さんの事務所がしてるんだって」

「……それは凄い助かるね」

「強い味方だよね~」


 ご両親を亡くされ、叔母家族が近くにいるみたいだけど疎遠だって言ってたし、何かと色々大変そうだけど、水野さん夫妻が助けてくれるなら心強いかも。


「佐倉さん、こっち」

「あ、うん」


 事務所にあるコピー機の前に案内され、トートバッグからノートを取り出す。

 速水くんは手慣れた様子でコピー機を扱い、そんな彼をじーっと見据えていると、『寒かったでしょう。良かったらどうぞ』と横から声がかけられ、湯気を纏った紅茶がテーブルの上に置かれた。


「あっ、すみません。ありがとうございます」


『管理栄養士 神谷かみや 久美子くみこ』と書かれたネームプレートが白衣の胸元で揺れる。

 

「紫生くん、ごめんね。これから院内でカンファレンスがあって、ここ留守にするんだけど」

「大丈夫ですよ。これが終わったら帰りますから」

「もう外は真っ暗だから、二人とも気をつけて帰ってね~」

「はい」


 四十代くらいに見える神谷さんは、分厚いファイルを数冊手にして、隣接する病院へと向かって行った。


「病院と連携してるって、凄いね」

「それがここの最大のメリットだよね」


 何かあった時にはすぐに医師が駆けつけてくれるという強みは、入所者にとったら心強いものだろう。

 ううん、家族にとっても有難いと思う。

 介護をすると『時間の自由がなくなる』と叔父さんの家族が言ってたけど、施設介護の最大のメリットだと朱里は改めて思った。

 誰の席かは分からないけれど、事務所の椅子をお借りして、朱里は紫生の後ろ姿をじーっと眺めながら紅茶を啜る。



「佐倉さん、遅くなっちゃってごめんね。それと、ありがとう」


 コピーをし終えた彼は、ノートを私に差し出した。

 そのノートの上に個包装になっているクッキーが一つ乗せられていた。


「安いお駄賃でごめんね」

「ううん、嬉しい。私、甘いの好きだから」

「知ってる。よく休み時間に食べてるもんね」

「ッ?! 見てたの?」

「視界に入って、たまたま……?」


 朱里がいつも鞄に忍ばせている小袋菓子の事情がすっかりバレバレだ。

 恥ずかしさのあまり視線を泳がせていると、フフッと速水くんが柔らかい笑みを零した。


「佐倉さんって、バイトしてる?」

「してないよ」

「片山くんはしてたよね? クラスの子と会話してるの、聞いたことがある」

「うん、新と萌花はしてるよ~。新は駅の東口にあるラーメン屋さんで、萌花はSourireスーリールっていうスーパーの店内にあるパン屋さんでバイトしてる」

「へぇ~」

「それがどうかしたの?」

「いや、バイトしてないんだったら、試験勉強を一緒にここでどうかな? と思って」

「えっ?! ここで??」

「あ~っ、でも、片付けとかちょっとした手伝いを頼まれることもあるかと思うけど、ここのスタッフさんたちみんな優しいし、結構分からないところ教われるんだよね~」

「そうなんだ」

「ボランティア活動しながら、ホールの一角借りて勉強するスタイルだけど、どう?」

「する!! 学年トップの速水くんの勉強法を真似て、成績上げたい!!」

「何それ」


 彼のお誘いに食い気味に反応した。

 くくっと喉を鳴らしながら速水くんの指先が、私の頬に触れた。


「髪食べてるよ」

「っっ」


 無我夢中で返答したから、髪が乱れて口に入っていたみたい。

 彼の指先が優しく髪を伝う。


「外暗いから、自宅まで送るよ」

「……別にいいのに」


 飲み終わった私のカップを事務所の隣りにある給湯室で洗う彼。

 慣れた手つきで片付けてくれている。


「ごめんね、洗わせちゃって」

「え、いいんだよ。お客さんなんだから」


 すっかり愛寿園のスタッフの人みたいな口ぶりに、思わず笑みが零れた。

 彼が毎日ここに通っていたという証だ。

 お母様と過ごした場所ここにいるの、辛くないのだろうか? そんな思いが脳裏を過った。

 明日から……でいいのかな?

 勉強するのは好きじゃないけど、速水くんに教われるの、すっごく楽しみになって来た!

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